第58話 増援
結果として、会戦は連合軍側にやや有利な引き分けのようなかたちで終わった。
本陣を直接攻撃されて危機に陥ったことで、大将ベアトリス・モーティマー卿は後方へ退却。モーティマー軍にも退却命令が出され、混戦の最中で命令が伝わるのに時間がかかりながらも、兵たちは退却を開始した。
敵が背中を見せて去っていく、追撃の絶好の機会を、しかし連合軍は活かしきれなかった。本陣に立てられていた各領主家の家紋旗が倒れている様を見た一部の兵士たちが動揺し、その動揺は他の兵士たちにも伝播。敵軍の退却を見ても勢いよく追撃に乗り出すことができず、大損害を与え損ねた。
背中から襲われながらの壊走を免れたモーティマー軍は、形の上では敗北しながらも逃亡兵は少なく、残存兵力の多くが野営地の置かれた村まで後退することに成功。状況は開戦前に戻った。
会戦による死傷者に関しては、連合軍側が五十弱。モーティマー軍はそれより幾らか多いものと予想される。戦力差は多少縮まったが、連合軍が有利になったと言えるほどではおそらくない。
「さて、ここからどうしたものかな」
戦闘から一夜明け。領主たちによる軍議の場で、腕を組みながら呟いたのは総大将ローレンツだった。
「こちらから攻めるというのは、できれば避けたいですよね」
「そうだなぁ。攻めるとなれば、よほど上手く動かなければ待ち構えられて迎撃される。そうなると、数の少ないこちらは不利だ」
「しかし、奇襲は現実的ではないだろう。敵側も見張りくらいは立てているだろうからな」
ミカの呟きにローレンツと、さらに別の領主が答える。
「では、再び敵が攻めてくるのを待ち構えるか?」
「いえ、敵が次にいつ動くかも分からないし、長期戦は避けたいわ。あまり長く領民たちを動員しては……」
「こちらの兵を増員して攻めるのはどうですか?」
「今でさえ領民の成人男子から少なからぬ数を動員しているのだぞ? これ以上の男手を領内から引き抜いて、もし敵がこちらに来ずに各領を直接襲い始めたらどうするのだ? 時間稼ぎすらままならなくなる」
領主たちから案が出ては異論が挟まれ、話し合いは行き詰まる。ミカも何か案を出そうと考え、しかしなかなか妙案は思い浮かばない。
と、そのとき。
「閣下! メルダース閣下!」
「何だ? 一体どうした?」
ローレンツの従者が慌てた様子で軍議の場に飛び込んできたことで、皆の注目がそちらへ向く。
「ユーティライネン家より使者が来訪しました! サンドラ・ユーティライネン閣下が、ユーティライネン領北側の各領主家にも助力を求めた上で、援軍を引き連れて到着するそうです!」
従者がそう言うと、彼の傍らに立っていた騎士――援軍到来を伝える先触れの使者が進み出て一礼する。
「……援軍の規模は?」
「肉体魔法使い、火魔法使い、毒魔法使い、騎士十二人、正規兵二十三人を含むおよそ百五十人です。ユーティライネン閣下が御自ら率いておられます」
それを聞いたローレンツは顔に喜色を浮かべ、他の領主たちからも喜びの声が上がる。
「よかった、助かった……」
ミカも、安堵の表情を浮かべながら呟くように言った。
ここにきて百五十人の援軍。それもただ数が多いだけでなく、戦闘向きの魔法使いたちはもちろん、重装備で練度の高い騎士と正規兵が合計で三十人以上もいるのがありがたい。優れた職業軍人は、一人で脆弱な民兵五人に勝る強さがある。
これで、敵側に攻め込んでも十分以上に勝ち目がある。もしかしたら、敵は分が悪いと見て、戦う前に領地へ逃げ去るかもしれない。
・・・・・・
「まったく、こんなことになるとは思わなかったわね」
掠奪によって荒れ果てた村に築かれた、モーティマー軍の野営地。話し合いなどに用いる壁のない天幕の下で、ベアトリスは側近の騎士を前に言った。
