第60話 結婚式①
聖暦一〇四四の九月上旬。ミカとアイラの結婚式を翌日に控える中で、ヒューイット家とユーティライネン家の一行が来訪した。エルトポリで合流したらしい彼らは、連れ立ってヴァレンタイン領に到着した。
「前領主家がこの地を治めていた頃に、西へ赴くために一度だけ通過したことがあるが……その頃と比べると、目に見えて発展しているな。有能な領主が治めるだけでここまで変わるか」
馬車から降り立ったサンドラ・ユーティライネンは、村を見回してそう評した。
そんなサンドラを、ミカとアイラは揃って出迎える。
「ユーティライネン卿、ようこそお越しくださいました。心から歓迎します」
「サンドラ様、お久しぶりです」
「出迎えに感謝する、ヴァレンタイン卿。それにアイラも。此度の訪問、楽しみにしていた。滞在中はどうかよろしく頼む」
「小さく貧しい領地ですが、精一杯おもてなしさせていただきます」
サンドラとの挨拶を終えたミカは、次いでヒューイット家の人々――当主パトリック・ヒューイットと、彼の嫡女グレンダ・ヒューイットの方へ向かう。
「ヒューイット卿、そしてグレンダ殿、ようこそヴァレンタイン領へ」
「久しいな、ヴァレンタイン卿。此度は世話になる」
「初めまして。お会いできて嬉しく思います」
パトリックと並んで挨拶を返してくれたグレンダは、柔和な雰囲気のアイラとは違い、佇まいに力強さのある凛々しい女性だった。
「お父様、お姉様、お久しぶりです」
「ああ。こちらに送った家臣たちから報告は聞いていたが、元気そうで何よりだ」
「去年と比べてますます雰囲気が明るくなったわね。よほど楽しく過ごしていたのね」
アイラは甘える表情で父と姉に歩み寄り、パトリックとグレンダも優しげな表情で答える。その様子から、やはりアイラは家族から可愛がられてきた末っ子なのだとミカは思った。前世では兄弟がおらず、今世では兄弟仲の良くなかったミカとしては、少し羨ましく感じる。
「それでは皆様、どうぞ館の中でお寛ぎください。皆様の居城とは比較にならない粗末な館ではございますが」
ミカはそう言って、一同を領主館の中へ案内する。
館が小さく古びていることはどうしようもないが、この日のために掃除だけは徹底してある。つい今朝まで、ヘルガとイヴァンとビアンカ、ディミトリ、さらにはアイラやミカ自身まで、ヴァレンタイン家よりも遥かに裕福で力のある領主たちを迎えるための準備に勤しんだ。室内は埃ひとつなく、ベッドの布は全て綺麗に洗濯され、中の藁も新品に換えられている。
ヴァレンタイン領がまだ小領地であることはサンドラもパトリックたちも承知の上であるはずなので、家格に相応の丁寧なもてなしをすれば、無礼になることはない。少なくとも、清潔で快適な滞在環境は整えられている。準備に抜かりはない。
・・・・・・
客人たちが到着し、一段落した後。ミカはパトリックから、アイラの嫁入りに伴う持参金を渡された。
持参金は金貨百五十枚に加え、若い軍馬が一頭。二年前と比べれば飛躍的に収入が増えたとはいえ、まだまだ貧乏であるヴァレンタイン家から見れば、凄まじいものだった。ヒューイット家が領地規模に比して裕福であることに加え、父親としてのパトリックの個人的な気持ちも乗せられているらしかった。
来年より本格的に領地の規模拡大を目指す予定のミカにとって、資金は何より大切。幾らあっても困らない。まとまった現金は、非常にありがたいもの。
そして軍馬に関しても。弱小とはいえ領主である以上は、自らの馬も持っていないのでは様にならない。ミカの前世で言うところの高級スポーツカーのような扱いである上質な軍馬を、ただでもらえるというのは願ってもない話だった。
その日は家族親族で和やかに語らいながら過ごし、そして翌日。近隣の領地からも客人たちが到着した午後、サンドラがエルトポリより伴っていた高位の神官によって、ミカとアイラの結婚の儀式が執り行われる。
「神の子ミカ。汝はこのアイラを生涯の伴侶とし、汝の身体を、汝の心を、そして汝の生きる時を彼女に捧げることを誓うか?」
「誓います」
家族親族や客人たちが見守る中で、ミカは神官の前に跪き、厳かに答える。
「神の子アイラ。汝はこのミカを生涯の伴侶とし、汝の身体を、汝の心を、そして汝の生きる時を彼に捧げることを誓うか?」
「……誓います」
ミカの隣で膝をつくアイラは、やや緊張した面持ちで答える。
彼女はこの日のために用意された黒いヴェールを纏い、黒装束にはさらに多くの装飾を身に着けて、この日の主役として申し分ない存在感を放つ。ぬいぐるみのアンバーも、用意された椅子に鎮座し、この日のためにアイラが縫った祝い装束を着せられ、家族親族と並んで儀式の様子を見守っている。
「よろしい。では、誓いの口づけを交わしなさい」
ミカとアイラは立ち上がり、互いに顔を見合わせ、唇を重ねる。表向きは、これが二人にとって初めての口づけということになる。
顔を離した二人は、互いに見つめ合って笑みを交わす。微笑するアイラがあまりにも愛しくて、できることならばこのまま抱き締めて再び口づけしたいと思うのをミカはこらえる。
「汝らの誓いを、神は今ここに受け入れた。唯一絶対の神の下、汝らは夫婦となった」
