第53話 合流
朝に村を発ったミカたちは、正午過ぎにはメルダース領の本村へと到着した。
「ヴァレンタイン卿! 来てくれたのか!」
「メルダース卿、出迎えありがとうございます。家臣たちとも話し合った結果、この通り小勢ではありますが、此度の戦いに助力することを決めました」
心底嬉しそうな表情で迎えに出てきてくれたローレンツに、ミカも笑顔を作ってみせる。ローレンツの差し出した手をしっかりと握り返す。
「心から歓迎するよ。強力な念魔法使いの卿が来てくれたとなれば、誠に頼もしい」
今回ミカが率いているのは、従者兼護衛のディミトリに加え、領民からの志願兵が二人。
出征に志願してくれたのは、若い領民の代表格になりつつあるジェレミーと、フーゴという四十歳ほどの男性領民。彼らは今回、ミカを守る盾持ち兼、出征中の雑用係を担う。
他に投石の名手ルイスも出征に志願してくれたが、彼には今回は村に残ってもらう判断をミカは下した。優秀な防衛戦力である彼がいれば、小規模な盗賊や魔物が村に現れても十分に対応できるという考えのもと。
人口百人ほどの弱小領地から領外での戦いに出せる人手としては、数人程度が限界だった。とはいえ、ヴァレンタイン領が出すことを求められている戦力は念魔法使いであるミカ個人なので、ミカが戦場で力を発揮するための護衛や補佐が揃っていればそれで十分と言える。ミカもそれを理解した上で、こうして僅か四人の小勢で出征に臨んでいる。
「ところで、魔法で荷馬車を牽いてきたのか?」
「はい。恥ずかしながら、我が領には今のところ馬がいませんので」
ローレンツの問いに答えながら、ミカは微苦笑を零す。
二年前に領地領民を捨てて逃亡した前領主は、村に唯一の馬と荷馬車ごと去った。その後に領主となったミカは、こうして大荷物を運ぶ必要のある場合に備え、行商人アーネストの伝手を頼って中古の荷馬車を安く買っておいたが、馬はまだいない。
「そうか……いくら念魔法があるとはいえ、馬なしで荷馬車を牽いて丘陵を越えるのは大変だっただろう」
「楽だったとは言いませんが、領地では普段から農作業で犂を牽いたり、開拓のために伐採した木を運んだりしています。重量物を牽くことには慣れているので、案外苦労はありませんでした」
「なるほど、それは何よりだ。念魔法というのは便利なものなんだなぁ」
「まあ、確かに念魔法は、数ある魔法の中でも汎用性が高いと思います。戦いはもちろん、領地発展を目指す上でも便利です」
ミカは荷馬車の馬を繋ぐ部分に、ある程度の重量のある丈夫な木材を繋ぎ、その木材を魔法で操ることで荷馬車を牽いてきた。
荷馬車を直接抱えて運ぼうとすると、その重量を魔力のみで持ち上げることになるため、さすがに重すぎる。車輪を「魔法の腕」で転がして荷馬車を前進させるという手もあるが、それでは常に車輪を視界に収めながら、細やかな魔法行使のために意識を集中させ続けなければならないため、精神的な疲労が大きい。
結果、この「縄で繋いだ別のものを魔法で操り、引っ張る」というやり方に落ち着いた。
前世の感覚で言うならば、直接抱えて運ぶには大きくて重いキャリーバッグも、取っ手を引っ張ることで楽に運べる……という理屈。重量を活かして農地を耕す犂を牽いたり、伐採直後で短く切り分けていない丸太を運んだりする際にも、ミカはこの手法を活用している。これならば木材ひとつを魔法で持つだけでいいので、意識の面でも楽だった。
「集結地点への出発は、これからすぐに?」
「いや、斥候を出したところ、敵軍はまだ動かない様子だ。他家の兵力も今日中には集結できないだろうし、卿らも移動で疲れているだろうから、ハウエルズ領へ向かうのは明日にしよう。今日のところは、供の者たちも含めて我が城でゆっくり休んでくれ。ささやかだが歓迎の宴を開こう……昨日はあまりゆっくり話せなかったからな。ヒューイット家のご令嬢との馴れ初めなど詳しく聞かせてくれ」
ローレンツはそう言って、嫌味のない笑顔を見せる。
ダリアンデル地方の感覚からすれば「変わり者のご令嬢」であるアイラの存在は、エルトポリ周辺ではそれなりに有名らしく、情報に聡いローレンツは当然のように知っていた。
彼にとっても、昨日に顔見せ程度の挨拶を交わしたアイラの服装や、ぬいぐるみを抱える振る舞いは、奇特と感じるものであるはず。しかし彼は、少なくとも表面上は、アイラを奇妙がる素振りは一切見せずにいてくれている。
「ええ、ぜひ自慢させてください。まるで物語のような運命的な出会いでしたので」
「ほう、それは聞くのが楽しみだ」
ローレンツから直々に案内されながら、ミカはメルダース家の城に入る。
・・・・・・
翌日。ローレンツの率いるメルダース軍およそ四十人と共に、ミカは集結地点のハウエルズ領へと移動した。
今やハウエルズ家がただひとつ領有する人里となった村。ハウエルズ家の弱体化に伴って一部の商人や職人などが逃げた結果、人口五百人を割ったというこの村と隣り合うように、各家の兵力が集まった野営地が築かれ始めていた。
「ハウエルズ家も含めると、集まっているのは三家か……予定通り、今日中には参戦を表明した全ての領主家の軍が揃いそうだな」
