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第6話 ヴァレンタイン

「……あれ? 皆、どうしたの?」


 急に無言になった旧ドンダンド領民たちを見回しながら、ミカは言った。

 何か思案するような表情で一様に黙り込んでいた皆々は、やがて一人また一人と口を開く。


「……いい考えだな」

「そうだ、それがいい」

「ミカさんは優しいし、こうして話しててもすごく賢い人なんだって分かる。絶対に良い領主様になってくれるさ」

「何より、ミカさんの魔法はもの凄かった。こんなに強い魔法使いが俺たちを守ってくれたら安心して暮らせるよな」

「従者のディミトリさんも、こんなに筋骨隆々で、強くて頼りになりそうだぜ」

「ほんとよね、凄い筋肉……たまらないわこういう人……」

「それに、ミカさんは知り合いでもない俺たちを助けるために、五十人の盗賊たちに挑みかかってくれたんだぜ? こんなに立派な人は他にいねえよ」

「そうだよ、まるでお伽噺の英雄みたいなお方だ。まさに正義の味方だよ!」

「逃げやがったドンダンド家なんかより、ミカさんこそ領主様にふさわしい!」

「ドンドは自分で領主の立場を捨てたんだ。ってことは、あたしたちで新しい領主様をお迎えしたってかまわないじゃないか!」

「そうだそうだ! それに、もしドンダンド家が戻ってきても、あの盗賊たちみたいにミカさんに追っ払ってもらえばいいんだ!」


 皆の言葉には次第に力がこもり、場の空気は熱を帯びていく。その空気を、ミカは困惑を覚えながら浴びる。


「ほ、本当に……? 皆、本気で言ってるの……?」


 ミカの困惑をよそに、旧ドンダンド領民たちは盛り上がり続ける。その様子を静かに見守っていたマルセルが、やがてミカの方を向いて口を開く。


「ミカさん。いえ、ミカ様。私たち皆の考えとして、お願いいたします」


 マルセルの言葉をきっかけに、場の盛り上がりもひとまず落ち着き、皆がミカに注目する。


「ミカ様は、ご自分の領地を持つために旅をしているとのお話でしたが……どうか、このままこの村に残って、私たちの領主になっていただけないでしょうか。私たちは喜んでミカ様の領民になります」


 そう言って、マルセルは頭を下げた。他の皆も、次々にマルセルに倣った。


「…………本当の本当に、僕でいいの?」


 ミカが言葉を発すると、皆は頭を上げ、そしてマルセルがまた口を開く。


「領主がいないこの村は、このままではどうなるか分かりません。よその領主に占領されれば、新参の村として冷遇され、重い税を課され、今まで以上に生活が苦しくなるかもしれません。占領ではなく襲撃を受け、私たちは皆殺しになり、財産は全て奪われ、盗賊に襲われるのと同じ結果になるかもしれません。何人もの領主がこの村を狙えば、村が戦場になるかもしれません」


 マルセルの語る予想は、決して大袈裟なものではない。だからこそミカも神妙な表情になる。

 領主がいなければ、そこは無防備極まりない土地となる。誰も他の領主と話し合い渡り合うことができず、領民をまとめて戦うこともできないとなれば、一方的に搾取されるしかない。意思決定の権利も、家や土地や生産物といった財産も、命さえも、好き放題に奪われかねない。


「ですが、私たちの誰も、領主の真似事などできません。今はとりあえず私が皆の代表のようになっていますが、例えば周りの領地を治める領主たちと互角に交渉しろと言われたら、私もとてもそんなことはできないでしょう。ましてや、皆をまとめ上げて戦うなどということは……ミカ様は私たちとは違います。魔法という素晴らしい力をお持ちで、見知らぬ人間である私たちのために、自ら盗賊に立ち向かう勇敢さや高潔さも持っておられます。それにミカ様は、元は遠くの領主家のご出身で、子供の頃に多くを学ばれたというお話でした。私たちとしては、ミカ様がこの村を治めてくださるのであれば、これ以上ないほど心強く、そしてありがたく思います」

「……」


 ミカはこの村に入ってまず、村民たちに自身の立場を説明していた。ここから遠くにある領地の領主家で末子として育ち、独り立ちし、自分の領地を持つために放浪の旅をしていると語った。生家の名については、口外しないという異母兄との約束があるために語っていないが。

 確かに、これまで農民として生き、これからも農民として生きていくつもりだった者たちが、明日からいきなり領主として政治や戦いの世界で生きろと言われても、それは難しいだろう。