神官の宣言を受け、ミカとアイラは、そして周囲に並ぶ一同も、胸の前で弧を描くように右手を動かし、神への祈りを捧げる。
この日、ミカはアイラを伴侶に迎えた。アイラ・ヒューイットはアイラ・ヴァレンタインとなった。
・・・・・・
儀式の後には、大宴会が開かれる。領民たちは村の広場で食べ、飲み、騒ぐ。そして領主家と客人、その家臣たちは、領主館の前庭に置かれた宴の場で過ごす。
領主であるミカが出席者たちに感謝の言葉を述べ、乾杯し、宴が始まる。並ぶのは庶民が飲むものよりも幾らか質の良い酒や、香辛料をふんだんに使った料理。酒と材料の手配は、この宴にも出席している御用商人アーネストが担ってくれた。
宴が始まって間もなく、ミカとアイラのもとに歩み寄ってきたのはサンドラだった。彼女はあらためて祝いの言葉を述べた上で、結婚祝いの品を贈ってくれた。
「交易の拠点として多くの品々が集まるのが、エルトポリの強みだからな。当家からは遠方の貴重な品や珍しい品を贈らせてもらおう」
サンドラが語る横で、ユーティライネン家の家臣たちが品々を並べる。高価な酒、異国の香辛料、絹の布など、どれもこの地域ではなかなか見られないものだった。
「これはこれは……アイラにとっても私にとっても、嬉しい品ばかりです。感謝します」
「礼には及ばない。将来が心配だった従妹を、卿が幸せにしてくれるのだからな。むしろ私の方が感謝している」
そう言いながら、サンドラの顔には社交用ではない、私的な笑みが浮かぶ。
彼女が離れていった後には、その他の出席者たちからも祝辞と共に祝いの品が送られる。
「ヴァレンタイン卿、そして奥方も、この度は本当におめでとう!」
「ありがとうございます、メルダース卿! こうして無事に結婚式を挙げることができたのも、卿の呼びかけでこの一帯の平和が守られたおかげです」
いつも通りのにこやかさで祝いの言葉をくれたローレンツに、ミカも笑顔で答える。彼の呼びかけがなければ領主たちの共闘もなく、そうなればこのヴァレンタイン領にも掠奪者の脅威が及んでいたかもしれないので、これは本心からの感謝だった。
「いやいや、勝利できたのは卿の力あってこそだよ。強力な魔法の才に領地運営の才覚、そして可憐な奥方……領主としても男としても、羨ましい限りだ」
ローレンツの言葉に、アイラは照れたように笑って軽く頭を下げる。
アイラの服装やその腕に抱かれたアンバーを見て、領外の人間は何やらひそひそと話すような者も見られる。そんな中でもローレンツは、やはりそつなく振る舞ってみせる。内心はどうあれ、アイラの個性に対する好奇の目など微塵も見せない。
今回ローレンツは妻も伴っており、ミカとアイラは彼女とも歓談する。メルダース夫人の方も、夫と同じようにアイラを奇妙がることはしない。
歓談の中では、丘陵北側の現状などもローレンツの口から語られた。曰く、掠奪者の軍勢を撃退するために共闘した領主家と、共闘を拒否した領主家や直前で参戦を止めた領主家との間には確執が生まれ、丘陵北側には微妙な空気が漂っているという。
一方で、一部の領主の間では廃村となった旧テレジオ領を奪取しようとする動きもあり、それらの領主同士も緊張関係に。以前とは情勢が変化した丘陵北側において、ローレンツは旧テレジオ領を巡る諍いを仲介したり、共闘に参加しなかった領主たちと変わらず関わり合うことで確執の緩和を試みたりと、「一帯の平穏維持に貢献するため」に独自に動いているという話だった。
そうした動きを経て、メルダース家はまた一段、丘陵北側での影響力を拡大するだろう。あの一帯の領主社会の軸となることで、いよいよ丘陵北側の最有力領主の座を得るだろう。ミカはそう思いながら、彼の相変わらずのしたたかさに感心した。
「それと、モーティマー家のその後の動向も、ある程度詳細なところが分かったよ。なかなか上手く立ち回っているらしい」
そう切り出して、ローレンツはモーティマー領に関しても、収集した情報を教えてくれる。
モーティマー卿の率いる軍勢は、帰路の道中にある近隣小領地からの掠奪に大成功。十分な食料を確保した上に少なからぬ掠奪品を得て潤った家臣や領民たちから、領主ベアトリス・モーティマー卿は強い支持を得ることに成功しているらしかった。
また、モーティマー卿は掠奪にも伴った傭兵たちを家臣として召し抱え、損耗していた常備兵力を回復。自家の権勢維持にも今のところは成功している様子。引き換えに近隣の小領主たちからは警戒され、今後はなかなか難しい領地運営を強いられるものとみられる。
「こうなれば、当面モーティマー領とその近隣の領地で揉め続けるだろう。もはや我々にはあまり関係のないことだろうなぁ」
「そうですねぇ。あちらの勢力図が急変して、その影響がこっちに及ばない限りは、正直言って他人事ですね」
少なくとも現状としては、モーティマー領は関わりの薄い他地域の一領地に戻った。今はひとまずそれで十分だと、ミカとローレンツは結論づけた。
歓談も一段落した頃、ローレンツがくれた結婚祝いの品は、富裕層向けの高価な食器類だった。こうした品々もヴァレンタイン家には不足しているので、領主家としての家格を保つ上でありがたいものだった。
メルダース夫妻が離れていった後も、出席者たちとの挨拶は続く。




