第54話 軍議
その日の夕方近く。各家の軍の集結も概ね完了し、軍の代表者たちによる軍議が開かれた。
今回ローレンツが共闘を呼びかけた領主家は、ヴァレンタイン家を含めて十一家。そのうち、共闘を拒否したのが三家。共闘に応じる意思を示した八家のうち、集結の期限である今日の夕方までに来なかったのが一家。戦争への参加を土壇場で止めたのか、あるいは単に間に合わなくなったのかは分からない。
予定通りに軍を集結させたのは、メルダース家も合わせると八家。全ての家において、領主が自ら軍を率いている。
「基本戦術は全軍一体となっての正面突撃。徴集兵に関しては、各家の兵力を混ぜて運用する。これが最善かと思うが、諸卿は如何か?」
ハウエルズ家が用意してくれた壁無しの広い天幕の下、各軍の代表者たちが護衛を連れて集っての軍議が始まって早々に、朗らかな笑顔で言ったのはローレンツだった。
「……異論はない」
「まあ、結局はそれがよかろうな」
「確かに、それならば誰かの軍が先んじて逃げ出す心配もあるまい」
「どうせ敵側も寄せ集めの軍勢、同じような戦術をとることは目に見えているからな。力でぶつかるのが最も無難だろう」
最低限かつ大まかな利害しか共有していない、民兵主体の連合軍である以上、そう複雑な戦術はとれない。兵に複雑な命令を理解する能力もなければ、各家が互いを信頼して動くのも難しい。だからこそ、集った一同はすんなりと同意を示す。
「諸卿の賛同に感謝する。では、基本は正面突撃でいくとして……それに加えてひとつ、策を講じることを提案させてもらいたい」
さりげなく軍議の主導権を握りながら、ローレンツは次にそう言い、隣に座っていたミカの方を向く。
「こちらのミカ・ヴァレンタイン卿のことは、諸卿も聞いたことがあると思う。丘陵を挟んでメルダース領の南に領地を持っていて、強力な念魔法の使い手であり、昨年にはヒューイット家のご令嬢との婚約も成した新進気鋭の領主だ」
ローレンツの紹介に対して、一同は微妙な表情をミカに向ける。
彼らとは直接の交流が薄い丘陵南側からの参戦者。誰もが持て余したヒューイット家の令嬢との婚約を平然と受け入れた、未だ得体の知れない流れ者上がりの新興領主。皆が扱いに困るような様子を見せるのも、無理のないことだとミカは思う。
「ヴァレンタイン卿の念魔法は接近戦でも援護でも強力であろうが、今回は援護を担ってもらおうと思っている。彼は今回、バリスタを持参している故に」
言いながら、ローレンツはミカに頷く。ミカも頷き返し、自身の後ろを振り返る。
そこに置かれているのは、軍議が始まる前に運び込んでおいた、雨除けの布がかけられたバリスタ。護衛としてミカの後ろに控えるディミトリが布を取り払うと、ミカは念魔法を発動させ、バリスタを持ち上げてみせる。
大きく重いバリスタが空中に浮かんだ様を見て、一同からはどよめきの声が上がった。魔法の中でも珍しい念魔法が行使される様は、皆あまり見たことがないものと思われた。バリスタを持ち上げるほど強力なものとなれば尚更に。
「えー、この通り、本来であれば運搬や照準に時間のかかるバリスタを、私は魔法によって自在に扱うことができます。装填作業に関しても……」
ミカは言いながら「魔法の腕」でバリスタの後部の取っ手を回す。本来は二人がかりで回すべき取っ手が容易く回転し、連動して弦が引かれる。
当然ながら、安全のために矢は装填されていない。バリスタの照準も、何もない中空に向けられている。
弦を引き終えたミカは、そのまま引き金と繋がった紐を引く。鋭い音が響き、バリスタが空撃ちされる。その音だけで、一部の者は身を竦ませた。
「……この通り、人力よりも遥かに迅速に行うことができます。このバリスタの射程距離は数百メートルに達するので、私ならば敵の目を逃れて小勢で戦場を移動し、敵陣のどこでも思うがままに狙撃することができるでしょう」
にこやかに語るミカに対して、一同は未だ驚きに固まっていた。
「敵将モーティマー卿は、おそらく自軍の後方に本陣を置いてそこから指揮を執るだろう。なので私としては、ヴァレンタイン卿に敵本陣の狙撃を試みてもらいたいと考えている。状況的にそれが難しいようであれば、敵軍を側面から攻撃してもらう。いずれの場合でも、我々の戦いを大幅に有利にする強力な援護となることだろう」
ミカの肩へと親しげに手を置きながら、ローレンツは語る。
「さすがに数百メートルの距離で特定の人物を狙撃するのは極めて困難ですが、それでも敵本陣の方向へ矢をばら撒けば、敵の総大将たるモーティマー卿を大いに動揺させることが叶うかと。敵軍の側面を狙う場合は、私一人で十人でも二十人でも敵兵を無力化してご覧に入れます」
ローレンツの振る舞いは、一個人で強い戦力となるミカと親しい様を周囲に見せつけたい意図があからさまなもの。丘陵北側での政治的存在感を増しつつあるメルダース家と仲が良いことを示すのはヴァレンタイン家にとっても利となるので、ミカもされるがままで笑えみを作る。
