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うちの村だけは幸せであれ ~前世の知識と魔法の力で守り抜け念願の領地~【書籍化決定】  作者: エノキスルメ
第三章 変化は外からやってくる

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第62話 平和な秋

 聖暦一〇四四年の十月上旬。ミカとアイラが結ばれて一か月ほどが経ち、二人が夫婦として暮らすことにすっかり慣れた頃。ユーティライネン領より、待望の農耕馬がヴァレンタイン領に届けられた。

 合わせて、エルトポリの工房に注文しておいた二台目の犂も到着。二頭の農耕馬と新たな犂は、冬穀の小麦やライ麦用の農地を耕す作業で早速活躍し始めた。


「やっぱり、村の農地全体を犂で耕すにはもう何頭か必要だねぇ。三年以内には揃えたいなぁ」


 既に馬と犂の扱いを覚えた数人の領民たちが農耕馬に耕起作業をさせる様を眺めながら、ミカは呟いた。今は念魔法で犂を牽く作業の休憩中。手には魔石の粉末入りの水が入った水筒が握られている。

 二頭の農耕馬では、村ひとつの農地を全て耕すことはできない。ミカも引き続き魔法で農地を耕しているが、それを合わせても農地の全面を犂で耕すには至らない。

 犂の恩恵を農地全体にもたらすには、せめてあと二頭一組の農耕馬が欲しい。ミカ自身が犂を牽く作業から解放されるには、さらにもう二頭を購入したい。ミカはそう考えている。

 幸い、資金の面では数年中にもう四頭の農耕馬を購入する目途は立っている。ヴァレンタイン領の収入は以前よりも増えており、ヒューイット家から受け取った多額の持参金もある。砂糖に関しても、早ければ来年から収入になり始める見込み。


「それだけ馬を増やしたら、ディミトリたちが世話をするのもなかなか大変だと思うけど……」

「そこは任せてください。イヴァンさんに色々教えてもらって、俺も一通りの世話はできるようになりましたんで。マルセルさんや領民の皆も手伝ってくれますし、馬があと何頭か増えてもしっかり面倒を見ますよ」


 ミカの言葉に、ディミトリは自信ありげに答える。

 前領主家の有する馬の面倒を見ていたため、使用人イヴァンは馬の世話に慣れている。そのイヴァンから教えてもらい、ディミトリは馬の世話の仕方を日々学んでいる。

 農耕馬はヴァレンタイン家が所有して領民たちに貸し出すかたちをとっているが、自分たちが農作業に使う馬だからと、マルセルをはじめとした領民たちも世話に協力してくれている。二頭の農耕馬も、ミカがパトリックから与えられた一頭の軍馬も、皆がよく面倒を見てくれている。

 餌に関しても、燕麦や甜菜が無事に収穫されたことで十分に確保されており、馬の維持に問題はない。


「ならよかったよ。ディミトリも領主の従者としてどんどん頼もしくなっていくねぇ……城の建造も順調に進んでるし、近いうちに新しい使用人を迎えないとね。イヴァンもヘルガも、もうすぐ引退することになるだろうし」


 領主館で屋外の仕事を担うイヴァンも、屋内の仕事を担うヘルガも、既に老人。今のところは二人とも元気だが、働けるのもあと数年と思うべき。ヴァレンタイン家が城に居を移せば働き手はディミトリとビアンカだけでは足りないため、新たに人を雇わなければならない。

 ちなみに城に関しては、ミカの予想よりも早く作業が進み、今年中にも土台となる人工の丘が完成する予定。その後はいよいよ丸太柵で丘を囲み、館などの建造物を造っていくことになる。


「さてと、そろそろ作業を再開しようか」


 ミカはそう言って立ち上がり、魔法を発動させて犂を動かす。


・・・・・・


 冬穀の種蒔きに向けての耕起作業も終わった十月下旬。ヴァレンタイン領の領主館。ミカは厨房で、鍋の前に立っていた。


「だいぶ柔らかくなってきたみたいだねぇ」

「本当ね。それに、仄かに甘い匂いもしてきたわ」


 ミカの呟きに答えたのは、傍らに立つ伴侶アイラ・ヴァレンタイン。二人の前では、鍋の中で甜菜が煮込まれている。

 ミカとアイラは今、甜菜糖の初めての試作を行っている。まずは糖分を抽出するため、細かく刻んだ甜菜の根をお湯で煮ている。


「そろそろいいかな。煮汁を移そう」


 ミカはそう言って鍋を火から下ろし、アイラが用意してくれた別の鍋に傾ける。甜菜の根は鍋の上に置かれたざるの上に残り、煮汁だけがざるを通り抜けて下の鍋に入る。


「ミカ、この根は絞った方がいいかしら?」

「そうだね。まだ糖分が含まれてるから、絞れるだけ絞ろう」


 甜菜の根がある程度冷めた後、ミカとアイラはそれを鍋の上で絞る。その後は煮汁を布で濾し、目立つ不純物を取り除く。そうして二人が仲良く砂糖作りを進める様を、厨房の隅の椅子に座らされたぬいぐるみのアンバーが眺めている。


