第82話 変化
「……おそらく、マグリーニ家の派閥を滅ぼしてそこをユーティライネン家との緩衝地帯とすることまで、計画のうちにあったのだろうな。必要な全てを手に入れ、邪魔者は全て排除し、周辺勢力との揉め事の芽は小さいうちに摘んでしまう。何ともしたたかな男だ」
「ええ。本当に……癪に障るところもありますが、見事な立ち回りです。あちらが意地を張らず妥当な誠意を見せてくれたおかげで、こちらも事態を穏便に収束させることができました」
ディートリヒが広間から出ていった後、サンドラの呟きにミカも首肯する。
アルデンブルク領軍の兵が領内に侵入してきたときは、すわ大戦争の幕開けかと思ったが、幕引きは実にあっさりとしたものだった。アルデンブルク家の当主から直々に謝罪を受け、金を受け取り、最後は握手まで交わすとは。
膨大な領地がひしめき合う現在のダリアンデル地方において、昨日の友が今日の敵となることは珍しくない。同時に、昨日の敵が今日の友――とまでは言えずとも、ひとまず穏健な関係を保つ相手となるのも、ままあること。
コレット領の悲劇についてはミカも個人的に心を痛めており、ダグラスをはじめとした犠牲者たちが生き返ることは決してないが、少なくともヴァレンタイン領は無事のまま事態の収束を迎えることができた。それだけでも幸運だったと思わなければならない。
「ひとまず、事態がこれ以上こじれることは避けられたが……とはいえ、警戒を緩めることはできないな。アルデンブルク卿が野心の強い人物であることは確かだ。そこへ現実的な力がさらに加わるとなれば、この先どのように動いてくるか分からない」
「そうですね。アルデンブルク領の周囲に領地を持つ領主たちが認めたら、彼は宣言通り王になるとして……国を作って体制を安定させたら、周辺地域に攻め入ってもおかしくありません」
ディートリヒの言い分については、ミカもサンドラもそう疑ってはいない。しかし、彼がユーティライネン家をはじめとした周辺勢力の盟主たちと穏やかな関係を維持したいのは、あくまでも戦いにくり出す余裕のない現状に限った話。いずれ余裕ができれば牙を剥いてくる可能性は相当程度あると考えるべきだった。
「だが、先手を打って攻撃し、アルデンブルク家を潰してしまうことも難しい。ユーティライネン家もそれなりの大家だが、現在のアルデンブルク家には到底敵わない。こちらの三倍以上の人口を擁するであろう大領主家を相手に、攻勢を仕掛けることは現実的ではない……アルデンブルク家との関係が悪化した場合に備え、守りを固める前提で今後の対応を考えるべきだろうな」
サンドラの言葉に、ミカは硬い表情で頷く。
「まず急ぎ解決すべき問題は、コレット領民の生き残りだが、私としては、ヴァレンタイン卿に引き取ってもらいたい」
「彼ら八十人を、我が領に、ですか……」
「ああ。政治的にも地理的にも、ヴァレンタイン領は今や我が勢力圏の西の最前線となった。こうなった以上、貴家にはできるだけ早く、領地の人口規模を大きくしてもらいたい。ヴァレンタイン領の防衛力を高める上で、最も手っ取り早いのは人口を増やすことだ」
少し驚いて呟いたミカに、サンドラは首肯しながら語った。
「もちろん、食料や薪などの生活物資については我が領からも支援しよう。付近に大量の難民が発生する事態を貴家が防いでくれることへの礼として、無償で」
「……分かりました。まずは何を置いても我が領の人口を増やすべき、というのはご尤もなお話ですし、コレット領民たちとしても、生まれ故郷からあまり遠くない場所で皆でまとまって暮らせる方が幸せでしょう」
答えるミカの言葉を聞き、サンドラは微笑する。
「このようなときに民の心情まで慮るとは、卿は優しい領主だな……ではひとまず、人口が大幅に増えるヴァレンタイン領が無事に冬を越せるよう、支援を急ぐとしよう。以降の長期的な動き方については、冬の間に考えをまとめた上でまた卿にも相談させてもらいたい」
「分かりました。ありがとうございます」
その後はユーティライネン家より受ける支援の細かな内容を詰め、話し合いを終える。
