第72話 ヒューイット領防衛戦①
「ミカ様……いえ、ヴァレンタイン閣下。畏れながら、お願いがございます」
軍議によって戦い方が決定した翌日。戦場へ移動し、会戦に向けた準備が始まる中で、ミカはヨエルからそう声をかけられた。
「どうしたの?」
「この度の会戦において、大将ヒューイット閣下が騎兵部隊を組織するため、騎乗戦闘を行える者を集めておられますが、私もその部隊に参加したく存じます。今の私はヴァレンタイン家の家臣候補であり、本来は護衛として閣下のお傍に控えるべき立場でありながら、このようなお願いを申し上げるのは誠に恐縮ですが……」
少々ばつが悪そうに言うヨエルに対し、ミカは穏やかに笑いかける。
「ランゲンバッハ家に滅ぼされたストラウク家のために、敵討ちをしたいのかい?」
「……その意図があることは否定いたしません。ですが、どちらかと言えば、己にけじめをつけるためにそうしたく存じます。去るように命令を受けたとはいえ、私はかつての主家を守護するという役目を捨て、ストラウク領より逃げました。かつての主人をお守りできませんでした。そのストラウク家を討った仇敵の軍勢が迫る今、敵軍を打倒するために己自身の手で敵軍へ剣を振るうことで、けじめをつけることができると思っております。かつての主家であるストラウク家への義理を果たすことが、真にヴァレンタイン家の家臣となる上で必要な過程であると……私が主人に忠誠を尽くす人間であるとヴァレンタイン閣下へ示すためにも、そうする必要があると考えます」
表情に覚悟を滲ませながらそう語ったヨエルを前に、ミカはしばし思案する。
彼は有能で忠実だが、ミカに対してまだどこか遠慮しているようなところがある。その背景にあるのが、かつての主家への引け目のような感情であることはミカも察していた。
こういうことは、理屈ではない。ヨエルは自身の中にあるストラウク家への引け目と決着をつけなければ、過去から解放されないのだろう。ミカはそう考え、彼に頷く。
「ヨエル、君の忠誠心と信念は素晴らしいと思うよ。騎兵部隊に参加することを許そう。馬はカティヤを使うといい。彼女にも初陣を経験させてあげて」
「……心より感謝申し上げます、閣下」
そう言って一礼し、軍馬カティヤを連れて騎兵部隊への集結地点へ移動しようとするヨエルに、ミカは後ろから声をかける。
「君の武運を祈ってるよ。君がストラウク家への義理を果たして、無事に戻ることを願ってる。戦いを終えて僕のもとへ帰ってきたら、君は我がヴァレンタイン家の正式な家臣だ」
ヨエルは振り返り、ミカと視線を交わして小さく頷くと、再び前に向き直る。
・・・・・・
それから間もなく。ヒューイット領とその南にある領地の境界付近で、両軍は対峙した。
北に布陣するヒューイット軍は、最終的な総兵力およそ六百二十。うち六十が別動隊として戦場の東に位置する砦に籠り、バリスタやカタパルトを運用する部隊の総勢六十ほどが、戦場北側の丘の上に置かれている。ミカ率いるヴァレンタイン軍のうち、ヨエルを除く五人もここにいる。
その丘の南側の麓には、五百ほどの本隊が整列。前方に正規兵と傭兵と徴集兵から成る歩兵部隊が並び、後方に少数の弓兵や投石兵から成る部隊。最後方には本陣が置かれ、その傍らには総勢三十騎ほどの騎兵部隊が控える。
対するランゲンバッハ軍は、推定で七百の兵力。そのうちおよそ百が東の砦を睨むように右翼側に置かれ、残る戦力はヒューイット軍の本隊を睨む。陣形はほぼ同じ。前衛に歩兵、後衛に少数の弓兵や投石兵。最後方に本陣と、数十騎規模の騎兵部隊。
その兵力を見ると、傭兵の割合が多い。ヒューイット軍の兵力を上回る分は、ほぼ全て傭兵と見て間違いない。
「おそらく、ストラウク家から奪い取った財産を傭兵集めの資金に投じたのだろうな」
「少し厄介ですね……上手く打撃を与えて押さえないと、敵の攻勢が勢いづくでしょうから」
丘の上の部隊を指揮するサンドラの言葉に、ミカはそう返す。
金で動く傭兵は、戦況が劣勢になるとすぐ逃げ腰になるが、優勢あるいは互角のうちは手強い敵となる。質のばらつきが大きいとはいえ、一応は専業の戦闘職なので徴集兵よりは全体的に士気が高く、装備も整っており、おまけに戦いに慣れている。その傭兵を多数集めて兵力的にこちらを上回るランゲンバッハ軍は、決して油断ならない強敵と言える。