「よし、次はこの煮汁を煮詰めて、水分を飛ばしていこう」


 ミカはそう言って、濾された煮汁を再び火にかける。ぼこぼこと煮立つ液体の表面に浮いてきた灰汁を匙で掬い、時おりかき混ぜ、水分を飛ばしていく。


「ミカ、汗を拭きましょうね」

「うん、ありがとう」


 火の前で長く作業をしていれば汗が出る。傍らから布で顔の汗を拭いてくれるアイラに礼を言いながら、ミカは煮汁を煮詰める作業を続ける。

 この作業には長い時間がかかるので、途中でアイラや、ビアンカやヘルガに交代してもらう。昼食や別の仕事を挟みつつ数時間も煮詰めると、煮汁は水分のほとんどが飛び、糖分が残る。まるで溶けたキャラメルのようだとミカは思った。


「……完成かな。鍋から出して冷やそう」

「分かりました」


 煮詰める作業を担っていたビアンカはミカの言葉に頷き、普段はまな板として使われている木板に布を広げ、その上に鍋を傾ける。

 どろりと流れ出てきた鍋の中身は、しばらくすると布の上で冷えて固まり、茶褐色の結晶状の固形物となった。


「……これが砂糖ですか。なんか石みたいだな」

「私は砂糖を見たことがないですから、上手くできてるのか分からないわ」

「わ、儂も……」


 ディミトリが率直な感想を呟き、ヘルガと、砂糖作りが気になって見物に来ていたイヴァンがそう語る。


「ミカ様、これは……成功なんでしょうか?」

「まあ、初めてにしては形になった方じゃないかな……実は僕も、一回しか砂糖を見たことはないんだよね」


 ビアンカに尋ねられ、ミカは首を傾げながら答えた。

 前世では気軽に手に入る調味料だった砂糖も、この世界のダリアンデル地方では極めて貴重なもの。ミカはまだ父が生きていた頃に、一度だけ砂糖を食べさせてもらったことがある。

 その砂糖も前世の真っ白なものとは違い、黒砂糖やブラウンシュガーなどと呼ばれていたものに近かった。目の前にある板状の固形物を粉々に砕けば、この世界における砂糖と同じようなものができそうではある。


「私も砂糖を食べたことは数えるほどしかないけれど……これを砕けば、記憶にある砂糖と似たようなものができそうに思えるわ」

「それじゃあ、とりあえず割って食べてみようか」


 自身が思ったのと同じような感想を語ったアイラに答え、ミカは煮汁をかき混ぜるのに使ったへらで茶褐色の固形物を割っていく。

 そして、この場にいる皆がそれぞれ小さな欠片を手に取り、口に含む。


「……美味え!」

「わあ、甘ぁい……」


 ディミトリが目を丸くして声を上げ、ビアンカが表情をとろけさせる。


「こ、こんな甘いもの、六十年以上生きてきて初めて食った……」

「本当ねぇ。なんて美味しいんでしょう」


 イヴァンとヘルガは感動した様子で、それぞれ呟く。


「……うん、ちゃんと砂糖だね」

「ええ、昔食べた砂糖と同じような味がするわ」


 砂糖を食べるのはこれが初めてではないミカとアイラは、それでも濃厚な甘みに表情をほころばせながら、顔を見合わせて頷き合う。


「だけど……ちょっと雑味が強いかな。それに、少し焦げちゃってるみたい。まだ改良の余地はありそうだね」


 砂糖には違いないので、仕上がりがやや大雑把でも十分に高価な嗜好品としては売ることができる。しかし、砂糖生産の拠点かつ領地の防衛拠点となる城がまだ完成しない今年のうちは、砂糖を本格的に量産して領外へ売るのはリスクが高い。

