第80話 衝撃
本日の更新予約を設定するのを失念しておりました。大変失礼いたしました……
幸いにもアルデンブルク家の軍勢が夜に再び進軍してくるようなことはなく、翌日の昼。ユーティライネン領より、ユーティライネン家当主サンドラ自らが率いる領軍部隊がヴァレンタイン領へ到着した。
その数は騎士八騎と兵士十六人。ユーティライネン領軍の総兵力の、実に半数に及ぶ。
「兵力としてはこれでも不足だろうが、実際にアルデンブルク領軍と戦うためというよりは、私の護衛としてみすぼらしくないようにと伴った戦力だ。ユーティライネン家の当主が自ら出張って強気の姿勢を示せば、敵側も現場指揮官の独断でこちらと事を構えることはするまい……後方に残っている騎士と兵士たちが、領内から民兵を徴集し、周辺の領主家にも援軍を求めている。数日中にもこのヴァレンタイン領へ部隊が集まるだろう。アルデンブルク卿がもし戦いを決断したとしても、その頃にはこちらにも相応の兵力が集まっているはずだ」
強行軍でやってきた家臣たちを休ませながら、サンドラは自身も抱えているはずの疲れを見せることなく語る。
「感謝します。我が領単独では時間稼ぎが精一杯だったので、本当に助かります」
「おかげさまで安心できました。ありがとうございます、サンドラ様」
彼女とその家臣たちをヴァレンタイン城に迎えたミカは、アイラと共にそう答える。
ユーティライネン家当主が直に動いた、という事実は抑止力として極めて大きい。エルトポリ経済圏の外ではまだあまり知られていない、ヴァレンタイン家がユーティライネン家の姻戚であるという事実をこれ以上ないほど強く示すことができる。それに加え、ユーティライネン家が協力を呼びかければ応える小領主家も多いため、揃えられる兵力が格段に増える。
ユーティライネン家当主が事態に介入した意味を、アルデンブルク家も当然に理解するはず。小領地への襲撃が、他の大領主家との全面戦争になるとすれば、西の地域における覇権を握ったとはいえ未だ不安定な状況にあるであろうアルデンブルク家が、これ以上の行動を起こす可能性は大きく下がる。
「構わない。我が従妹とその夫の領地を守るためだからな。それに、我が姻戚たるヴァレンタイン家の領地を襲ったアルデンブルク領軍の行動は、ユーティライネン家に対する挑戦でもある。意図的なものかどうかはまだ分からないが、これ以上の好き勝手は私の名において許さない」
そう語るサンドラは、これ以上ないほど頼もしかった。ユーティライネン家との繋がりを深めておいてよかったと、ミカは心から思う。
・・・・・・
サンドラの言葉通り、数日後には徐々に兵が集まり始めた。ユーティライネン領から百人規模の徴集兵部隊が到着し、フォンタニエ領やメルダース領といった近隣の領地からも、規模は小さいが援軍がやってきた。
一方で、偵察の結果、アルデンブルク領軍はコレット領からあらゆるものを奪い尽くし、既に西へと撤退したことが分かった。ミカとサンドラは西の現状を確認するため、集まった部隊を率いて進軍した。
「……これは、酷いな」
「はい。言葉になりません」
領主館も家々も破壊され、焼き払われ、そこら中に死体が放置されている光景を前に、サンドラは眉を顰め、ミカは沈痛な面持ちになる。
ミカも何度か訪れたことのあるコレット領は、あまりにも変わり果てていた。襲撃によって滅びた領地とはこのような悲惨な有様になるのかと衝撃を受けずにはいられなかった。領地滅亡がどのようなものか、頭では理解していたが、現実の光景として直に見ると、衝撃は段違いだった。
「ヴァレンタイン卿! ユーティライネン卿! こちらへ来てほしい!」
そのとき。自らヴァレンタイン領への援軍を率いているピエール・フォンタニエが、ミカとサンドラにそう呼びかける。ミカたちが彼の方へ向かうと、そこにあったのは――ダグラス・コレットと彼の伴侶の亡骸だった。
