第55話 正面戦闘
モーティマー卿の率いる軍勢が進軍準備の動きを見せたのは、軍議の翌日のことだった。
そしてさらに翌日。いよいよ進軍してきた敵軍と、連合軍は対峙する。
最終的に揃った兵力は、モーティマー卿の率いる軍勢が三百強。連合軍が二百五十ほど。双方とも民兵が主体であるため、整然と隊列を組むことは難しく、数百の兵がただ雑然と集合して向かい合う。モーティマー軍が北西に、連合軍が南東に位置取る。
ミカの率いるヴァレンタイン軍は、戦場の南西側にある小高い丘の上からその様を眺めていた。丘を覆う木々に身を隠しながら、モーティマー軍の右側面、連合軍の左側面を見据えていた。
「おぉー、どっちもすげえ大軍ですね!」
「俺、こんなにたくさんの人間が集まってるのを見るのは初めてですよ。たまげたなぁ」
二つの軍勢が対峙する様を見下ろしながら、領民ジェレミーが興奮気味に、そして領民フーゴは呆気にとられた様子で感想を語る。特にフーゴに関しては、生まれてから今までほとんど村を出たことがなかったため、総勢で五百を超える人間が集った様に少々慄いている様子だった。
「僕も、こんなに規模の大きな戦いは歴史書や物語本でしか知らないなぁ。正面で激突する皆さんは大変だろうねぇ」
ジェレミーとフーゴと共に戦場を観察しながら、ミカは他人事のように言う。
ヴァレンタイン家としては、ここでぜひとも連合軍に勝ってもらいたい。自分もこの一帯の平和のため、延いては自領の安寧のためにもちろん全力で戦うつもりでいる。それはそれとして、この戦いは昨年の死闘と比べれば遥かに気を楽にして臨める。少なくとも今日の戦いにおいて、自分や庇護下の者たちが死ぬ可能性は低いのだから。
丘陵北側の面々で言えば、仲の良いローレンツには死んでほしくないが、彼も総大将として本隊のやや後ろに本陣を構えているので、戦死の心配はあまりない。
「さて、僕たちの狙う相手は……やっぱりあちらも、軍勢の後ろに本陣を構えてるみたいだね」
視線を左方向、敵軍の後方へと向けながら、ミカは言った。
敵側の大将であるモーティマー卿は、おそらくモーティマー家に仕える職業軍人であろう騎士や兵士を直衛として周囲に並べ、本隊の後ろで指揮を執る姿勢を見せていた。ミカたちの役割は、この敵本陣の狙撃となる。
「ディミトリ、周囲に異状はないね?」
「はい、敵は見えません」
ミカの背中を守る位置で周囲を見張るディミトリは、主人の問いかけに頷く。
敵側もこの丘に別動隊などを寄越さないとは限らないので、警戒は必要。ミカたちは本隊を援護する役割と共に、こうして開戦前に戦場側面を観察する役割も兼ねている。
「それならよかった。後は……開戦を待とう」
言いながら、ミカは水筒を開けて魔石の粉末入りの水を飲む。戦いで魔力を大きく消耗することが予想されるため、今のうちに魔力を補給しておくことも魔法使いの重要な仕事のうち。
右方向へ視線を向けると、そう遠くない距離に城と村が見える。この戦場は、ハウエルズ領の人里から近い。
ハウエルズ卿は自領の城と村からもっと北西に離れた位置での会戦を臨んだが、他の領主全員に提案を却下された。野営地からあまり移動しない方が、兵たちが疲弊せずに戦えるという理由によって。
皆の本心は別にある。もし連合軍が敗北し、壊走することになった場合、敵軍の兵たちはこちらの兵の追撃よりも、戦場後方にあるハウエルズ領の村を襲うことを優先するはず。そうなれば、ハウエルズ家以外の領主家の軍は、ハウエルズ領を囮にして自領へ逃げることが叶う。そのような狙いもあり、ハウエルズ卿以外が全員一致でこの場所を戦場に定めた。
当然、ミカも皆に賛同した。ハウエルズ卿には気の毒な話だが、ミカもまた己と庇護下の者たちを最優先する領主の一人なればこそ。
・・・・・・
「旗の数は総勢で八……ハウエルズ家の家紋は分かるけれど、他の家紋はよく知らないわ」
「いずれも取るに足らない小領主家の家紋でしょう。旗の数ばかり並べても、総兵力では明らかにこちらが上です」
モーティマー軍の本陣。馬上の高い視点から敵側の本陣を見据えてベアトリスが言うと、傍らの側近がそう答える。
「それもそうね。勝って奪うだけの関係なんだから、敵がどの家かなんて些細なことだわ……やはり敵軍は、正面から力押しでぶつかってくるようだけれど、そうなれば私たちが有利よね?」
「まさしく仰る通りにございます。兵の頭数ではもちろん、質を見ても、ただの民兵よりは強い傭兵たちがいるこちらが有利です。その上、こちらは敵本陣を奇襲する有用な戦力を有しております故、必ずや勝利できるでしょう」
「そう、ならいいわ。それじゃあ、早いところ邪魔な敵軍を撃破しましょうか」
