第52話 我が領のため
ベアトリス・モーティマーが掠奪の対象として狙いを定めたのは、モーティマー領の南東方向、多少の交流のあるいくつかの小領地を越えた先にある、今までほとんど関わることのなかった小領地群だった。
このままでは飢えることは、農地を焼かれた領民たちもよく分かっている。ベアトリスが掠奪に臨む民兵を募ると、十分な人数が集まった。
さらにそこへ、ベアトリスと叔父の家督争いのために雇われた傭兵たちも増強戦力として加わった。彼らを下手に領内で解散させれば、そのまま村々を襲う盗賊へと早変わりしかねないため、彼らの取得物の所有権を丸ごと認める条件で掠奪に誘った。
大規模な掠奪に参加することで、まとまった戦利品を比較的容易に得られるとなれば、彼らは喜んでベアトリスの指揮下に入った。元は叔父の側に雇われていた傭兵たちも、雇い主が死んだとなればもはや関係ないと、ベアトリスに雇われていた傭兵たちと仲良く戦列に加わった。
そこへ直衛や民兵の指揮役として、モーティマー家に仕える騎士や兵士を十数人加え、二百人を超える兵力を揃えたベアトリスは、南東への進軍を開始。あらかじめ事情説明をしておいたので近隣の領地を通過することは問題なく叶い、軍勢は最初の獲物、テレジオ領を襲撃した。
事前に掠奪者の襲来を察知することができなかったらしいテレジオ領の本村は、組織立った抵抗も叶わず、呆気なく蹂躙されてくれた。己と家族の生き死にのかかった状況で狂暴化した民兵たちも、元が柄の悪い傭兵たちも、掠奪のみならず壮絶な暴虐をくり広げた。
それを、ベアトリスは止めなかった。規律も何もない民兵や傭兵の暴走など、そもそも止めようがなかった。最重要の戦利品である食料だけは家臣たちに管理させ、テレジオ家の領主館の財産からモーティマー家の取り分としてある程度を確保させ、後は兵たちの好き勝手にさせた。
テレジオ家の者たちまでもが殺されたことは、正直に言って誤算だった。彼らは生かして逃がすことで、襲撃を受けても領主家の人間は助命されると周辺の小領主たちに示し、抵抗の程度を弱めることをベアトリスは狙っていたが、この地の領主一家は民兵と傭兵の群れに館を襲われ、壮絶な暴行の末に殺されてしまった。死んでしまった以上はもはや仕方がなかった。
その調子でテレジオ領のもうひとつの村も蹂躙し、それでも食料はまだまだ足りない。また、モーティマー家の軍備の立て直しなども考えると、金品ももっと奪って資金の足しにしたい。この一帯での掠奪の続行を、ベアトリスは当然に決断した。
この段になると掠奪者の軍勢が襲来したことは周辺の小領主たちに知られたであろうから、抵抗を受けることを考慮して、さらに兵力を増強したい。そう考えたベアトリスは、自領の民から追加で兵を募った。
すると、最初の掠奪が大成功した報を聞いたことで、またもや多くの領民たちが奮って参加してくれた。テレジオ領での戦利品を自領へ輸送している間にさらなる兵力が集まり、軍勢の規模は三百を超えようとしていた。
一方で、この一帯の小領主たちも動きを見せていた。
「南東のハウエルズ領をはじめ、複数の領地で兵力を集めている動きが見られます。領地間を伝令らしき騎馬が行き来しているため、おそらく団結して抵抗するつもりかと」
「……そう。烏合の衆でいてくれることを期待したけれど、そこまで上手くはいかないわね」
周辺偵察の指揮をとらせていた側近格の騎士の報告に、ベアトリスはため息交じりに呟く。
この一帯の有力領主家であったハウエルズ家が昨年に大きく弱体化したという話は、ベアトリスも噂程度に聞いていた。結果として小領地ばかりとなったことも、この一帯を掠奪の対象と定めた理由のひとつだった。
中核となる有力領主家がなくなったことで、小領主たちがまとまることなく一方的に略奪されてくれれば、ベアトリスとしてはそれが一番よかった。が、そう都合良くはいかないようだった。
「撃退しておいた方がいいわよね?」
「集結した敵軍を避けながら掠奪する手もありますが、そうなると後々の動きが制限される上に思わぬ奇襲を受ける可能性がありますので、ここは撃退しておくのが得策かと。敵の主力がまとまっているところを一網打尽にして大損害を与えれば、以降はこの一帯の小領主たちも結託して抵抗する余裕はなくなるでしょう。そうなれば、脆弱な各領地を一方的に蹂躙できます……所詮は小領主家の寄せ集めの軍勢です。規模も強さも、大したことはないでしょう」
