表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/81

第48話 甜菜と唐箕

 三月。冬が明けた頃には、ダリアンデル地方の恒例として祝祭が開かれる。皆で酒を飲み、豪華な料理を食べ、今年も冬を生き延びたことを神に感謝しながら春の訪れを祝い合う。


「アイラ様も、すっかり村に馴染まれましたね」

「そうだねぇ。僕が出会った頃と比べても笑顔が増えたように見えるし、この村に来てもらって本当によかったよ」


 領民たちに囲まれて親しげに話し、笑うアイラの様子を眺めながら、ミカはマルセルと言葉を交わす。一月の新年祝いに続いて、この村に来て初めての春の祝祭をアイラは存分に楽しんでいる様子で、そんな彼女へ視線を向けながらミカの表情は自然と綻ぶ。


「去年もそうでしたが、この祝祭の日は、この村がどんどん豊かになっているのだと特に実感します。皆も以前より祝祭を楽しんでいるように見えます。これもミカ様のおかげです」


 村の広場に並んだテーブルとその上に置かれた料理、広場の隅に並ぶエールの詰まった樽へと視線を移しながら、マルセルは言った。

 前領主に治められていた頃、領民たちの開く祝祭は、今よりもずっと質素なものだったという。パンだけは量を確保したがその質は悪く、貴重な家畜を潰した肉の量は豊富とは言えず、酒も飲み放題とはいかなかったという。

 しかし昨年の祝祭は、ミカの魔法の力の恩恵を受け、例年よりも贅沢なものとなった。今年はさらに豪勢になり、小麦のパン、全員に十分な量が行き渡る肉、そして確実に今日一日では飲みきれない量のエールが並んでいる。さらには、貴重な甘味である蜂蜜を使った菓子まで、一人につき数口ずつの量だが用意された。

 パンと一部の肉、そして菓子に関しては、ミカが領主として皆に振る舞ったもの。領民たちはミカの気前の良さに大いに感謝しており、菓子の美味さに感涙する者さえいるほど。


「春の祝祭を思いきり楽しめば、皆この先の忙しい毎日を頑張る活力が湧くだろうからね。祭りを豪勢なものにするのも領主の大切な仕事だよ」

「まさしくミカ様のお考え通り、皆明日から全力で仕事に臨めるでしょう……まずは、春の種蒔きですね」

「そうだね。今年は今までよりも農地が広くて大変だと思うけど、よろしく頼むよ」

「お任せください。皆も奮起するはずです。春にこれほど広く作付けができることを、大変がるよりもむしろ喜んでいますから」


 今年の春に作付けが行われるのは、昨年に小麦とライ麦の収穫が行われた農地。これまでの二圃制であれば今年は休耕地となるはずだった農地へ春の作付けがなされることで、いよいよ三圃制が本格的に始動することとなる。


 従来であれば、春の耕作地をこれほど広くとることは難しかった。その理由は、年間の農業計画にあった。三月頃に種を蒔いて九月頃に収穫する大麦をあまり多く育てようとすると、収穫と脱穀に時間がかかり過ぎて、その後に小麦とライ麦の耕作地を耕す作業が終わらなくなってしまう。納税と主食確保のために小麦とライ麦をより多く育てる必要があるため、大麦の作付け面積を増やすにも限界があった。

 しかし現在は、脱穀機がある。現在三台ある脱穀機を、今年はさらに二つほど増やす予定。

 そしてミカは、これまでの収入とハウエルズ家から受け取った賠償金、さらにはこの夏に見込まれる税収を使って、いよいよ農耕馬を購入することを決断した。アーネストを頼り、ユーティライネン領で馬牧場を営む村に購入を願ったところ、アイラの従姉であるサンドラ・ユーティライネンのありがたい口添えもあった結果、今秋に農耕馬が届けられることになった。


 脱穀機と農耕馬を活用すれば、膨大な量の大麦を素早く脱穀した後に小麦とライ麦用の農地を素早く耕すことが可能。なので今年は、これまでよりも格段に広い耕作地を大麦に充てることができる。

 このおかげもあり、同じ農地を二年続けて利用することについて、領民たちはほとんど抵抗を感じていない様子だった。ミカの三圃制の目論見が上手くいかず、大麦の収穫量が期待通りとはならなかったとしても、一部が犂で深く耕されている上に全体の面積そのものが広い耕作地からは、この村で消費するのに十分以上の大麦が収穫されるだろうと皆が考えている。

 領民たちが良い意味で楽観視してくれるおかげで、ミカは何らの問題なく三圃制を推し進めることができている。


 また、この春に種を蒔くのは大麦だけではない。


「燕麦と甜菜についても、心して管理に努めます。農耕馬の餌の確保は最重要事項ですし、甜菜は別の試みにも使われるとのことですので」

「ありがとう。マルセルが管理してくれるなら僕も安心だよ」


 今年中に農耕馬を迎えるとなると、その馬たちの餌が必要となる。なのでミカは、春の耕作地の一部で、馬の餌となる燕麦と甜菜の栽培を行うことにしていた。アーネストに頼み、昨年の秋のうちに燕麦と甜菜の種を入手しておいた。