もたもたしていれば、これ以上どんな邪魔が入るか分からない。目の前の敵軍に打ち勝ってこの一帯の抵抗力を奪ったうえで、掠奪を急ぎ再開しなければならない。
心の内で多少の焦燥感を覚えながら、ベアトリスは自軍に攻撃命令を下す。
・・・・・・
「いやあ、何とも壮観だな。便宜上とはいえ、こんな大きな戦いで自分が一方の総大将とは……なかなかできない経験だ」
連合軍の本陣。馬上の高い視点から戦場を見渡し、ローレンツはいつもと変わらない明るい声で言った。
ローレンツの傍らには、普段からローレンツの護衛を務めている側近が立っている。他に、本陣直衛と予備兵力を兼ねた要員として、他家から貸し出された騎士や兵士たちも数人が並ぶ。
その中には、肉体魔法使いも一人いる。この肉体魔法使いは、戦況次第では連合軍の切り札となり得る。
他に連合軍の擁する魔法使いは、念魔法による援護を担う別動隊のミカ・ヴァレンタイン卿と、弓兵や投石兵と共に援護を担う火魔法使いが一人と、メルダース家に仕える水魔法使いが一人。このうち水魔法使いは、後方での飲み水の補給を担うため、戦力にはならない。
各家の領主は、ローレンツと共に本陣に留まる者もいれば、本隊に加わって白兵戦に臨む者もいる。当人が身体的に精強か否か、武芸が得意か否か、武を貴ぶか否かなど、各々の気質や価値観によって選択は異なる。
また、本陣には各家の旗も立てられている。メルダース家も含めて八家の家紋旗が堂々と風になびく様は、なかなか画になっている。
「さて、そろそろ戦闘開始かな……いいか諸君! あの掠奪者たちの好き勝手を許せば、蹂躙されるのは私たちの故郷だ! このままでは、奴らは私たちの家に踏み入り、私たちの財産や食料を奪い、私たちの家族に暴力を振るい、そして殺すだろう! そんな悲劇が起こることを、ここにいる誰もが受け入れたくないはずだ! そうだろう?」
ローレンツがよく通る声で煽ると、連合軍の兵たちは力強く応える。
「では、戦って勝つしかない! 決して逃げることなく戦い、掠奪者たちを討ち破ろう!」
ローレンツが拳を突き上げると、兵たちもそれに倣いながら、鬨の声を上げた。
「おおぉ……案外、それっぽくできるものだな……」
自身の演説が思いのほか上手くいき、ローレンツは驚き交じりに笑う。民兵ばかりの弱軍、それも複数の領地からの寄せ詰めの兵たちが、これではまるで一丁前の軍隊のようだと思う。
「諸君、前に向き直ってくれ! 掠奪者の軍勢が動き出したぞ! 迎え撃ってやろう!」
前進を開始したモーティマー軍を指差し、ローレンツは兵たちに呼びかける。
両軍の距離が徐々に縮まり、そして遂に戦闘が始まる。
突撃してくるモーティマー軍を、その場に踏みとどまる連合軍が迎え撃つ。両軍合わせて五百を超える兵力が正面から激突する。
双方とも、主体となるのは民兵。皆まともな装備はなく、普段と変わらない服装をしている。武器は農具や、木製の槍や棍棒など、いずれも粗末なもの。
一方で領主層や、領主家に仕える家臣階級の者たちは、上質な装備を纏っている者が多い。布鎧や革鎧、なかには鎖帷子や鉄製の胴当てなどを着ている者もいる。武器は剣や槍、戦斧などばらつきがある。
モーティマー軍に属する数十人の傭兵に関しては、装備の質に幅がある。ごろつき同然の者は装備も民兵と大差ないが、領主家の家臣たちと同じような鎧を纏い、武器を手にしている者たちもいる。
質も様々な両軍の兵たちは、激しく殴り合い、斬り合う。
普段は平凡な民として暮らしている男たちが、今は己と家族の将来を守るために、粗末な武器で必死に敵を攻撃する。棍棒で頭を殴られた者が昏倒し、先端を尖らせただけの木の槍を腹に突き込まれた者が呻きながら倒れる。
民兵の攻撃を胴体へまともに食らった領主家の家臣が、しかし鎧下と鎖帷子に守られ、無傷のまま反撃する。鉄製の剣で敵兵の喉を切り裂く。
革鎧を装備した傭兵が、俊敏な動きで民兵の足元を攻撃する。足を負傷して動けず、命乞いする民兵の頭を戦斧で叩き割る。
両軍の正面で敵味方が入り乱れ、壮絶な戦いがくり広げられる一方で、それを援護する遠距離攻撃も行われる。双方の最後尾、弓や投石紐を扱える者たちが、矢を曲射し、あるいは石を放物線上に投げる。自軍の兵たちの頭上を飛び越えるようなかたちで敵陣を攻撃する。
しかし、その数は少ない。連合軍の側は二十人ほど。モーティマー軍の側も、三十人を超える程度。攻撃の密度は低く、効果は限定的。
連合軍の側からは、火魔法による攻撃も行われる。魔法で生み出された、直径一メートルほどもある火球が、放物線上に飛んで敵陣に着弾する。それと同時に炎が弾け、直撃を受けた者が火だるまになってのたうち回り、周囲にいた数人の髪や服にも火が燃え移って混乱を巻き起こす。
喧騒が響き、血飛沫が飛び散る戦場で、両軍は拮抗する。