 ミカは元より、今年は砂糖の試作と改良までに留めておくつもりだった。甜菜栽培もその前提で行ったので、生産量はそれほど多くない。

 不純物の取り除き方と、煮汁の煮詰め方。これから工夫を重ね、より質の良い砂糖を作る方法を確立していけばいいだろうと、ミカは考える。


・・・・・・


 冬を前にして、城の土台となる人工の丘がついに完成した。

 土を盛ってはシャベルで叩き固め、足で踏み固め、さらにはミカの転がす大きな丸太で押し固められた丘は、人工とは思えないほど強固でしっかりとしたものに仕上がっている。

 次に始まるのは、城の敷地を囲む丸太柵の建造。森の木々を伐採して確保した丸太杭の先端を尖らせ、地面に打ち込み、それを並べて壁を作っていく。


「それじゃあ打つよー!」


 周囲に人がいないことを確認し、皆に呼びかけて注意を促した上で、ミカは丸太杭を打つ。丸太壁を築く位置の目安となる浅い穴が掘られた地面に、念魔法で持ち上げた丸太杭を落として突き刺した上で、太く短い別の丸太を持ち上げてハンマーのように振るい、丸太杭の頭を叩く。

 重量のある丸太を勢いよく叩きつけられ、丸太杭は徐々に地面に打ち込まれていく。丸太杭のうち地面に埋まる部分は、腐敗防止のために表面を火で炙って炭化させてある。炭化した部分の大半が見えなくなるまで地面に打ち込んだミカは、次の丸太杭を持ち上げる。

 こうして作業を続け、この日は三メートルほどの幅の壁が新たに築かれる。これまでに建造した部分と合わせると、二十メートル近い壁が完成したことになる。


「ここまで来ると、なかなか壁らしくなってくるねぇ」

「この短期間で、この進み具合……さすがはミカ様の魔法ですね。去年の戦いで壊れた家を建て直した際にも思いましたが、人力の何倍の効果があることか……」

「あははっ。個人的には、戦いじゃなくてこういう作業だけで魔法の力を発揮していたいね」


 作業の進捗を見にきたマルセルと、ミカは言葉を交わす。

 丸太壁の建造には賦役の当番である数人の領民も参加しており、彼らは丸太材を削ってミカが打ち込む丸太杭を作り進めたり、地面に打ち込まれた丸太杭の根元とその周囲の穴を土で埋め固めたりと、人手の数が必要な作業を担っている。


「この調子で進められたら、丸太杭を打つ作業自体は来年の春までに終わりそうだけど……丸太杭を作る作業の方が追いつかなくなりそう。丸太の先端を尖らせるのは細かい作業になるから、僕の魔法も効果が薄いし。冬に入ったら、多少の報酬を出すから賦役以外の日も手伝ってくれる人手を募りたいな」

「では、今のうちから皆に呼びかけて、手伝いの人手を募っておきましょう」

「ありがとう。よろしく頼むよ」


 丸太壁の建造が終われば、その後はいよいよ内部の建物を造ることになる。仕事と生活の場となる主館が完成すれば、早ければ来年中にも城に移り住めるかもしれないとミカは考える。


 その日の夜。眠りにつく前に、ベッドに並んでミカとアイラは語らう。


「開拓も城造りも順調に進んでるし、この調子なら予定通り、来年から移住者集めができるかな」

「それじゃあ、いよいよ領地規模を拡大していくことになるのね……これもあなたが真面目に頑張ってきた結果ね。凄いわ。さすがミカね」

「あははっ、それほどでもないよ」


 アイラに抱き締められながら、ミカはまんざらでもない表情で笑う。

 晩秋ともなれば、夜は随分と気温が下がる。二人とも一糸纏わぬ姿だが、昨年の末にミカが狩ったツノグマの毛皮布団を被っているので寒くはない。

 稀少なツノグマの毛皮は、相当な高級品。狩った際の傷もほとんどない一枚の毛皮を布団にして使うというのは、とても贅沢なことと言える。持ち物で裕福さを誇示して家格を守るのもの領主の大切な仕事。「自分で狩ったツノグマの毛皮を売らずに布団として使っている」と言えば、強さの点でも裕福さの点でも、誰からも舐められない。


「頑張ってるあなたに、今夜もご褒美をあげないとね。それに、世継ぎ作りも領主の大切な務めだから……今夜も一緒に楽しみましょうね、ミカ」

 妖艶に微笑みながら、アイラはミカに覆い被さる。

「そうだね。愛してるよ、アイラ」


 結婚してからすっかり積極的になった最愛の伴侶を、ミカは無抵抗で受け入れる。

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