第70話 良い報せと悪い報せ
鍛冶と木工、革加工の職人を領民として得たことで、ヴァレンタイン領の社会は機能面において概ね自立を果たした。
冬の間に職人たちのための工房も完成し、春にはユーティライネン領から必要な道具類が輸入されたことで、本格的に稼働を開始。それに伴い、領地発展のための活動の自由度は大幅に上がることとなった。
そして、四月の中旬。これらの工房で作られた連射式クロスボウが、職人たちからミカへと献上された。ミカが行き場のない彼らを受け入れ、工房まで用意したことへの感謝の証として。
「それでは閣下。どうぞ、お収めください」
領主館の大部屋。職人たちが三人揃って頭を下げ、代表して鍛冶職人がクロスボウをミカへ差し出す。
「……うん、良い仕上がりだ。三人とも、さすがはストラウク領の工業を支えていた腕利きの職人たちだね」
このクロスボウの性能面については、製造過程で既に試射などを行っているため、問題ないことが分かっている。その上で領主の扱う武器として細部が丁寧に仕上げられた様を確認し、ミカは微笑を浮かべて言った。
献上された連射式クロスボウは全体が綺麗に磨かれ、漆が塗られて滑らかな手触りに。鉄製部品も、弓や弦を固定する革製部品も、試射時にミカが見たときよりもさらに丁寧に作り上げられ、装飾も施されている。職人たちの技量が高いことを証明する。文句なしの完成度だった。
「お褒めに与り、我ら一同恐縮に存じます」
「本当に良い仕事をしてくれた。こうして二台目のクロスボウを得たことで、僕は魔法の力を最大限に発揮して戦えるようになるよ」
十連射が可能なミカの連射式クロスボウだが、弾倉の交換時だけは無防備になる。慣れれば数秒で終わる作業とはいえ、実戦ではその数秒が命取りになりかねない。
しかし、連射式クロスボウが二台になったことで、その弱点も解消される。傍に手伝い役を一人置いておけば、弾倉交換はその者に任せ、ミカ自身は延々と矢を放ち続けることが可能となる。
弾倉交換に一人を割く必要がある上に、ミカとその手伝い役を守るためには大盾を構える護衛の人数も増やす必要があるため、戦場ではディミトリも含めて五人ほどのお供が必要となるが、大型クロスボウから一秒に一射のペースで絶え間なく矢を放てるとなれば、それだけの人数を割くに値する凄まじい破壊力を発揮できる。ヴァレンタイン領の人口は着実に増えているので、戦時にはそれだけの人手を割く余裕もある。
それだけ絶え間なく攻撃をくり出すのであれば矢の消費量も増えるが、領内で職人たちが工房を構えている以上は、矢が日々増産されるので問題ない。
「今後とも、ヴァレンタイン家とこの地の御為に尽くしてまいります」
「君たちの働きに期待しているよ。これから領内社会を支えて、我が領の発展と安寧に貢献してほしい」
さすがは大領主家の膝元にいた職人たちというべきか、慇懃な態度を崩さない三人に、ミカはそう激励の言葉をかける。
彼らは今後、領民たちの農具や、城と家屋の建設に必要な部品などを作りつつ、領地防衛のための装備製造も担う。ミカの連射式クロスボウやバリスタの矢を増産し、領民たち向けのクロスボウ製造も行う。
職人たちの奮闘もあり、以降ヴァレンタイン領の防衛力は急速に高まっていくこととなる。
・・・・・・
土魔法使いであるヨエルを領民として迎えたことで、ヴァレンタイン領における家屋建設の効率は大幅に上がった。
木材を運んで設置する作業はミカが念魔法で行い、土台部分の土を掘ったり、木材を設置した後に根元を埋めたりする作業はヨエルが土魔法で行う。そうして重労働に魔法を用いることで、建設作業に要する人手は通常の半分以下で済むようになった。空いた人手は建設に必要な資材の加工作業に回すことができるようになり、その加工作業も木工職人が領民に加わったことで質と速度の両面で向上している。