野営地は各家の軍ごとに寄り集まって天幕が建てられ、それぞれの中心には各家の家紋旗が立てられている。すぐ隣に城と村があるハウエルズ家のみ、家臣の控える天幕がひとつだけぽつりと立っている。その様を見回しながら、ローレンツは呟くように言った。
「現状の兵力は……僕たちも合わせて総勢で百五十に届く程度でしょうか」
「そんなところだろうな。予定通りに各家の軍が集まれば、こちらの総兵力は二百から三百の間といったところか」
ローレンツの呼びかけに応えた領主家は、ヴァレンタイン家を含めて七家。
昨年のヴァレンタイン領のように、外敵の襲撃を事前に察知して最大限の備えを成し、領民たちも士気旺盛の状態で戦いに臨めるのであれば、領内の成人男性を総動員しての戦いも叶う。が、そのような最良の例は少ない。
一般的に、一度の戦いに投入できる兵力の限界は、領内人口の十パーセントほどが目安と言われている。総人口のうち子供や老人や病人を除くと六割ほど、そのうち半数の三割が成人男性と考えると、全成人男性の三人に一人を徴集するというのは、現実的な限界として妥当と言える。
しかし実際は、領地の経済面や食料面での余裕、戦いに臨む時期、各村に徴集命令を伝達して実際に兵を選び集める実務の困難さなど、様々な条件に左右される。領地が広く村が多ければ、全ての村から兵を集める時間があるとは限らない。村が兵力の供出を拒否して、無抵抗で敵側のものとなる場合などもある。
また、領外への出征となると、かかる手間も金もさらに増えるため、投入できる兵力は一般的にさらに減る。
人口およそ六百のメルダース領が投入した四十という兵力は、領地規模を考えると相当に頑張っている方。おそらくローレンツは、共闘を呼びかけた立場としての意地もあってこれだけの兵を集め、領外へ出している。その他に、ここからごく近い場所が戦場となるであろうハウエルズ家も、自家にとって最後の領地である村を守るために多くの兵力を出してくれるものと予想される。
その他の領主家が出す兵力は、人口の五パーセントに届けば上等。それ以上は経済的にも労働力の面でも領地の負担が重くなる上に、おそらく各家とも、この戦いに敗北した場合の領地防衛を考えて兵力を出し惜しみする。できれば参戦したくないが、後々のことを考えるとここで略奪者どもを撃退できれば幸い……という消極的な姿勢から戦いに加わるのは、どの家も同じはず。
そうした背景事情を考えると、実戦力が二百以上三百以下というのは、予想としては妥当なものと言える。
「数の上ではこちらがやや少なくなるだろうが、敵軍も民兵が中心で、傭兵はあまり当てにならない戦力だからな。こうしてまとまった規模の軍勢が立ちはだかれば、それだけで逃げ腰になる者もいるだろう……それに、こちらには念魔法使いの卿がいる。卿がこのバリスタを自在に操って敵軍を撃てば、まさに百人力の効果があるだろうさ」
ローレンツは言いながら、ミカが魔法で牽く荷馬車を振り返る。
「しかし、これほど大きな戦争は本当に久々だな」
「両軍共に数百人規模の軍勢なんて、滅多に集まりませんからね」
「ああ。我がメルダース家の五代にわたる歴史の中でも、ここまでの規模の戦争に参加したことは二度しかなかったはずだ」
大小の領地が無数に並び立つこの時代のダリアンデル地方において、戦いの大半は、数十人ほどの手勢がぶつかり合う小規模なもの。百人単位の兵力が動くのは、大領主家や複数の領主家の連合が戦う場合などに限られる。そのような戦いは滅多に起こらない。
この地域が大帝国の領土の一部だった古の時代には、何千何万の軍勢が動員されるような戦いもあったという。が、中央の腐敗と疫病の流行によって帝国は崩壊。大陸西部の全体で動乱が巻き起こった闇の時代を経て、このダリアンデル地方には大小無数の領地が微妙なバランスの上に並び立っている。現代のダリアンデル地方を生きるミカたちにとっては、そんな大戦争は歴史や物語の世界の話だった。
いずれ各領地がもっと大きな括り――国という形でまとまるようになれば、より大規模な戦争も起こるのかもしれないが、それは今考えることではない。
「ひとまずは、我々も野営地を置くとしよう。卿らは人数が少ないから、一緒に天幕を並べるのがいいだろう……こういう場所では、揉め事が起こることも多いからな。仲の良い家同士で野営地を寄せておく方がいい」
昨日の友が今日の敵となることは珍しくなく、いつどこで対立が起こり、どの家が没落し滅びるかも分からない物騒な時代。今回は利害の一致から共闘する各領主家も、言ってしまえば互いが仮想敵。
そんな関係にある各家が武装集団を引き連れて集まるとなれば、揉め事が起こるのは必然。睨まれた。嘲笑された。ぶつかられた。装備や物資を盗まれた。あるいは盗まれそうになった。証拠はないがそんな気がした。様々なきっかけから喧嘩が起こり、それが刃傷沙汰に発展してもおかしくない。
「お気遣いに感謝します。そうさせてもらいます」
ミカは領主だが、その権力が及ぶのは自領の村だけ。他領の領主はもちろん、その家臣や領民に対しても何の権限もない。見た目には華奢で弱々しいため、いつどのような形で揉め事に巻き込まれるか分からない。
この場において、ローレンツは最も信用できる相手。なので、彼の提案をありがたく受け入れることにする。