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第45話 ツノグマ②

 結局、一トンに迫るのではないかというほど巨大なツノグマをそのまま村へ運ぶのは無理があるため、森である程度解体した上で運ぶことになった。

 血抜きがなされ、魔石や内臓が取り出され、肉や骨もある程度切り離された上で、ようやく魔法で運べる重さとなったツノグマの死体を村へ持ち帰ったときには、既に午後になっていた。


「ふぅー、重かったぁ」


 ひとまず村の広場へツノグマを下ろしたミカは、息を吐きながらその場に座り込む。さすがに五百キログラムもありそうな毛皮と肉と骨の塊を村まで運ぶと、魔力の消耗も激しく、大きな疲労を感じざるを得なかった。


「ミカ、お帰りなさい。無事で本当によかったわ」

「ただいま、アイラ。出迎えありがとう」


 ツノグマが狩られたという話を聞いて領主館から出てきたらしいアイラに迎えられ、ミカは彼女と言葉を交わしながら手を繋ぐ。ツノグマを仕留めた後に全員の無事は伝えられていたが、それでも心配だったらしく、彼女は座り込んでいるミカを心から安堵した表情で見下ろしながら、ミカの手をしっかりと握る。

 お互い本当はこのまま抱き合いたいところだが、そこまでするとお目付け役のヒューイット家使用人に叱られてしまうので我慢する。


「これが、ツノグマなのね……こうして丸ごと一頭の姿を見るのは初めてだけど、本当にものすごく大きいのね。これが生き物だなんて信じられないわ」

「これで吠えて近づいてくるんだから、対面したときはさすがに身体が震えたよ。多分、この個体はツノグマの中でも特に大きな方なんじゃないかな」


 ツノグマの方を振り返り、半ば唖然としながら言うアイラに、ミカは苦笑交じりに答える。アイラの腕に抱えられているぬいぐるみのアンバーも、ツノグマを向いてどこか慄いているように見えた。

 広場には多くの領民たちが集まり、滅多に見られないツノグマの死体を、アイラと同じように興味深そうに見物している。


「私には想像もできないくらい、すごく怖かったでしょうね……それなのに立ち向かったミカは凄いわ」

「あはは、領主が逃げるわけにはいかないからね」


 アイラから尊敬の眼差しを向けられ、ミカは照れ隠しに笑う。


「だけどまあ、案外あっさり仕留められたよ。連射式クロスボウはさすがの威力だったし、攻撃を連発するのも楽だったから」


 単に射程や威力や連射性に優れることだけでなく、敵の方へ向けてしまえば、後は弦と引き金を交互に引くだけで簡単に強力な攻撃を連発できることも連射式クロスボウの利点のひとつ。念魔法の行使には集中力を必要とするので、大まかな照準と簡単な発射動作だけに最小限の集中力を割けばいいこの戦い方は、ミカにとっては非常に楽だった。

 攻撃を放つのに消費する魔力の点でも、弦を引く多少の魔力と引き金を引くごく僅かな魔力を消費するだけで鎧をも貫く一撃をくり出せるのであれば、その一撃と同じ高初速を生み出すために大きな魔力を注ぎ込んで投擲物を加速させるよりも効率がいい。

 これならば、魔力や集中力の消耗による疲労を遅らせて長く攻撃を放ち続けられる。指揮を取りながら長時間戦うことになってもきっと耐えられる。


「さてと……恐ろしい魔物も、仕留めてしまえばお宝の山だね」


 呼吸を整えて立ち上がり、あらためてツノグマの姿を眺めながらミカは言った。

 ツノグマは強敵である分、狩れば得られるものも多い。

 まずは肉。あまり美味くはないらしいが、とにかく量がある。そして太く丈夫な骨は、様々な道具を作る上での素材として役立つ。

 一部の内臓も、珍味や薬の材料として価値がある。そしてツノグマの脚の腱は、加工が容易で丈夫な弦の材料として、弓やクロスボウやバリスタを作る際に有用とされている。ミカの連射式クロスボウの弦も、このツノグマの腱を使えば、おそらく今より丈夫で上質なものを作れる。