結果、ヴァレンタイン領には次々に新たな家屋が作られ、城の建造もミカの予想を上回るペースで進んでいる。
作られているのは家屋ばかりではない。聖暦一〇四五年の四月下旬、新たに完成したのは、この村において初の神殿だった。
「おお、これは立派な……ヴァレンタイン閣下、ラーデシオン教の守り手の一人として、心より感謝申し上げます」
「領主の僕はもちろん、領民たちとしても、村に神殿を持つことはずっと望んでいたことだったからね。皆の念願を叶えるためにも、神への信仰心を示すためにも、できる限り良いものを作るのは当然のことだよ」
エルトポリの神殿より、自ら志願してヴァレンタイン領へと移り住んできた若い神官と、ミカは言葉を交わす。
二人の前には、木造の真新しい神殿。小領の神殿にしては十分以上の大きさがあり、今後人口が増えても十分に対応できるようになっている。
ダリアンデル地方で広く信仰されているラーデシオン教だが、宗教組織としてのラーデシオン教会は、かつてこの世界を広く支配していた古の大帝国の崩壊やその後の動乱の時代の中で、大幅に弱体化した。現在では、エルトポリのような都市にある大きな神殿を中心に、その周辺の神殿が緩やかに連帯する程度の組織力となっている。
それでも、文化や歴史や社会秩序、人々の倫理観の根底にラーデシオン教がある以上、神殿の影響力は決して弱くない。世俗での直接的な力は小さくとも、権威をもって社会の安定や領主層の特権維持に貢献するなど、一定の存在感を発揮している。
だからこそ、領内に神殿を構えることは、ミカにとって急ぎ達成すべき目標のひとつだった。
「では、早速ですが今週より、安息日の儀式を行わせていただきたく存じます」
「よろしくね。僕も毎週の儀式に出向くようにするよ」
「それは何よりです。信仰を守られる閣下の行いを、神もご覧になっておられることでしょう」
神官はそう言って一礼し、神殿へと入っていった。
・・・・・・
晩春のある日。ミカは例年のように夏穀の農地を耕す作業に励み、夕方に領主館へと帰宅した。
そんなミカをいつものように迎えてくれたアイラは、何故か普段にも増して笑顔だった。
「おかえりなさい、ミカ」
「ただいま、アイラ……何かいいことがあったの?」
ミカが尋ねると、アイラはますます笑みを深めて頷く。
「今月は月のものが来るのが遅いねって話してたでしょう? もしかしたら子供を授かったのかもしれないねって。それで、今日のお昼頃に少し気分が悪くなって……そしたら、ヘルガさんとビアンカさんが、それは懐妊したときの症状だって。月のものがないことも併せて考えたら、子供を授かったと思って間違いないだろうって」
それを聞いたミカは、目を大きく見開く。
「そ、それじゃあ……今、アイラのお腹には」
「ええ、きっと私たちの赤ちゃんがいるのよ」
泣き出しそうにも見えるほどの満面の笑みを浮かべ、アイラは答えた。
「や、やった! ありがとうアイラ! 本当にありがとう!」
「ふふふ、私たち二人で頑張ったからよ」
力強く、しかしアイラの腹部を圧迫しないよう気をつけながらミカは彼女を抱き締め、アイラもそれに応えながら言う。
「えっと、それじゃあ、これから気をつけることは……」
「ヘルガさんとビアンカさんの話では、お腹が大きくなるまではそんなに意識しなくて大丈夫らしいわ。私は多分、懐妊して一か月か二か月くらいだから、あと四、五か月は普段通りに生活して大丈夫。その後も、無理に激しく動いたりしなければ問題ないそうよ。農民の女性たちなんて、出産の直前まで軽い農作業をしてる人も多いそうだから」
「そ、そうなんだ。女の人ってたくましいんだね……だけど、アイラは初めての懐妊だし、無理はしないでできるだけ穏やかに過ごそうね」