「我々の本隊は正面から敵軍と激突し、ヴァレンタイン卿の率いる少数の別動隊に援護を担ってもらう。この戦い方を結論とすることで、皆々には同意してもらいたい。如何だろうか?」
ローレンツが一同に問いかけると、反対の声は誰からも上がらなかった。実際、彼の提示した策はこの連合軍が取り得るものとして最も有効そうだった。
「戦い方はそれでいいとして、総大将はどうする?」
続いて発言したのは、丘陵北側の一帯のうち、西の方に領地を有する領主家の当主だった。彼の言葉で、軍議の場には緊張が走る。
「……総大将が必要か?」
「必要に決まっている。さすがに各家の領主が好き勝手に命令を下すわけにもいくまい」
「……そうだな。弓兵や投石兵に一斉攻撃の命令を下したり、突撃の号令を発したりする者は誰か一人に定めなければならないだろう」
総大将の必要性が確認された上で、始まった議論はなかなか難航した。
今回こそ利害の一致から共闘することになった各領主家だが、普段は仲良しこよしというわけではない。揉め事を抱えている家同士も、戦争を経験した家同士もある。そのような相手と共に兵を並べて戦う状況について、誰もが程度の差はあれど、内心で不愉快に思っている。その上で、便宜上とはいえ総大将と仰ぐ者を一人に絞るとなれば、当然ながら様々な思惑が絡み合う。
あいつを総大将にはしたくない。誰かが候補になる度に、そのような内心からか異論を唱える者が出る。議論の中では棘のある会話も飛び交う。この地域の新参者であり、丘陵北側の領主社会に疎いミカには意味の分からない揶揄や皮肉も語られる。
「皆さん、なかなか大変そうだねぇ」
「はい、大変そうです」
あくまでも丘陵南側からの助力の立場である上に、別動隊を率いる自分は端から総大将の候補にならない。半ば蚊帳の外で不毛な議論を見物しながらミカが話しかけると、傍らに控えるディミトリは無表情で頷いた。
ミカとしては、誰が総大将になろうと構わない。強いて言えば、先代当主レイモンドが死んで協調路線をとる新当主が立ったとはいえ、昨年争った記憶もまだ新しいハウエルズ家の人間を総大将殿と呼びたくはない。
が、先代当主のせいで周辺の領主家との関係が良好とは言い難い上に、昨年に権勢を大きく衰えさせたハウエルズ家の当主を総大将にしようという声は上がらない。一度ハウエルズ卿が自薦したが、瞬時に皆から却下された。
「……結局、メルダース卿に任せるのが一番ではないか?」
しばし議論が続いた後、領主の一人が疲れたように息を吐いて言った。
「やはり、それが最適か」
「ええ、誰にとっても最も不満のない人選ですわ」
「そもそもメルダース卿が、共闘の発案者でもあることだからな」
議論を通してローレンツを推薦する声は二度ほど上がっていたが、いずれも他の者たちから却下が出た。ハウエルズ領を弱体化させた昨年の立ち回りや、今回の共闘の呼びかけによって丘陵北側での存在感を増しつつあるローレンツが、連合軍の総大将という立場を経験することでこれ以上の影響力を持つことを避けたいようだった。
しかし、事ここに至っては、基本的にどの領主家とも上手く付き合っているローレンツを選んでおくのが最も角が立たない。皆そのような結論に至ったのか、次々に賛同の声が上がる。
自家の弱体化の原因を作ったローレンツに対する反発からか、ハウエルズ卿は反対意見を示したが、数で押されて結局は了承。一応は全会一致の形でローレンツが総大将に選ばれた。
「総大将という名誉な役割を諸卿より頂いたこと、心より感謝する。あくまで我々は対等の立場であり、私の立場も便宜上のものではあるが、勝利のために心して務めさせてもらおう」
おそらくはこうなることを予想しつつ、しかし自分から名乗り出るのではなく「周囲から求められて総大将の座につく」という構図を見事に手に入れたローレンツは、爽やかに笑いながら宣言した。
「それでは諸卿、我々の家と領地、その未来を守るために、共に奮戦しよう!」
彼の言葉で軍議は締められ、各家の代表者たちは天幕を去っていく。
「ヴァレンタイン卿、バリスタを持ち上げてみせるあの振る舞い、見事だったよ。誰もが卿の魔法の才に驚き、卿が強き領主であることを認めたはずだ」
「そうであれば幸いです。宣言通りの活躍ができるよう努めます、総大将殿」
ミカも自身の天幕に帰ろうとしたところ、ローレンツから話しかけられ、笑顔を作って答える。
「ああ、よろしく頼むよ。それにしても、総大将殿か。何だかくすぐったい響きだなぁ」
ローレンツはそう言いながら、人好きのする笑みを浮かべた。
一見するとお人好しで、しかし立ち回りは抜かりない聡明な領主。ローレンツ・メルダースは今後、この丘陵北側の領主社会で新たな中心人物となっていくのだろう。ミカはそう考える。