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第46話 二度目の冬

 冬が本格化すると、領地間を行き来する者は大幅に減り、社会は休眠状態に入る。

 ヴァレンタイン領も例外ではない。今年もまた、百人余りの住民たちは閉じた社会の中で春の到来を待つ。

 晴れた日中に行われる開拓作業や、城の建造作業。各家に併設して作られた野菜用の菜園の手入れ。そうした仕事を除けば、人々が屋外で活動することはあまりない。自由な時間の増えるこの時期は、皆にとって身体を休める貴重な期間でもある。


 そんな冬のある日、領主館の大部屋には二十人ほどの領民たちが集まっていた。

 彼らが行うのは、勉強。領内の農業生産力向上と共に現金収入を得る機会が飛躍的に増えていくであろう領民たちが、その収入を賢く使っていけるよう、ミカは彼らに基本的な計算や現金の管理の仕方を教えることにした。領民たちを世代ごとに分け、それぞれ週に一度程度、館に集めて指導することにした。

 とはいえ、ミカ自身は冬の間も魔法を活用し、手の空いている領民たちと共に屋外で作業をしていることが多い。そのため、館に集まった領民たちの教師役を務めるのは、アイラだった。


「それじゃあ、先週の宿題の習熟度を確認していきますね。問題を出すので、指名された人は頑張って答えてみましょう……ジェレミーさん、三かける八は?」

「えっと、二十四っす!」

「はい、正解です。それじゃあ、七かける六は?」

「えっと、えーっと……よ、四十六!」

「残念、答えは四十二です。惜しかったわね」

「外した! あちゃーっ!」


 アイラに言われたジェレミーは、悔しそうに嘆きながら頭をかく。その大仰な素振りに、今日集まっている若い領民たちから笑い声が起こる。アイラもクスッと笑う。


「じゃあ次は、イェレナさん。四かける九は?」

「えぇと、三十六です!」

「正解よ。それじゃあ、八かける九は?」

「七十二です!」

「また正解ね。それじゃあ……十二かける四は?」

「えっ……と、あっ、四十八っ?」

「凄いわ、大正解よ」


 ジェレミーと良い仲だと言われている若い女性領民イェレナは、やや応用的な問題にも見事答えきった。アイラは少し驚いて片眉を上げながら、称賛の言葉をかける。

 農作業や行商人との取引の際に必要となるので、領民たちも簡単な足し算と引き算は元よりできた。二桁の足し算引き算も、時間をかければ一応できていた。間違えることも少なくないが。

 しかし、かけ算となると途端に怪しかった。そのため、まずは九九を覚えることを、ミカは彼らに目標として課した。九九の暗記をさせつつ、かけ算の仕組みについても教え、頭の回転の速い者は一方が十以上の数のかけ算もこなせるようにすることがこの冬の目標だった。

 特に彼らのような、領内社会の次代を担う若い領民たちに関しては、できれば数年以内に全員がかけ算に加えて割り算までを習得してほしい。筆算なども使って、二桁までのかけ算と割り算ができるようになってほしい。ミカはそのように語っていたので、アイラも彼を助けるべく、こうして教師役を担っている。


 領民たちに勉強を教える過程で、彼らとの交流も深めることができている。

 当初はアイラの存在を不思議がっていた彼らも、こうして話しているうちに、アイラが個性的なのは身なりだけだと理解してくれた。アイラの得体が知れてからは、ごく普通に接してくれるようになった。指導を受ける中でアイラを「難しいことをたくさん知っている賢い人」だと思ってくれたようで、尊敬の眼差しさえ向けてくれるようになった。

 きっとミカは、自分がこうしてヴァレンタイン領の社会に融和していくことを予想した上で、自分にこの役割を任せてくれた。そう思いながら、アイラは彼により一層の敬意と愛情を抱く。


 一通り計算の授業をした後は、金銭の管理についての指導に移る。


「――皆さんからの税として領主家に入ってきたお金は、領主家の生活だけに使われるわけではありません。領主や家臣の使う武具の維持、今のヴァレンタイン領にはいませんが、馬を飼っていればその馬の維持、水車小屋や浴場、橋などの整備、そうした様々な目的に使われます……前の領主家はそうして領地を管理するためのお金を減らして、自分たちの贅沢のために結構なお金を使っていたようですが、ヴァレンタイン家は違います。領地全体のため、つまり領民の皆さんのために、正しくお金を割り振っています」


 アイラの解説を、領民たちは感心した表情で聞いている。前領主ドンドの領地運営しか知らない彼らにとって、税とは「よく分からないが領主家が分捕っていくもの」という認識だったらしいので、今後の円滑な領地運営のためにもその認識を改めさせ、領内社会に対する解像度を高めさせるのは重要なことだった。


