第81話 西の大領主
数日後。アルデンブルク家当主ディートリヒ・アルデンブルクは、約束通り少数の護衛を伴ってヴァレンタイン領へやってきた。
あちらが会談をもとめて来訪した以上、丁重にもてなすのが領主としての礼儀。ミカはディートリヒをヴァレンタイン城へ迎え、広間で大テーブルを囲んで対面する。
「コレット領の東にあるのは、コレット領以上に小さな領地だと聞いていたのだが。まさかこれほど立派な城を構える領主家がいようとは驚いた」
広間を見回しながら語るディートリヒは、敵中にあっても堂々とした態度や、整えられた漆黒の髪と髭の印象もあり、いかにも強き領主といった雰囲気の人物だった。
「恐縮です。我がヴァレンタイン家のことは、知られずとも致し方のないことと思います。私がこの地にやってきたのは今より三年半ほど前ですから」
「この村はもともと別の領主家が治めていたが、その領主家は村を捨てて去った。そこへ流れ者の魔法使いであったミカ・ヴァレンタイン卿がやってきて、領民たちから乞われて新たな領主になったのだ。このヴァレンタイン卿は昨年、我が従妹を伴侶に迎えたことで、ユーティライネン家の姻戚となった」
ミカとサンドラの説明に、ディートリヒは少し驚いたような表情を見せる。
「なんと、そんなことがあったのか。いや、我がアルデンブルク家の関心は専ら南に向いていた故に、東の情勢については疎くてな。小領地の細かな状況までは知らなんだ……ユーティライネン卿が自ら軍を率いてこの村に来ていると聞いて、大領主がわざわざ動くのであればヴァレンタイン家と近しい関係なのかと思ったが、やはりか」
ディートリヒはそう語り、薄く笑む。
「それで、アルデンブルク卿。今回は平和的解決を求めての会談という話だったが?」
「ああ、その通りだ。こちらとしては、先の衝突は不幸な事故であり、その原因は我が領軍にあると考えている。なので、ヴァレンタイン卿に謝罪をさせてもらいたい」
そう言って、ディートリヒは軽く頭を下げる。プライドの高そうな大領主の、予想外に素直な行動を受け、ミカは驚きに片眉を上げる。
「我がアルデンブルク領軍の兵がヴァレンタイン領へ踏み入り、卿と家臣、そして卿の財産たるヴァレンタイン領民たちを襲ったこと、誠に申し訳なく思う。アルデンブルク領軍の狙いはマグリーニ家の姻戚であったコレット家の領地であり、逃亡したコレット領民を追って一部の兵がヴァレンタイン領まで侵入したことは、完全なる暴発だ。領主たる私の意図したものではない……もしコレット領の東隣にある領地の主がユーティライネン家の姻戚だと知っていたら、決してそちらには踏み入らないよう事前に領軍に命じていただろう」
つまり、ヴァレンタイン家がユーティライネン家の姻戚でなければ、暴発してヴァレンタイン領に侵入したアルデンブルク領軍の兵たちがこちらに大きな実害をもたらしていたとしても、彼は気にしなかったということか。ミカはそう考えながらも、怒りを露わにすることはない。
基本的には弱肉強食の世界である現在のダリアンデル地方において、小領地の扱いなどそのようなもの。狙った小領地を滅ぼす際、勢い余ってその隣の小領地まで滅ぼしてしまったとしても、大領主は大して気にもしないだろう。ディートリヒがわざわざ丁寧に謝罪してきたのは、ミカがユーティライネン家の姻戚だからであり、近くの大領主と下手に対立したくないという彼の都合が背景にあるからに過ぎない。そう理解しているからこそ、ある意味では諦念をもって彼の謝罪の言葉を受け止める。
「無論、言葉だけの謝罪で足りるとは私も思っていない。これは私の誠意の証だ。金貨三十枚、どうか受け取ってほしい」
そう語るディートリヒの傍らにいた護衛の騎士が、テーブルに小さな袋を置く。その袋をディミトリが取り、ミカに手渡す。
袋の中に金貨が詰まっていることを確認したミカは、ディートリヒへ微笑を向ける。
「アルデンブルク卿の誠意の証、確かに受け取りました。幸い我が領の民には怪我人が幾らか出ただけでしたので、この件はこれでおしまいにしましょう」
自身の立場では、敵対的な態度を続けてもどうにもならない。大切な民が怪我を負わされたことは腹立たしいが、傷はいずれ治るので、こちらの受けた損害については金銭が十分な償いとなる。そう考えたからこそ、ミカは内心ではともかく公式には彼の謝罪を受け入れる。
「受け入れてくれるか。それはよかった。感謝する」
「……それで、マグリーニ家の姻戚であったコレット家を狙ったとのことですが、争いの発端はやはり、先のイルマシェ家との戦いだったのでしょうか?」
気になっていた点をミカが尋ねると、ディートリヒは首肯する。
「卿の言う通りだ。マグリーニ家の一派は、かつては我がアルデンブルク家とイルマシェ家の抗争に対して中立な立場をとっていたが、ここ最近はイルマシェ家に露骨に肩入れし、アルデンブルク家との友好関係を切り捨てた。そのような行いを放置していては、イルマシェ家に勝利したとしても周囲から舐められる。だからこそ、呼び出したマグリーニ卿をこの手で殺し、マグリーニ家とその姻戚たちの領地を襲って報復を成したのだ」
自らマグリーニ卿を殺した。その言葉を聞いても、ミカもサンドラも驚かない。この数日でユーティライネン家が情報を収集し、ミカとサンドラは西の情勢についておおよそのところを知った。