必ずしも軍事に長けているわけではないベアトリスが意見を求めると、側近はそう語った。
「では、撃退しましょう。奪った食料の後送を終え次第、敵側の集結地点に進軍するわ」
「御意に」
側近は敬礼し、ベアトリスの天幕から去っていった。
「……はぁ」
一人になったベアトリスは、憂鬱な表情でため息を零す。いざ掠奪に乗り出してから、このように嘆息するのはもう何度目かのこと。
今の自分の振る舞いは、決して褒められたことではないと分かっている。殺気を帯びて獣じみた集団を引き連れ、特に正当な理由もないのに他領に襲いかかる。これではまるで盗賊団の頭領のようだと思う。
それでも、代々の当主が少しずつ高めてきたモーティマー家の権勢を維持しつつ自領の民の腹を満たすには、こうするしかない。狙われる他家の領主や民は気の毒だが、ベアトリスにとっては彼らよりも自家と自領が優先なのは当然のこと。弱小の領地に生まれ、運にも恵まれなかった結果だと、犠牲者たちには諦めてもらうしかない。
誰しも我が事が大切。人間など所詮はそんなものだろう。
・・・・・・
翌日。出征準備は無事に終わり、ミカと供の者たちはヴァレンタイン領を出発する。
見送りの場にはアイラと、家臣や領民たち皆が出てきてくれた。
「ディミトリさん、ミカのことをどうかお願いしますね」
「任せてください。俺の身を盾にしてでも、必ずミカ様を守ります」
アイラが真摯な表情で言うと、ディミトリは彼女を安心させるように力強い声で答える。
「ミカ様……ディミトリさんは、昨日は私が不安がるのを慰めるくらい落ち着いてて、戦場でミカ様のお役に立つんだってしっかり覚悟を決めてました。だから、頼りにしてあげてください」
「もちろんだよ。君のお腹にいる子も含めて、この村の皆を守るために、ディミトリと一緒に頑張ってくるね」
夫を笑顔で見送るために、おそらく不安を懸命に押し殺しているのであろうビアンカに、ミカは穏やかな笑みを浮かべて答える。ディミトリはいざとなれば身を挺してミカを庇うことが役割である以上、ミカの立場では彼を必ず生きて帰すとビアンカに言えないのが辛いところだった。
それから、ミカはマルセルたち領民とも言葉を交わし、最後にアイラと向き合う。
アイラはミカを見つめ、抱き合えるほどの距離まで歩み寄り、そして傍らを振り返る。
「お願い。今だけ、ほんの少しの間だけ、見ないふりをしてくれない?」
この春から結婚式までのお目付け役としてヴァレンタイン領に滞在しているヒューイット家の使用人は、無言でアイラに頷くと、背を向けて立つ。
再びミカの方を振り返ったアイラは、そっとミカを抱き締める。ミカも、彼女の背に腕を回す。
二人でしっかりと抱き合いながら、ミカは初めて、彼女の体温を胸に感じた。例えようのない安心感と幸福感に満たされ、このまま彼女と離れたくないと思った。
それでも、彼女と離れて出発しなければならない。互いに腕を解き、そして視線を合わせる。鼻先が触れ合うほど間近で。
「……ミカ。あなたを愛してる。あなたの無事を全身全霊で祈ってるわ」
「僕もアイラを愛してる。必ず生きて帰ってくるよ。これから君と夫婦になって、君と一緒に生きていくために」
互いの想いを伝え合い、どちらからともなく唇を重ねた。アイラの目から零れた涙が、ミカの頬を伝って流れ落ちた。
そして、ミカはディミトリと、出征に志願した二人の領民を連れて村を発つ。
アイラがこのヴァレンタイン領で掴もうとしている新たな幸せは、彼女の伴侶となる自分が守らなければならない。庇護下の家臣と領民と、そして愛する女性。この村で暮らす皆の幸せを守り続けるために。この村だけは幸せであり続けるために。この村の幸せを脅かす危険を、この村から遠ざけるために。そのためにこそ自分は戦いに赴く。
二か月後にはアイラとの結婚式だ。その後には彼女との幸福な人生が末永く続いていくのだ。誰にも邪魔をさせてなるものか。必ず生きて帰ってアイラと結婚してみせる。
そう決意を固めながら、ミカは前に進む。