 一方で、元より領主になることを目指しているミカは、領主として生きる自信が当然ある。生家では仕事をする父や異母兄を観察しながら、領主の生き方のおおよそを理解した。家にある書物から様々な知識を学んだ。読み書き計算といった、領地運営に必要な能力も持っている。この世界よりも遥かに文明の進んだ前世の記憶や、念魔法という強力な武器もある。周辺の村々を治める小領主たちを相手に、対等かそれ以上に渡り合えると自分では思っている。


 ミカは思案する。ここはミカが自ら選んだ土地ではない。この先領主として長く治め、子々孫々に受け継いでいく領地として、条件の良い場所かは分からない。

 が、ここには家屋も、農地も、井戸やパン焼き釜や水車小屋といった必要設備も既にある。ここに留まれば、一から開拓する必要もなく、ある程度完成された村が丸ごと手に入る。しかも、百人の領民付きで。

 そして何より。

 ミカは自分の決断を待つ村民たちを見回す。彼らは期待に満ちた目で、懇願するような表情で、こちらを見ている。ミカがここの領主になることを心から願っている。ミカのもとで生きていきたいと、彼らは思ってくれている。


「……」


 自然と、ミカの口に笑みが浮かんだ。

 百人もの人々に乞われ求められながら、既に完成された村の領主の座につく。これ以上の環境で領地運営を始められる機会など、きっと生涯ないだろう。これはきっと念魔法と同じ、神が授けてくれた運命だ。

 ミカは微笑しながら、傍らのディミトリを振り返る。彼は無言で頷いてくれた。


「……分かった。僕でよければ、この村の新しい領主になるよ。これからよろしくね」


 皆の方を向いてミカが言うと、村民たちからは大歓声が上がった。飛び上がる者。抱き合う者。感涙する者。興奮してエールを頭から浴びる者。皆が思い思いに喜びを表現する中で、マルセルは安堵の表情で深く息を吐き、空を仰いでいた。


「ところで、ミカ様」


 喜びの喧騒がしばらく続いた後で、口を開いたのはディミトリだった。


「この先ミカ様が名乗る家名はどうします?」

「……ああ、確かにそれは、とてもとても重要なことだねぇ。どうしようかなぁ」


 前領主が一族揃って逃げ出した以上、ここはもうドンダンド領ではない。そしてミカは、生家であるカロッサの家名を名乗ることは二度とできない。となれば、新しい家名が要る。その家名はミカの子々孫々に受け継がれ、この領地の名としても残り続ける。

 まさか、これほど早く新たな家名が必要になるとは思わなかった。そう思いながら再び思案を始めたミカは、間もなくひとつの言葉を思い浮かべる。


「……ヴァレンタイン」


 前世。不慮の事故に遭ったのは、二月十四日だった。世の中はバレンタインデーに浮かれていて、しかしミカ自身はそんなイベントとは無縁で、どうして自分はよりにもよって、こんな日に事故に遭って路上で凍えながら死んでいくのだろうと思った。そして、もし来世があるのなら、今度は夢を叶えられるような世界に生まれたいと願ったのだった。

 だから、その願いが叶ったのだと知った幼少期、きっと女神のような存在が自分にバレンタインデーの贈り物をくれたのだと信じながら、内心で歓喜する日々をミカは送っていた。

 徐々にこの世界に染まるうちに、そんな幼少期を思い出すこともなくなっていった。バレンタインデーなどという言葉もすっかり忘れていた。それが今、まるで天啓のように脳裏に浮かんだ。


「ヴァレンタイン、ですか……聞いたことのない言葉ですが、古典語でしょうか?」

「あはは、そんなところだよ。子供の頃に読んだ書物の中に、そんな人名が出てきた記憶があるんだ。細かいところはよく覚えてないけど、とても良い人物の名前だったのは確かだよ」


 マルセルの問いかけに、ミカは微苦笑しながら答える。


「でも、すごく良い響きですぜ」

「うん、なんだか格好良くて、綺麗な言葉です」

「領主家の名前としても、私たちの暮らす土地の名前としても素敵ですね」


 ディミトリが言うと、村民たちも口々に賛同する。


「皆からも好評みたいだし、決まりだね。僕は今日からミカ・ヴァレンタイン。そしてここは今日から、ヴァレンタイン領だ」


 穏やかな声で、しかしはっきりと、ミカは皆に向けて宣言した。

 この日、ミカは自分の領地を得た。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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