「……コレット卿は首元を剣で斬られて、奥方は腹を槍で貫かれて亡くなっている。二人とも勇ましく戦って散ったようだ」
こちらも自ら援軍を率いて来てくれたローレンツ・メルダースが、二つの遺体の身なりを整えながら言った。
「自領の民を逃がすために戦って散るとは、領主として見事な最期だ」
サンドラはそう言って、ダグラスと夫人の遺体に向け、胸の前で弧を描くように右手を動かして祈りを捧げる。
ミカもそれに倣い、ラーデシオン教における祈りの所作をする。そして、小さく嘆息する。
「……コレット卿は良き隣人でした」
「ああ、同感だ。話していて楽しい男だった」
「気が合うかはともかく、少なくとも一緒にいて気が滅入るような人物ではなかったな」
ミカの呟きに、ローレンツとピエールがそう返す。三人とも、ダグラスとはそれなりに付き合いがあった。
ダグラス・コレット。決して上品な人物ではなかった。善人であったかと言われると、それも分からない。
しかし、彼は伴侶共々、領地から逃げずに最後まで戦い、その結果として少なからぬコレット領民の命が助かった。その事実は決して揺るがない。
「ユーティライネン閣下! 報告いたします!」
そのとき。ユーティライネン領軍の騎士が一人、サンドラのもとへ駆け寄る。
「西よりアルデンブルク家の使者が訪れ、アルデンブルク家当主からの書簡を預けていきました。こちらになります」
西の警戒に出ていたらしいその騎士が差し出した書簡には、封蝋がなされていた。
「……確かに、アルデンブルク家の家紋だ」
そう確認しながら、サンドラは封蝋を割り、書簡を開く。しばらく無言で内容を読んだ後、薄く笑む。
「会って話したいそうだ。ユーティライネン家当主たる私と『こちらの兵が暴発して領地を攻撃してしまったヴァレンタイン家の当主』にな。アルデンブルク卿はあくまでも、穏便なかたちでの事態解決を望んでいるとのことだ」
そう言って、サンドラはミカの方を見る。ローレンツとピエールからも視線を向けられ、ミカは少しの間を置いて頷く。
「では、会って話すしかありませんね」
「ああ。アルデンブルク卿は既に近くまで来ているようで、数日中に少数の護衛を伴い、ヴァレンタイン領を訪れるつもりだそうだ。本当に平和的解決を望んでいることの証明のつもりだろう……ヴァレンタイン卿、卿の領地で会談を行って構わないか?」
ミカが頷くと、サンドラは了解した旨を伝えるよう騎士に命じ、発たせる。
それから間もなく。ダグラスと夫人の埋葬を終えたミカたちは、コレット領民たちの埋葬や後の片付けを兵士たちに任せ、ひとまずヴァレンタイン領へと帰還する。
コレット領を発つ前に、ミカは再び、その光景を見渡す。
「……」
もし、この光景がコレット領ではなく、ヴァレンタイン領に、我が領地に広がっていたら。そう思ってしまう。
今まさに兵士たちの手で村の広場に運ばれるコレット領民の遺体が、ジェレミーだったら。広場に並ぶ遺体のひとつ、おそらく凄惨な暴行を受けた末に死んだのであろう、正視に耐えない表情を浮かべた女性領民が、イェレナだったら。子供の避難が間に合わなかったのか、一家揃って並べられている遺体が、ルイスやフーゴや彼らの家族だったら。
まだ強烈に記憶に残っているダグラスと夫人の遺体が、自分とアイラだったら。ヴァレンタイン領がこのように襲われ、自分は領民を見捨てられず絶望的な戦いに臨み、そんな自分にアイラが付き従い、武器を手に死んでしまったら。
とても耐えられない。想像するだけで恐ろしい。今頭の中に浮かんだもしもの光景でさえ、できることならば記憶から消し去りたい。
絶対に、そんな結末を迎えてはならない。自分の愛する人を、家臣たちを、領民たちを、そのような悲劇的な目に遭わせてはならない。
何があっても、ヴァレンタイン領だけは、我が村だけは、幸せであらねばならないのだ。