「となると、この部隊の働きがより重要になるな。長射程の投射武器の効果が、多少の戦力差を覆すことを、この戦いで証明してみせよう」
「はい、僕も頑張ります」
サンドラに頷き、ミカは自身のバリスタと配下たちのもとへ移動する。
両軍は既に布陣を終え、戦場の中央ではパトリックと敵将ランゲンバッハ卿による交渉が行われるも、当然のように決裂した様子。戦いは間もなく始まる。
「それじゃあ皆、今回も頑張ろう……いざというときは頼んだよ」
ミカが呼びかけると、ディミトリを筆頭にヴァレンタイン軍の面々が力強く応える。
完全装備のディミトリは、敵が接近してきた場合のミカの護衛。ルイスはミカのバリスタ射撃を補佐しつつ、いざというときは投石紐を用いて戦い、敵が接近したらミカのクロスボウ射撃の補佐を担う。二人の領民は、ルイスと同じくバリスタの装填作業などを手伝い、敵が接近すれば大盾を構える。
「……」
ミカは丘の麓、騎兵部隊のもとに視線を向ける。パトリックの嫡女であり、ミカの義姉であるグレンダ・ヒューイットの率いるおよそ三十騎の中に、軍馬カティヤに乗ったヨエルもいる。
「始まるぞ! 射撃用意を!」
サンドラの号令が丘の上に響き、四台のバリスタと二台のカタパルトを運用するユーティライネン軍の兵士たちが動く。既に射撃準備を終えているバリスタやカタパルトに、矢や石を装填する。
ミカが念魔法で浮かび上がらせたバリスタにも、ルイスの手で素早く矢が装填される。
ヒューイット軍本隊は丘の麓で待ち構え、ランゲンバッハ軍がそこへ迫る。六百ほどの軍勢が、五百ほどのヒューイット軍本隊へと接近する。
両軍の距離は徐々に迫り、そして遂に、敵軍がバリスタやカタパルトの射程圏内に入る。
「放て!」
サンドラの鋭い命令が発せられ、丘の上の部隊は一斉に攻撃を開始する。
ミカが操るものを含む五台のバリスタから、槍のように太い矢が発射される。空気を切り裂く轟音を纏って飛翔した矢は、重力に従って徐々に高度を下げながら、敵陣へと向かう。
そして二台のカタパルトからは、拳大の石が大量に打ち出される。このカタパルトはミカが前世の映画などでよく見た振り子式のものよりも小型で、バリスタと同じねじりばねの機構を利用して石を打ち出すもの。ねじりばねと接続した支持腕の先端から勢いよく打ち出された石は、殺傷力を持つ雨となって敵陣に降り注ぐ。
攻撃を放ったバリスタやカタパルトは、すぐに第二射のための装填作業が始まる。ユーティライネン軍の部隊がそれぞれ数人がかりでバリスタやカタパルトの発射準備を急ぐ間に、ミカは魔法を活用して手早く自身のバリスタを装填し、さらに二度、矢を放つ。装填を補佐する人手が昨年の戦闘時よりも一人増えているので、ミカは細かい作業を彼らに任せ、自身は弦を引くための縄を巻き上げる作業に魔力を費やすだけで済む。
「……おぉ、効いてる効いてる」
取っ手を回して縄を巻き上げながら敵陣の様子を見やったミカは、そう呟く。
矢と石の雨が降り注いだ敵陣は、明らかに怯んでいた。実際に死傷した者の数はたかが知れているだろうが、その周囲にいた敵兵たちは、味方が遥か遠くから放たれた極太の矢に貫かれ、あるいは石に打たれて倒れた様を目の当たりにしたはず。動揺が広がっているのか、敵軍の前進の勢いは鈍っている。
ユーティライネン軍の部隊から第二射が放たれ、それに合わせてミカは四射目を放つ。今度は敵側から風魔法による援護が行われたが、せいぜい数人の風魔法使いでは、六百人が並ぶ陣の全てを守りきれない。幾らかの石が弾かれて勢いを失ったが、それ以外は無事に着弾。またバリスタの矢についても、軌道がぶれて速度が落ちながらも十分な殺傷力を保って落下する。
それを受けて、敵陣にはまた動揺が広がる。さらに、こちらの本隊の後衛、弓兵や投石兵や魔法使いたちからも矢や石や火球が飛び、敵兵の心身にさらに損害を与える。
それでも、さすがに遠距離攻撃だけで六百もの敵兵を撃退することはできない。前進の勢いを鈍らせながらも距離を詰めた敵軍本隊は、ついにこちらの本隊と激突する。人間同士が武器を構え、間近で殺意をぶつけ合う血みどろの白兵戦が始まる。




