第68話 御用商人
冬が明け、三月の中旬。ユーティライネン領の領都エルトポリより、ヴァレンタイン家の御用商人アーネストがやってきた。二台の荷馬車に、かつてない大荷物を載せて。
「ヴァレンタイン閣下。これからお世話になります。あらためて今後ともよろしくお願い申し上げます」
「無事に着いて何よりです、アーネストさん……いや、アーネスト。これからよろしく」
馬車から下りて丁寧に一礼したアーネストに、ミカは口調をあらためながら答える。
この春から、アーネストは商売の拠点をこのヴァレンタイン領に移す。彼はこの村に暮らし、領民向けに店舗を開き、村とエルトポリを往復するかたちで仕事をすることになる。
正式に領内に居を構えることで、彼はヴァレンタイン領民の一人となる。だからこそミカも、領主としての態度で彼に対応する。
「早速だけど、君の店と家に案内しよう。こっちだよ」
ミカはそう言って、アーネストの一行を先導する。
向かったのは、村の中心にある広場の北側。そこには広場に面して店舗が立ち、そのさらに北側に隣接して家屋が建てられている。今後の領地規模拡大に備えて店舗はあらかじめ大きく、倉庫も広く作られ、家屋の方も領主家の御用商人が住むのにふさわしい立派なもの。
「これは……これほど立派な店と家を、本当にいただいてよろしいのですか?」
「もちろん。君は僕が領主になったばかりの頃から親切にしてくれたし、こうして領地が発展途上のうちから拠点を置いてくれるんだから。せめてこれくらいはしないとね。気に入ってもらえたかな?」
ミカの問いに、アーネストは笑みを浮かべて深く頷いた。
「はい、大変な厚遇をいただき、本当にありがたく存じます。いただいた御恩にお応えするためにも、商人として一層頑張ってまいります」
店と家を大層気に入った様子のアーネストを横目に、ミカも満足感を覚える。今後のヴァレンタイン領の要人にこれだけ喜んでもらえたのであれば、冬空の下でヨエルと共に魔法を駆使し、建設に励んだ甲斐があるというもの。
「それじゃあ、中も見てくるといいよ。荷物もたくさんあるみたいだし」
「はい、そうさせていただきます……さあ皆、運び込んでくれ」
アーネストが言うと、二台の荷馬車に乗っていた者たちが下車し、荷台から荷物を下ろして運び始める。
先頭の荷馬車に乗っていたのは、以前からアーネストが従業員として連れていた女性。エルトポリの中堅商人の娘だという彼女は、昨年にアーネストと結婚したという話だった。おそらくは彼女の実家も、気鋭の若手商人であるアーネストに嫁がせる前提で娘を雇わせていたのだろうとミカは思っている。
そして二台目の荷馬車に乗っていたのは、こちらもアーネストが以前から従業員として連れていた、腕っぷしの強い肉体労働担当の男。ミカの目から見ても真面目な働き者であった彼を、アーネストは好待遇で引き続き雇用するという。彼も妻と二人の子供を連れて移住し、アーネストの家に部屋を与えられるという話は、ミカもあらかじめ聞いている。
自身と妻、そして従業員一家。アーネストが大所帯で移住してきたことで、ヴァレンタイン領の人口は新たに六人も増えた。
大荷物が少しずつ運び込まれる様子を眺めながら、ミカは再びアーネストに話しかける。
「ところで、例の件については何か分かった?」
「ええ、冬の間にも南から少しずつ情報が入ってきましたし、冬明けの後、私たちがエルトポリを発つまでの間にはより多くの情報を得られました」
ヨエルたち新領民が故郷を追われるきっかけとなった戦争について、ミカは詳細やその後についての情報を集めるようアーネストに頼んでいた。ミカの問いに頷いたアーネストは、情報収集の成果を語り始める。
それによると、ランゲンバッハ家がストラウク家と激突し、大勝利を収めたことは間違いないという。ストラウク家は断絶し、その領地はランゲンバッハ家と従属する小領主家が山分け。ランゲンバッハ家は大森林の南の地域において圧倒的な力を誇る大領主家となり、抱える領地人口は優に七千を超え、地域内の小領地群に極めて強い影響力を持つ存在になっている。