「……それにしても、いよいよこのダリアンデル地方にも王を名乗る者が現れるか。いつか、そう遠くないうちにそのような時代が来ると思っていたが……」
最後にサンドラがそう呟いたことが、ミカには強く印象に残った。
・・・・・・
数日後。ユーティライネン軍をはじめとした援軍が帰還していった後。ミカは広間にジェレミーとルイスを呼び出した。
「君たちを、我がヴァレンタイン家の正式な家臣に任命したい」
「えっ……お、俺たちが、領主家の家臣? ですか?」
「……」
領主の言葉を受け、ジェレミーは唖然として呟く。寡黙なルイスも、言葉は発しないものの、さすがに驚いているのか片眉を上げている。
「そうだよ。昨日皆に伝えた通り、このヴァレンタイン領はコレット領民の生き残りたちを迎えて一気に人口が増えることになった。そしてヴァレンタイン家は、ユーティライネン家と協力しながら西のアルデンブルク家を警戒する立場となった。言わば、アルデンブルク家の勢力と睨み合う上で、ユーティライネン家の勢力の最前線を担うことになった。たとえ僕たちが望んでいないとしてもね……こうなると、ヴァレンタイン家のために働いて、いざというときは領地防衛の指揮を担ってくれる専従の家臣を増やしたい。だから君たちにこうして声をかけたんだ」
ジェレミーとルイス、それぞれの顔を見ながらミカは語る。
「君たち二人は僕に忠実で、賢くて、有能だ。まだ若いから将来の伸びしろも大きい。家臣に迎えるなら君たちがいちばんだと僕は思ってるんだけど……どうかな?」
ミカが尋ねると、ジェレミーとルイスは互いに顔を見合わせる。そして頷き合い、再びミカの方を向く。
「心して務めます。これからは家臣として、ミカ様に忠誠を誓います」
「お、俺もです! ミカ様とヴァレンタイン家のために頑張ります!」
必要な時は喋るルイスが丁寧な言葉遣いで覚悟を語り、それにジェレミーも言葉を続けた。
二人が期待通りの返事をくれたことに、ミカは満足げな笑みを浮かべる。
「そう言ってもらえてよかった。君たちが家臣として助けてくれたら、すごく心強いよ……二人には、普段はマルセルを手伝って領民たちの監督をしてもらって、何か任せたい仕事――例えばお遣いや見回りの仕事があったらそれをこなしてもらおうと思ってる。そして今回みたいな非常事態が起こったら、ディミトリやヨエルみたいに、領民たちの指揮官になって戦ってもらいたい」
ミカのその言葉にも、二人は力強く応えてくれた。
陽気な性格のためにお調子者と思われがちなジェレミーは、実は柔軟な思考力を備え、そして領民の誰よりも体力がある。今回のように伝令任務をこなしたり、領民たちを鼓舞して士気を高めさせたりする立場にうってつけ。
寡黙なルイスは、投石に関して天性の才覚があるので心強い戦力となるほか、やはり彼も賢いので民兵たちの指揮役にも向いている。
そして二人とも、定期的な勉強会のおかげで読み書き計算の能力を急速に向上させているので、いずれは事務作業に関しても戦力になり得る。武門のディミトリやヨエル、文官のマルセルを補佐する頼もしい若手家臣になってくれるだろうと、ミカは期待している。
・・・・・・
今回の騒動が終息した後、本格的な冬が訪れるまでの数週間は、ミカたちにとって目が回るほど忙しい時間となった。
コレット領民の生き残りで、新たにヴァレンタイン領民となった八十人。その半数以上がまだ子供で、大人が抱きかかえることのできた幼子か、自分の足で速く走ることのできた十代半ば程度の者が多い。残る半数弱は、三十歳以下の若い者たち。幼子以外は今後の労働力や戦力として期待できるが、何はともあれ彼らの衣食住の面倒を見なければならない。彼らはある日突然に襲撃を受けて故郷を追われ、咄嗟に手で持てる財産を持ち出せた少数の者を除き、着の身着のままで逃げたために何も持っていない。
寝床に関しては、今は空き家となっていた旧領主館が役に立った。領主の居所としては小ぶりとはいえ、一階には大部屋が、二階にはいくつかの小部屋がある旧領主館ならば、手狭になるとはいえひとまず八十人が収まる。青年や少年たちは大部屋に、女性と幼子たちは二階に住まわせ、彼らが冬の野外で凍える心配はひとまずなくなった。