「その税収も、毎年入ってきた分を全て使い切るわけではありません。急に災害や戦争などが起こった場合に備えて、お金を蓄えておきます。どの領地の領主家も、普通はある程度のお金を貯めます。そしていざというときは、災害や戦争のために足りなくなった食料を領外から買ったり、壊れた施設を直したりするために貯めていたお金を使います」


 帳簿を見たところ、ドンダンド家はそのような予備費をろくに持っていなかったようだが。アイラはそう思いながらも、言葉にはしない。


「なので皆さんも同じように、ある程度のお金を貯めるようにしましょう。例えば、皆さんが一年間に使う最低限のお金は銀貨五枚ほどと聞きました。その倍の銀貨十枚もあれば、不作になって現金収入がほとんどない年があっても、農具を修繕したり塩を買ったりと、最低限必要なことにお金を払った上で、急な出費にも対応することができるでしょう。不作が続くこともあるので、数年分のお金を貯めておけば安心できますね……とはいえ、急にそれだけのお金を貯めるのは大変です。なので例えば、現金収入の五分の一、銀貨二十五枚を稼いだらそのうち五枚は貯めておく、というように貯金をするといいでしょう。ここまでで、何か質問がある人は?」


 アイラはなるべく平易な言葉選びで語り、領民たちは意欲的な態度でそれを聞く。分からないところがあれば質問もする。

 領民たちの教育面も含め、ヴァレンタイン領の社会は徐々に発展していく。


・・・・・・


 年が明け、聖暦一〇四四年の一月中旬。よく晴れたある日の午後、ミカは村の北側で城の建造作業に勤しんでいた。

 今年から、領民たちには月に数回、一回につき半日ほどの労役が義務づけられる。今日の当番である数人の領民たちと共に、ミカは城の土台となる丘を造るため、地面を崩しては土を盛る。そうして作業が一段落すると、皆で小休憩をとる。


「ミカ、お疲れさま」


 重労働を担う領民たちへの労いとして薄い果実水を配り、自分も皆と一緒に飲んでいると、アイラが作業現場を訪れた。ディミトリと領民たちは領主の婚約者に軽く頭を下げ、ミカは自分も彼女の方へ歩み寄って迎える。


「ありがとう、アイラ。城の様子を見にきたの?」

「ええ。お城造りの進み具合を、間近で見てみたくなったの……もう随分と土台の形が見えてきたのね。ミカも皆も凄いわ」


 アイラはそう言いながら、楽しげな表情で人工の丘を見回す。冬の只中ともなれば外はなかなかに寒いので、彼女も、傍らに立つヒューイット家の使用人も、しっかりと外套を着こんでいる。彼女の腕に抱かれたぬいぐるみのアンバーも、羊毛で編まれた小さな外套を着こみ、いつも以上に丸っこくなっている。


「地面を崩す作業は僕の魔法で効率よくできるけど、それを盛る作業は人手の数がものを言うからね。ここまで順調に進んでるのも、皆が頑張ってくれてるおかげだよ」


 ミカも建造現場に視線を向け、そう語る。

 小さなものとはいえ、丘をひとつ人の手で造るとなれば、かなりの大仕事。この作業だけでも一年以上かかるかもしれないと、ミカは当初考えていた。しかし、念魔法による土木作業の効率が凄まじく高いことに加え、領民たちが真面目に仕事に臨んでくれることもあり、作業は予想以上に順調に進んでいる。


「皆があなたのお城を造るためにそれだけ頑張ってくれるのも、あなたが深く敬愛されているからこそなんでしょうね」

「そういうことになるのかな。だとしたら光栄なことだね」


 少し照れたように笑うミカに、アイラは優しい笑みを向ける。

 そして彼女は、ミカの姿に視線をめぐらせる。


「……こうしてあなたが外套を着ている姿を見ると、あなたは遠いところから来たんだとあらためて実感するわ」


 この世界のこの時代、外套は首元あるいは肩の一方で留めるマントのようなものが一般的。そしてこの外套の作りは、ダリアンデル地方の北と南で多少異なっている。

 南部の方では一枚布のマントを羽織り、それでも寒い場合は、首回りを覆う短いケープのついたフードを別で被るのが一般的。一方で北部では、初めからフード付きのマントを身に着け、それほど寒くない日はフードを上げて背中の方に垂らしておくのが一般的。

 アイラや領民たちがフードのないマントを羽織っているのに対して、ミカは生家を発つ際に持ってきた外套――フード付きのマントを身に着けている。ミカの首の後ろに垂れ下がるフードは、ミカが遠く北からこの地へ流れ着いたことの証のひとつ。


「北で生まれた魔法使いと、南で生まれた変わり者の女が出会って、愛し合って、今年の秋には夫婦になる……私たちまるで、物語の主人公みたいね」

「物語の主人公か、そう思うと、なんだか楽しくなるね……これからもずっと一緒に、幸せな物語みたいな人生を送ろう。ここに建つ城を舞台にして」


 愛しそうにこちらを見つめるアイラに、ミカも慈愛のこもった微笑を向ける。

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