そして噂では、現当主ランゲンバッハ卿は一地域を支配してもなお満足していない。さらに周辺地域へと影響力を拡大させることを目論んでいるとも言われ、そうなると、勢力圏を接するユーティライネン家やその影響下にある領主家も事態に無関係とは言えない。政治的にはもちろん、軍事的な衝突が起こることも十分あり得る。
「なるほど、なかなか厄介な話だね。アイラの実家のヒューイット家はランゲンバッハ家の勢力圏と直に領地を接しているわけだし、もし武力衝突が起こるなら、うちも関わることになる」
「引き続き情報収集に努め、南で動きがあれば早期に分かるようにいたします。もしランゲンバッハ家が軍事行動を起こすのであれば、規模も大きくなるでしょうし、そうなると予兆も掴みやすいでしょうから」
「うん、よろしく頼むよ……さて、話は変わるけど、君にひとつ贈り物があるんだ」
声を潜めるようにしてアーネストと話していたミカは、そこで声色を明るくする。
「贈り物、でございますか?」
「うん。君がこの地で商会を立ち上げるお祝いとして受け取ってほしい。我が領で新しく作られるようになった特産品だよ」
言いながらミカが傍らに視線を向けると、そこに控えていたディミトリが頷き、懐から小さな壷を取り出す。それを受け取ったミカは、そのままアーネストに手渡し、中を見るよう促す。
「これは……ま、まさか! さ……」
壷の中に収められていたもの――砂糖の名を叫びかけたアーネストは、寸前で自身の口を塞ぎ、声をこらえる。
「さ、砂糖でございますか?」
「そうだよ。舐めて確かめてみるといい。領内で馬を飼うようになって、飼料のひとつとして甜菜を育てるようになったら、子供の頃に根を齧ってみて甘みを感じたことを思い出してね。もしかしたら砂糖が作れるんじゃないかと思って去年の秋から試行錯誤してみたら、幸運に恵まれて砂糖らしきものを作ることができたんだ」
先ほどよりもさらに声を潜めて尋ねてきたアーネストに、ミカは頷いて説明する。
甜菜からの砂糖生産の工程は、昨年の秋以降も改良が続けられた。その結果、今では商品として売っても問題ないであろう品質の砂糖を作る方法が確立されている。
「なるほど、甜菜から……確かに砂糖の味です。ですが、原料が甜菜だということまで明かしていただいてよろしかったのですか?」
「構わないよ。僕は今後、この砂糖を領外へ輸出する実務を君に一任するつもりだから。そうなれば君も莫大な利益を手にすることになる。共に富を得ていく上で、君への信頼を行動で示すためにも、原料を明かすくらいのことは何てことないよ」
アーネストが領外の人間であった頃はさすがに砂糖やその原料のことは明かせなかったが、この地に移住していよいよヴァレンタイン家と運命共同体になるのであれば、秘密をひとつ共有することで彼との信頼関係をより強固にする方がいい。この先得られる利益を考えればアーネストも領外の人間に砂糖の原料を明かすことはしないであろうし、そもそも領内での甜菜の扱われ方を観察していれば、彼はそう遠くないうちに甜菜から砂糖が作られていると気づいたはず。ミカはそのように考えている。
「ご信頼いただきありがとうございます。神に誓って、この件は決して口外いたしません」
「ありがとう。僕は元より何も心配してないよ……ひとまずこの砂糖は、引越し祝いとして受け取ってほしい。今のところうちには試作した砂糖が少しある程度で、商売になるほどの量じゃないけど、今年の秋に甜菜を収穫したら本格的な量産に移る。向こう数年はユーティライネン家だけにこっそり卸して、お金を稼ぎつつ砂糖産業を守れるだけの力を身に着けていくつもりだから、この件はまだしばらく秘密ということで頼むよ」
「かしこまりました」
口元に人差し指を当てながらミカが言うと、アーネストはしっかりと頷いた。




