第56話 本陣狙撃
「なるほど、敵軍には風魔法使いがいるのかぁ……」
ついに始まった戦いを丘の上から眺めながら、ミカは呟く。
こちらの強力な戦力としては、参戦した領主の一人が連れてきた火魔法使いがいるが、一方で敵側には風魔法使いが援護についているようだった。
その名の通り風を巻き起こす風魔法は、直接の攻撃にはあまり向かないが、使い道は多い。
代表的な活用方法のひとつが、遠距離攻撃に対する防御。曲射された矢や投石の威力を、強風によって殺すことができる。実際、弓兵や投石兵と共に敵軍本隊の最後方にいる風魔法使いは、魔法によって風を起こして連合軍の遠距離攻撃を妨害している。
さすがに一人では自陣の全体を防御することはできず、火魔法による火球も止めるには至らないようだが、それでも相当数の矢や石を防いでいる。結果、こちらの遠距離攻撃の効果は今ひとつとなっている。
全体の戦況は、今のところ拮抗している。が、あまり長引けば数で有利な上に傭兵を抱える敵側が押していくだろう。その前に敵本陣を無力化し、敵軍を壊走に追い込む必要がある。
「さて、そろそろ始めようか」
ミカはそう言って、奇襲に移る。本隊が入り乱れて戦う段になれば、敵軍もそう細かな動きはできない。敵将モーティマー卿がこちらの存在に気づいても、本隊からまとまった兵力を割いて対応することは難しい。こちらは敵本陣だけを相手取って戦うことができる。
既に鎧下と革鎧は身に着けているので、頭に鎧下と同じ素材の頭巾を被り、さらにその上から兜を装着。完全装備になった上で念魔法を発動させ、バリスタを持ち上げる。
自身の手には連射式クロスボウを抱え、「魔法の腕」でバリスタを抱えながら、森に覆われた小さな丘を移動し、なるべく敵本陣に近づく。森の端の方、木々に視界を遮られない位置に立つと、バリスタの弦を引いて射撃準備を整える。バリスタを自身の正面に移動させ、敵本陣を狙う。
護衛のディミトリと二人の領民たちも、ミカの周囲に控えている。ディミトリは引き続き周囲を警戒してミカの背中を守り、二人の領民は、今は大盾を地面に置き、バリスタによる攻撃の補佐に回る。ジェレミーがバリスタの射撃準備を手伝い、フーゴが矢の装填を担う。
「よし、装填を。木の矢でいいよ」
ミカが命じると、領民フーゴが槍ほどもある矢をバリスタに置く。
今回使用するのは、ヴァレンタイン領で自作した、先端を鋭く尖らせた木の矢。鉄製の鏃を備えた矢は未だ数発しかないため、その不足を補うために木の矢も用いることにした。これでも人間に直撃すればただでは済まないため、牽制としては十分に威力が足りる。
「それじゃあ撃つよー!」
ミカはそう言って、バリスタの引き金を引く。
空気が弾けるような重い音と共に、引かれていた弦がねじりばねの力で戻り、矢が勢いよく射出される。ミカの背丈よりも長い矢は空中を飛翔し、二百メートル以上も離れた敵本陣に迫る。
その着弾を見守りながら、ミカはジェレミーと共に大急ぎで第二射の準備を進める。この距離では命中率に期待できない以上、次々に矢を放つことで敵を恐怖させなければならない。
矢は敵本陣の左前方、十メートルほどの距離に落下。それによって敵本陣の面々も攻撃を受けたことに気づいたようで、俄かに慌ただしくなる。
モーティマー卿らしき軍装の女性と並んで軍馬に乗っている騎士が、自身を主人の盾にするように動きながらこちらに顔を向ける。他の直衛たちもこちらを見ている。仕方のないことだが、早くもこちらの位置を知られたようだった。
「よしっ、装填!」
ミカが命じると、フーゴが素早く次の矢を置く。そして、ミカはバリスタの狙いを微修正する。
「撃つよー!」
二射目を放った直後、ミカとジェレミーは再び急いで射撃準備を行う。空中を飛翔した矢は、今度は敵本陣の後方、先ほどよりも近い位置に落下する。おそらく敵側には、矢が空気を切り裂く音まで聞こえたことだろう。
それを確認したミカが、三本目の矢が装填されたバリスタの狙いを再び調整しようとした、そのとき。
こちらを排除するためか、敵の本陣直衛たちが出撃してきた。数は騎士が二騎と兵士が四人。
「敵が来る! 迎撃するよ! 盾の用意!」
ミカが命じると、ジェレミーとフーゴは地面に置いてあった大盾を急いで取り、ミカの前に立って構える。ディミトリも戦斧と円盾を手に、接近戦に備える。この段になって後方から奇襲を受ける可能性は極めて低いが、彼は時おり周囲を警戒することも止めない。
そしてミカは、既に装填済みのバリスタを、接近してくる敵に向ける。兵士の一人に狙いを定めて引き金を引く。
と、矢は兵士の胴体を直撃。一刻も早く距離を詰めようとこちらへ走っていた敵兵は、勢いよく真後ろに吹き飛ばされる。矢は兵士の胸を貫通して地面に突き刺さり、串刺しにされた兵士はそのまま動かなくなる。