ミカが心配げな表情で言うと、アイラは優しく微笑んで頷く。
「ええ、そのつもりだから心配しないで。私たちの赤ちゃんのためだから、いつも以上に体調に気をつけて、疲れすぎないようにするわ」
現在妊娠一、二か月ということは、出産はおそらく年末年始の頃になる。それまで何事もなく穏やかに時が過ぎてほしいと、ミカは強く願う。
・・・・・・
そのように願ったときほど事は思い通りにいかないもの。農地を耕す作業も終わりに近づいた五月の下旬に、不穏な報せがミカのもとへ舞い込んだ。
「ランゲンバッハ家が、従属させている小領地群にも呼びかけて兵力を集めているそうです。噂によると、ランゲンバッハ領から見て北に位置するエルトポリの経済圏、その南端にあたるヒューイット領への侵攻を目指すとランゲンバッハ卿が宣言しているそうです」
そう語るのは、エルトポリからつい先ほど帰ってきた御用商人アーネストだった。彼の言葉を聞いたミカは神妙な表情になり、その隣に座るアイラは不安げな表情で動揺を示す。彼女の腕の中にいるぬいぐるみのアンバーが、ぎゅっと一層強く抱き締められる。
「そうか。敵が集結する前から予兆を察知できるなんて、さすがは交易都市エルトポリの情報網だね……それにしても、アイラの故郷に武力侵攻しようとするなんて」
「エルトポリはユーティライネン領を中心としたこの地域はもちろん、周辺の地域から見ても重要な交易拠点であり、流通の中継地点です。自領のある地域一帯を支配したランゲンバッハ卿がさらなる躍進を望むのであれば、エルトポリ経済圏に手を伸ばし、ゆくゆくはエルトポリそのものを支配下に置こうと考えるのは理解できることですが……これほど早く、これほど露骨に武力行使に及ぼうとするとは驚きました」
語るアーネストの表情と声色も、深刻そうなものだった。可能性のひとつとして予想されていたこととはいえ、ヴァレンタイン家の重要な姻戚の領地に他地域の軍勢が迫ろうとしているというのは、恐るべきことと言える。
「ただ、朗報もございます。侵攻の予兆が早期に察知されたことで、ユーティライネン家はヒューイット家を助けるべく、こちらも兵力を集め始めているそうです。ユーティライネン領や、エルトポリ経済圏の南部に位置する各領地から、多くの兵が集まる見込みとのことです」
「……では、きっと私の故郷は守られますね。ヒューイット城は堅牢ですし、領地の南には、ランゲンバッハ領のある地域との境界を守る砦もありますから。そこを拠点に他家の援軍も合わせた軍勢が戦えば、きっと……」
続く報告を聞き、アイラがそう語る。まるで自分に言い聞かせるような様子で。
「そうだね、アイラの言う通りだ。ヒューイット卿や次期当主のグレンダ殿は強く立派な方だし、ユーティライネン卿もきっと自ら軍を率いられる。ただ勢いに乗って侵攻してくる他地域の軍勢なんかに敗けはしないよ……それに、僕も援護に出向くし」
ヴァレンタイン領はエルトポリ経済圏の西端に近い位置にあり、ヒューイット領からはやや離れている。が、妻の実家の危機を前に、自分が動かないことはあり得ない。たとえ呼ばれずとも、自ら進んでヒューイット領の戦場へ向かうべき。
幸いにもヴァレンタイン領には、自分自身をはじめ少人数で大きな火力を発揮できる戦力があるのだから、助太刀に行けば大きな貢献ができるはず。ミカはそう考えている。
「ミカ……ありがとう。だけど、どうか無理はしないで。ヒューイット領は私の故郷だけど、あなたは私の夫で、私の全てなんだから」
生まれ故郷を思う気持ちと、最愛の夫を心配する気持ちが合わさった複雑な心境を表すように、アイラは瞳を不安定に揺らしながら言った。ミカはそんな妻の手を優しく握り、微笑して頷いた。