食料や薪に関しては、ヴァレンタイン家の備蓄と、ユーティライネン家からの支援で十分に賄う見込みが立った。衣服やその他の生活用品に関しては、こちらもユーティライネン家の支援や、領民たちの協力によって最低限は世話をできそうだった。
元々のヴァレンタイン領民たちと旧コレット領民たちの融和に関しては、大きな衝突が起こらないようディミトリとヨエルが睨みを利かせ、マルセルと、彼の補佐に着いた新たな家臣ジェレミーとルイスが細かな面倒を見ることとなった。
家臣全員がよく働いてくれるおかげで、旧コレット領民たちがヴァレンタイン領の社会に馴染む上で必要なのは時間のみとなる見込み。元々の領民たちも、長年この村に住んでいる者と昨年末に大森林を抜けてきた新参者たちに分かれており、旧コレット領民たちが数的には極端な少数派とはならないために、全体として「多数派が少数派をいじめる」構図が生まれづらいことがかえって良い結果を生みそうだった。
新領民たちを食わせていくために、この冬からさらなる森林開拓や農地拡大、家屋建設などに臨まなければならないが、ひとまず必要最低限の体制は整えた十二月の末。ミカにとって大きな朗報があった。
女の子が生まれた。アイラにとって初めての出産は大きな困難に見舞われることもなく、むしろお産の面倒を見たヘルガによると「こんなにすんなりと生まれることはとても珍しい」ほどだったそうで、母子ともに健康そのもの。ミカとしては、喜びと安堵を覚える結果となった。
「ああ、何度見ても本当に可愛いねぇ。こんなに可愛いものがこの世に存在するなんて」
「ふふふっ、本当ね。まるで神が遣わした天使みたい」
年が明けた一月の半ば。生まれてから数週間が経った愛娘の寝顔を見つめながら、ミカとアイラはそう話す。アイラの腕の中にあるぬいぐるみのアンバーも、赤ん坊を見つめて柔らかい表情を浮かべているように見える。
ヴァレンタイン家の嫡女となる愛娘は、アンリエッタと名づけられた。
「……君は何も心配せず、何も焦らず、ゆっくり育つんだよ。君がここで幸せに生きていけるように、僕たちが頑張るからね」
ミカは慈愛に満ちた表情で、すやすやと眠るアンリエッタに語りかける。
ダリアンデル地方は激変の兆しを見せ、きっとこれから困難の多い時代を迎える。それでも、だからこそ、このヴァレンタイン領は守られなければならない。この村だけは幸せな地であり続けなければならない。
そうなるように、領主である自分こそが奮闘しなければならない。
最愛の妻との間に生まれた新たな命を前に、ミカはあらためて固く決意する。
・・・・・・
ユーティライネン城の中庭。ユーティライネン家当主サンドラは、自家に仕える騎士たちを前に語る。
「――それでは騎士諸君。苦労の多い冬の旅となるだろうが、よろしく頼む」
サンドラの訓示に騎士たちは力強く応え、二騎で一組となって城を発つ。サンドラの書簡を届けるために、北東へ、南東へ、そして真東へと向かう。
「……」
彼ら騎士たちの旅立ちを見送りながら、サンドラは未来を思う。
本来はなるべく避けるべき冬の移動。しかし今は、家臣たちにそれを強いる必要があった。この冬の猶予を無駄にすることなく、己の計画を少しでも進めるために。周辺の大領主たちに己の意思を伝えるために。騎士たちに急ぎ書簡を運ばせる必要があった。
全てはユーティライネン家と、その勢力圏の安寧のため。これから激動の時代を迎えるであろうダリアンデル地方において、自家とその味方を生き残らせるため。
そのためには、国を作らなければならない。ディートリヒ・アルデンブルクが語ったような、大領主の縄張りの延長線上にあるような粗雑な国ではない。もっと強固で、機能的で、完成された国を築き上げなければならない。
ここまでが第三章となります。ここまでお読みいただきありがとうございます。
次の第四章開始に際して、プロットの詰め作業と書き溜めのために一週間ほど更新のお休みをいただけますと幸いです。
来週の更新をお休みして、10月27日(月)よりまた月・金の更新を再開していきます。
引き続き『うちの村だけは幸せであれ ~前世の知識と魔法の力で守り抜け念願の領地~』をよろしくお願いいたします。