噂によると、ディートリヒは「会談のため」と称してマグリーニ卿をアルデンブルク城へ呼び出し、殺害したのだという。それと同時に、イルマシェ家との戦いを経て五百を超えるほどの規模に膨れ上がったアルデンブルク領軍が、マグリーニ領の領都を襲撃し陥落させた。その後、アルデンブルク領軍は間を置かずにマグリーニ家の姻戚たちの領地までをも襲撃。一連の出来事は一週間足らずのうちに起こったため、ミカはコレット領民が逃げてくるまで西の異変に気づくことができなかった。
本当に報復だけが目的であれば、マグリーニ家のみならずその派閥までをも襲うのは過剰。おそらくは表向きの理由の裏に、肥大した領軍を飼い続けるための当面の資金や物資集めをすることも目的としてあったのだろうと、ミカとサンドラは考えている。
「なので先にも言った通り、我が領軍部隊の目標はあくまでもコレット領だった。ユーティライネン家やその姻戚たるヴァレンタイン家と敵対する意図は全くなかったのだ。当家としては、今後もユーティライネン家の勢力圏には立ち入らず、ユーティライネン家とは穏やかな関係を維持していきたい」
「……その言葉を信じたいところだが、ここ最近の貴家の動き方を見ると、それは簡単なことではないな。イルマシェ家への勝利では飽き足らず、マグリーニ家を襲い、その姻戚の領地にまで手を出す振る舞いは、卿の野心の表れと捉えざるを得ない」
厳しい表情でサンドラが言うと、ディートリヒはまた薄く笑む。
「ユーティライネン卿がそう考えるのも当然だろう。私も、己が野心を抱いていることを否定するつもりはない……私は王を名乗ろうと思っているのだ」
その言葉に、ミカとサンドラは思わず顔を見合わせる。
王を名乗る。それはディートリヒが、単に力関係で他の領主より優越的な地位に立つ大領主ではなく、名実ともに領主たちを従属させる一段上の存在になることを意味する。
「このダリアンデル地方には、長らく王と呼ばれる存在がいなかった。だからこそ、私が現代のダリアンデル地方において最初の王になる。だが、ダリアンデル地方全土の王になることは難しいと理解もしている。私が王として支配できるのは、旧イルマシェ領を含む我が領地と、その影響下にある周辺の小領地群だけだろう。ユーティライネン家の縄張りに手を出せるとは思っていない」
そう語るディートリヒの顔を、ミカは注視する。嘘を言っているようには見えない。
「むしろ、私はこれ以上の戦いを避けるべき状況にある。未だ不安定な旧イルマシェ領を掌握し、周辺の小領主たちに私が王を名乗ることを認めさせ、国としての統治体制を整え、周辺地域に対する守りを固めるとなれば、大変な大仕事だろう。建国を宣言する上で十分な勢力圏を確立した今、そのような大仕事が控えている状況で、周辺の大領主とわざわざ争う意味はない……こう語れば、当家がユーティライネン家と穏やかな関係を維持したがっていることを信じてもらえるのではないか?」
「……確かに、筋は通っている」
未だ警戒を解いていないようすで、しかしサンドラはそう返した。
「そう言ってもらえて何よりだ。好都合なことに、マグリーニ家の派閥の領地が荒廃したことで、我が領土とユーティライネン家の勢力圏の間には一定の緩衝地帯も生まれた。どちらかに領土的野心がない限り、当家と貴家が争い合う意味もあるまい」
そうして緩衝地帯を築くことも、マグリーニ家の派閥を襲った目的のひとつだったのだろう。ディートリヒとサンドラの会話を聞きながら、ミカはそう考える。
「ユーティライネン卿、如何だろうか。今後とも、我がアルデンブルク家と良き関係を保ってはもらえないだろうか。互いに干渉することなく、それぞれの勢力圏内で栄え合う穏やかな関係を保つことこそが、双方にとっての最善であると私は信じている」
ディートリヒはそう言って、サンドラに手を差し出す。サンドラは少しの間を置いて、握手に応える。
「私もそれが最善と信じる。どうかこれからも、穏やかに付き合っていこう」
サンドラと互いの意思を確認し合ったディートリヒは、次いでミカの方を向き、やはり手を差し出す。
「ヴァレンタイン卿も、それで構わないか?」
「……ええ、無論です」
どうせこちらに拒否する余地などない。立場上仕方のないこととはいえ、ヴァレンタイン家の頭上で大領主たちが話をつけるかたちとなったことに少しばかり不愉快さを覚えながらも、ミカは笑顔を作って答えた。
「……ああ、そういえば卿にひとつ尋ねたいことがあった」
握った手を離したディートリヒがそう言い、ミカは小首を傾げる。
「暴発してヴァレンタイン領へ踏み入った我が兵たちは全滅し、木の杭で串刺しにされて警告文と共に曝されていたと報告を受けたが……兵たちは生きたまま串刺しにされたのか? 苦しみ抜いた表情の死体が多かったと聞いたのだが」
その問いに、ミカは笑顔のまま首を横に振る。
「いえ、彼らは死後に串刺しにされました。私も敵とはいえ死体を損壊するのは心苦しかったのですが、今生きている民を守り、貴家の軍にもこれ以上の無用の犠牲を生まないために、致し方ないと考えてそのようなことをしました……ですが、次に害意を持って我が領へ踏み入る侵略者が現れた場合は、捕らえて生きたまま串刺しにするかもしれません」
ミカの返答を聞いたディートリヒの顔が、少し強張る。さすがの彼も、生きながらにして尻から杭を打たれる人間の姿を想像すると気分が悪くなるようだった。
「そうか。念魔法という武器もある故、ただの小領主とは侮れない恐ろしい男だ。ユーティライネン卿は元より、卿のことも怒らせたくはないものだな」
そう言い残し、ディートリヒは帰っていった。