バリスタによる初の具体的な戦果を確認しながら、ミカは武器を持ち換える。バリスタを地面に置き、代わって連射式クロスボウを念魔法で空中に浮かべる。
残る二騎と三人の敵は、散開しながらこちらへ走ってくる。ミカはジェレミーとフーゴが並べた大盾から顔を出して敵を見据え、自身の視線の向きと重なるようにクロスボウを照準する。
優先して狙うべきは、馬に乗った騎士。二騎のうち、自身から見て右にいる者を狙い、第一射を放つ。
高初速の矢は見事に敵騎士に命中。大型のクロスボウによる極めて強力な一撃は、鎖帷子でも防げなかったようで、肩のあたりに矢が突き刺さった騎士は呆気なく落馬する。
ミカは「魔法の腕」でクロスボウの弦を引きながら、次の獲物を狙う。もう一騎の騎士に照準を定め、第二射を放つ。
その矢は外れたが、敵騎士は明らかに動揺を見せ、突撃の勢いが鈍った。三人の兵士たちも、それ以上の前進を躊躇するような素振りを見せた。おそらく、一人二人が倒れても残る者が肉薄して念魔法使いを仕留める作戦で、本来は連射性の低いクロスボウの矢をこれほど短い間隔で放たれるとは思っていなかったのだろうとミカは思った。
予想外の矢の雨に曝される敵を気の毒だとは思いつつ、ミカは攻撃の手を緩めない。一秒に一射の間隔で数本の矢を放つと、そのうち一本が馬に命中し、騎士は馬ごと倒れた。
ミカは次に、兵士の一人を目がけて矢を放つ。身に着けていた革鎧を貫かれて腹に一撃を受けた兵士は、武器を取り落とし、そして頽れる。
その隣から迫っていた兵士にも矢を放つと、一射目は外れたが、二射目は兵士の顔に直撃。声を上げることもなく倒れた兵士は、そのまま動かなくなる。
最後の一射は、馬ごと倒れながらもしぶとく起き上がってきた騎士に食らわせる。
と、敵本陣に残っている騎士が何やら大声を発した。おそらくは撤退命令だったのか、残っている兵士一人と、最初に肩に矢を受けながらも未だ生きていたらしい騎士が下がっていく。
「おおっ! 逃げていきましたね!」
「これ以上突撃させても全滅するだけだと敵将が判断したんだろうねぇ」
敵が退いたことで喜びの声を上げるジェレミーに、ミカはクロスボウの弾倉を交換しながら答える。内乱を経てモーティマー家の常備戦力も損耗しているはずで、だとしたらモーティマー卿は、今は騎士や正規兵の損害を少しでも抑えたいはず。どうせ成果の上がらない突撃を中断させるのは理解できることだった。
敵本陣の直衛が退いたことで、ミカたちに迫る脅威はなくなる。敵の本隊は連合軍の本隊との混戦の最中で、練度が低く指揮系統も整っていない軍勢では、すぐに別動隊を組織してこちらへ差し向けるような細かい動きはやはりできない。
「近づいてくる者がいないのなら、バリスタでの狙撃を再開しようか」
騎士二人を含む、装備の整った職業軍人の集団を、遠距離から一方的に壊滅状態に追い込んで撃退した。連射式クロスボウの効果は対人戦でも十分。ミカはそう考えながら、武器をバリスタに持ち換える。
盾を置いたジェレミーと共に射撃準備を行い、そこへフーゴが矢を装填。ミカはバリスタの照準を敵に向け、矢を発射する。木材を削っただけの矢は狙いもぶれやすいが、それでも概ね敵本陣の付近に落下する。
「……お、退いていくね。狙い通りだ」
二発目の矢を放ったところで、モーティマー卿と直衛の生き残りたちが退却を開始する。いつ矢が直撃するか分からない状況に、家と領地の命運を握るモーティマー卿を曝し続ける気は敵側にはないようだった。
ミカはそれを確認しながらも射撃を止めることはなく、敵本陣の面々が北西の森の陰に見えなくなるまでバリスタから矢を放ち続ける。
おそらくは退却命令が発せられたのか、大将の退却を受けて敵本隊の後方にいた風魔法使いや弓兵なども下がっていく。前方で混戦の最中にいる敵側の兵たちは本陣の異状に未だ気づいていないようだが、間もなく後ろの味方が逃げ出したことに気づき、全体が壊走するだろう。
これで、こちらの勝ちはほぼ決まった。後は敵の壊走を早め、与える損害を少しでも増やすために、敵本隊の側面に矢を撃ち込んでやればいい。そう思いながらミカが安堵していると、ディミトリが戦場の南東側を指差す。
「ミカ様! こっちの本陣の様子が変です!」
言われてミカが振り返ると、確かに味方本陣の様子がおかしかった。
敵本陣を狙撃するために丘の北西側の前方に移動していたミカたちからは、今は味方本陣の様子は直接見えない。が、戦闘中の味方本隊の向こう側に見える各領主家の旗がいくつか倒れており、ミカが見ている間にも新たにまた一本倒れる。
「……仕方ない、様子を見に行こう。もしかしたら、こっちの本陣も敵から奇襲を受けてるのかもしれない」
だとすれば助けなければ。できれば接近戦には臨みたくないが。そう思いながら、ミカは小さく嘆息する。