本隊は数の有利を活かして力押しで攻め、一方で敵本陣を奇襲する。猟師家の出身で、今から二年前に使役魔法の才に目覚め、森で遭遇したツノグマを従えるようになった家臣を奇襲の切り札として用いる。
この策によって、こちらが勝利を成すはずだった。しかし結果は引き分け。損害で言えば、先に退却に移ったこちらがやや大きい。
こうなった原因は、敵側にも予想外の戦力――バリスタを自在に運んで数百メートルの距離からこちらの本陣を直接狙う念魔法使いという、とんでもない切り札があったこと。
「あの念魔法使いについては何か分かった?」
「酒保商人から情報を得ました。数年前、流れ者の念魔法使いがこの地域の村に住み着き、新たに小さな領地を興すという出来事があったそうで、参戦している念魔法使いはその領主ではないかとのことでした」
「そう、そんなことが……バリスタを持ち上げるなんて、念魔法使いの中でも特に強力な部類なのでしょうね。それに、頭も良さそうね。あんなクロスボウを作るなんて」
あの念魔法使いの強さと発想力を認めながら、ベアトリスの表情は苦いものになる。
彼がバリスタと併用していた、念魔法と組み合わせることで連射できるように改造されたクロスボウ。モーティマー家に仕える貴重な職業軍人が、本陣直衛と別動隊を合わせて六人もあのクロスボウに殺され、一人が重傷を負わされた。使役魔法使いとツノグマも、危うく殺されるところだった。あの念魔法使い一人に恐ろしいほどの大損害を負わされてしまった。
「さて、ここからどうしたものかしらね。敵軍も意外と士気旺盛だったし、あんな厄介な戦力がいるとなれば、再戦に臨むとしても――」
「閣下!」
ベアトリスの言葉は、駆け寄ってきた騎士に遮られる。
「何? 一体どうしたの?」
「偵察に出した兵からの報告です! 敵軍に総勢百以上の援軍が合流しました! 騎士や正規兵も多数含まれ、ユーティライネン家をはじめ複数の領主家の旗が掲げられているとのことです!」
「……そう。この地域の親玉まで出張ってくるのね」
ベアトリスはため息交じりに呟き、側近の方を向く。
「ユーティライネン家の軍勢まで加わったとなれば、こちらの勝ち目は薄いわね?」
「はっ。遺憾ながら、勝利の後に掠奪を続行することは難しいかと存じます」
忖度なく答えた側近に頷き、ベアトリスは思案する。
「……仕方ないわ。第二案でいきましょう」
「承知しました。直ちに野営地の撤収準備を始めさせます」
この一帯で狙った通りに掠奪できなかった場合の第二案。それは、軍をモーティマー領に撤退させ、その道中で掠奪を行うこと。
ベアトリスは近隣の領地と揉めないよう、わざわざ自領からやや離れた地域まで掠奪に訪れた。帰路にある各領地の小領主たちは、自領がモーティマー軍に襲われるとは思っていないであろうから、帰りがてら不意打ちすれば容易に勝てる。
モーティマー領に近しい領地を襲えば、近隣との良好な関係を維持するという目標は叶わなくなる。今後は周辺の小領主たちから警戒されて関係が悪化することは避けられないが、この段になればもはや仕方がない。後々響く不利益があるとしても、まずは目の前の問題を片付け、今年を切り抜けることが最優先。
「それと、傭兵の中にまともな装備と練度を持っている連中がいたわね? その団長をここへ呼んで頂戴。常備兵力としてモーティマー家に仕えないか勧誘するわ」
「御意に」
側近は敬礼で応え、天幕から離れていく。
内乱と今回の戦いで、モーティマー家の抱える武門の家臣は随分と減ってしまった。もはや出自は問わないので、今はまともに武器を振るえる戦力をとにかく増やしたい。傭兵上がりは直ちに信頼はできないので使い道が限られるが、それでも居城の外での荒事ならば十分に任せられる。
今年は運がない。上手くいかないことばかり。それでも、挫けて諦めるわけにはいかない。自分にはモーティマー家と庇護下の民を守る義務があるのだから。