 単に馬の餌を確保するだけならば他の麦と同じ要領で育てられる燕麦だけでも事足りるにもかかわらず、あえて甜菜の栽培も行うのには理由がある。単なる餌の確保以上の意図がある。


 この時代のダリアンデル地方においては葉を野菜として、根を家畜の飼料として用いるのみである甜菜だが、これが砂糖の原料となることを、前世の記憶を持つミカは知っている。品種改良などなされていないこの世界の甜菜だが、それでも子供の頃にカロッサ領で採れた甜菜の根を齧ってみたときは、確かに甘みを感じた。

 今年の秋に甜菜の収穫が叶ったら、ミカはそれを使って砂糖の生産を試みるつもりでいる。商品になり得る質の砂糖を作れるようになったら、以降は砂糖生産をヴァレンタイン領の産業のひとつとすることを考えている。


 この世界のこの時代において、甘味は極めて貴重。ダリアンデル地方の外、南から少量が輸入される砂糖はとても高価で、領主層といえど気楽に口にできるものではない。より一般的な甘味としては蜂蜜や、それも気軽に入手できない庶民の間ではベリーや果物などが食べられている。

 そんな世の中なので、甜菜から上質な砂糖を作れるようになれば、それはヴァレンタイン家にとって極めて大きな収入源となり得る。砂糖生産は、ヴァレンタイン領の財政を支え、領内社会を大きく発展させる基幹産業のひとつとなり得る。

 まだ商業が未発展で交易の規模も小さいこの時代、砂糖を輸出しようにも贅沢品の需要は限られる。なので価格の暴落を防ぐためにも、ひとまずは小規模に生産を行うことになるだろう。それだけでも、小領地の事業収入としては莫大な額が入ってくると期待できる。


 このように金になる事業を行うとなれば、原料は隠し通せないとしても、生産工程を隠す拠点が必要。その点については、数年以内に完成予定の城がそのまま使える。城の中に砂糖生産の作業場を置けば、生産方法が漏れる可能性はほぼない。

 近隣の領地には直接輸出するとして、遠い地域への輸出に関しては、商業都市エルトポリを抱える姻戚ユーティライネン家を頼ればいい。エルトポリは東西と南北に延びる街道の交差地点に位置し、遠方の商人も滞在あるいは通行するので、互いの御用商人を介して砂糖を卸せば、後はユーティライネン家が捌いてくれる。


 金になる産業を抱えるとなれば、その産業や領地そのものを守る直接的な力、つまりは軍事力も備えなければならないので、そうなるとやはり軍事力の土台となる領地の発展を推し進めることも重要。農業生産力が高まって領地人口が増えたら、領地防衛に専従する武門の家臣や職業兵士を増やし、領民による自衛訓練の規模を拡大し、装備も充実させたい。

 ついでに、砂糖の流通がユーティライネン家の「シノギ」となれば、砂糖産業を抱えるヴァレンタイン家は、いざというときにユーティライネン家から助けてもらえる可能性がより高まる。ユーティライネン家そのものが産業を奪いにくる可能性もないではないが、そこはそうならないよう政治的な努力するしかない。当代当主サンドラは穏健なのでおそらく大丈夫で、次代については政略結婚などで友好関係を維持し、以降は子孫の努力に任せることになる。


 夢が膨らむが、いずれも詳細を考えて行動に移すのはまだ先の話。今のところは、一歩ずつ地道に領地発展を目指すしかない。


・・・・・・


 春の作付けも無事に終わり、四月。ミカは前世の知識をもとに、農業をより効率化するための道具を新たに開発した。


「これはまた、大きな道具ですね……」

「なんか、武器みたいっすね!」


 領主館の裏庭。円筒を横倒しにして、そこから長方形の箱が突き出たような大型の道具をミカが披露すると、マルセルとジェレミーが興味深そうに言う。他にこの場に集められた領民たちも、不思議そうな表情で道具を見ている。


「あはは、確かに見た目は大きくて仰々しいけど、内部の構造は単純だよ。この道具は……名づけるとすれば『ふるい機』かな」

「ということは、これは麦の籾殻や藁くずを分けるふるいと同じ機能があるのですか?」


 マルセルの問いに、ミカは首肯する。

 脱穀した麦には籾殻や藁くずも混じっており、そうした不純物を取り除く作業には、この世界のこの時代においてはふるいが用いられている。


「まさにその通りだよ。一人がこの取っ手を回して、別の一人が脱穀した麦をここに入れると、麦の粒は下から、籾殻や藁くずは横から出てくるんだ。実践してみるね」


 そう言って、ミカはディミトリと共に道具の試用を始める。

 ディミトリは横向きの円筒部分の前に立ち、円筒の中心から突き出ている取っ手を回す。そしてミカは、円筒と繋がる長方形の箱の部分、その上に取りつけられた四角い漏斗へ、籾殻や藁くずの混じった麦を注ぐ。道具が大きいため、小柄なミカは背伸びをしながら漏斗の上に手を伸ばし、籠に入った麦を少しずつ注いでいく。 

 すると、麦は箱の中を通り抜け、下にある穴から次々に落ちてきて、穴の下に置かれた別の籠の中へと溜まっていく。一方で籾殻や藁くずは、箱の横に開いた穴から出てきて地面に落ちる。


 これは、ミカの前世で言うところの「唐箕」と呼ばれる道具だった。

 麦を少量ずつふるいに乗せて振り、籾殻や藁くずと分ける作業には、時間も手間もかかる。この作業は従来の脱穀作業と並んで、農民の大きな負担になっている。

 そんな麦の選別作業を大幅に効率化するために、ミカはこの唐箕を作った。

 唐箕の仕組みは単純で、円筒を横倒しにしたような部分の中にある、取っ手と連動した羽根を回転させ、その風で麦と不純物の選別を行う。取っ手と共に羽根が回ることで起こった風は、円筒部分と繋がった箱へと送られる。箱の上の漏斗から注ぎ込まれた脱穀済みの麦のうち、麦粒はある程度の重さがあるために風に飛ばされることなく下の開口部へと落ちる。一方で籾殻や藁くずは、ごく軽いために風に飛ばされ、横の穴から飛び出す。


「おお……なるほど、中で羽根を回して風を送っているのですか……それで、選別作業がこれほど簡単に……」


 マルセルは驚きを顔に表しながら言った。彼だけでなくジェレミーも他の領民たちも、感嘆の声を上げながら「ふるい機」の動作に見入る。実際に使われるところを目の当たりにしたことで、見た目には大がかりな道具であるふるい機の仕組みを大まかに理解してくれたようだった。


「取っ手を回すのが速すぎると、風が強すぎて麦粒まで飛ばしちゃうし、麦を漏斗に注ぐ側も一度に多く注ぎすぎると選別が不十分になっちゃうから、正しく活用するには多少のコツが必要になるかな。だけどそのコツさえつかんでしまえば、選別作業の効率は格段に上がると思うよ」


 ミカが説明しているうちに、籠一杯の麦はあっという間に選別が完了した。

 ふるい機の開口部の下に置かれた籠、そこに溜まった麦を確認するマルセルは、選別の早さはもちろん、ふるい機による選別作業の精度にも驚いている様子だった。


「これは、本当に素晴らしい道具ですね……やはりこれも、ミカ様がお考えに?」

「……そうだよ! 脱穀機の仕組みを転用して、麦粒の選別作業も楽にできないかなと思って、これを考え出したんだ」

「なるほど。確かに、取っ手を回す仕組みは脱穀機と同じですね。しかし、それをこのように転用して、これほど優れた道具に……さすがはミカ様です」


 敬意のこもった眼差しを向けてくるマルセルに、ミカは微笑を返す。またもや前世の誰かの手柄を自分のものとしたことに、少しばかりの罪悪感を覚えながら。

 脱穀機の開発を経てこのふるい機を考え出したとミカはディミトリたちにも説明しているが、実際は、前世から唐箕の存在を知っていた。その完成が今年になった理由はごく単純、昨年は開拓や農業やその他の仕事に追われ、そこまで手が回らなかった。


「このふるい機があれば、収穫後の作業にかかる時間はさらに短縮されるかな?」

「はい、今の実践の様子を見るに、大幅に短縮されるかと思います。その分、他の仕事に取り組めます」

「それはよかった。他の仕事もだけど、君たちが余暇を楽しむ時間を多くとれるようになるだろうから、それも幸いだよ」

「……閣下の慈悲深さに、領民を代表して感謝申し上げます」


 ミカの言葉を聞いたマルセルは、感服した表情で言った。

 庶民の多くは朝起きてから夜眠るまで何かしらの仕事に追われ、時間に余裕があるのはせいぜい冬の短い期間。暖かい季節に潤沢な余暇時間があるのは、言わば裕福である証。それを領民に与えるのは、領主としての慈愛の証に他ならない。


「良き領主として領民を幸せにすることは、僕の夢だからね……さて、一応は形になったふるい機だけど、農業に慣れてない僕が作った道具だから、まだ細かい部分は改善の余地があると思う。皆にも試してもらって、感想や意見を聞きたいんだ」

「かしこまりました。喜んでお手伝いいたします」


 この場にいる領民たちを代表して、マルセルはそう答えた。

 それから彼らの意見を取り入れ、ミカは漏斗の大きさや麦粒の出口の形状などを改善。ふるい機はより洗練された道具として完成し、量産されていくこととなる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