 そして毛皮は、高級な寝具や外套の材料となる。体躯に見合う大きな魔石も、肥料などの原料として極めて有用。額の角も、装飾品の材料として価値がある。


「でも、角は頭蓋骨ごととっておこうかな。大きな雄のツノグマを狩った記念になるし」


 ツノグマの額から生えた、長さ三十センチメートルはありそうな角を眺めながら、ミカは呟く。

 前領主家が金目の物を尽く持ち出してしまったせいで、ヴァレンタイン家の領主館には装飾品の類がほとんどない。領主家の居所としては威厳に欠ける。

 その点、雄のツノグマの角は、館に飾る品として丁度いい。角の生えた頭蓋骨を飾っておけば、ツノグマを狩った証拠として、客人に領主ミカの強さを誇示してくれる。はったり以上のものではないが、こうしたはったりの効果は馬鹿にできない。また、角自体が高価な品なので、いざというときは換金できる資産として取っておいても損はない。


「それと、この魔石も売らずにうちの領地で使おっか」


 そう言ってミカが視線を向けたのは、マルセルに運搬を担ってもらったツノグマの魔石。その大きさは拳二つ分ほどと、一般的な魔石の数倍から数十倍にも及ぶ。

 おまけに、色も濃い。魔石はミカの前世で言うところのアメジストのような見た目をしており、色が濃いほど含まれる魔力が高く、肥料などに使う際の効果も高いとされている。


「これほどの魔石があれば、いったいどれほどの肥料ができるのでしょうか……」

「確か、僕が昔読んだ書物では、ツノグマの魔石を肥料にするときに適した濃度は……一万倍」


 マルセルが呟いた疑問に答え、ミカは顔を引きつらせる。自分で発したその言葉に慄く。

 魔石は比較的簡単に割れるため、肥料として用いる際は粉末にして水に溶かし、農地に撒く。マルネズミの魔石――小指の爪よりも小さくて色の薄い魔石でも、数百倍に薄めて使える。


「あくまで一般的なツノグマの魔石の場合だから、より大きくて強そうな個体の魔石となれば、もう少し濃度を下げても大丈夫だろうね。その上でこの魔石の重さを鑑みると……」

「……この先さらに農地を広げていくことを考えても、当面は肥料に困りませんね」

「そうだね。肥料以外にも、燃料や薬にも困らずに済むよ。領地発展のための資源としても、非常時の備えとしても大助かりだ」


 魔石の使い道は様々。火を点ければ含有魔力を消費して一定時間燃え続けるので、薪を節約するための燃料としても、武器の材料としても使える。さらには、薬の原料としても有用。おまけに魔石は腐敗しないので、質の良い魔石は場所をとらない備蓄物資、目減りしない資産になる。


「後は、毛皮も売らずにうちで使いたいな」


 言いながら、ミカはツノグマの巨体を見回す。


「毛並みも綺麗だし、とにかく大きいし、すごく立派な毛皮ね……何に使うの?」

「僕とアイラが結婚した後の、冬用の毛皮布団だよ」


 アイラの問いに、ミカは微笑しながら答える。その言葉を聞いたアイラは驚いたのか、目を丸くする。


「僕の寝室の冬用布団、前の領主夫妻のお下がりなんだけど、古くてぼろぼろなんだよね。僕一人ならともかく、アイラにあれを使ってもらうのは申し訳ないと思ってたんだ。二人で一緒に使える大きさの冬用布団を新調するとなれば結構な出費になると思ってたけど、これだけ大きな新品の毛皮があれば、加工の手間だけで新しい布団が作れる。これだけ厚くてもこもこなら、冬もあったかく快適に、一緒に寝られる……」


 ミカが語るのを聞きながら、アイラの顔がどんどん赤くなる。どうやら、二人で同じ布団で眠ることを想像するのは、彼女にはまだ刺激が強かったようだった。

 彼女が真っ赤になるのを見て、ミカも話しながら何だか気恥ずかしくなり、黙り込む。自分の顔が少し赤くなっているのが分かる。

 そんな初々しい領主とその婚約者の様子を、領民たちは微笑ましく見ていた。


・・・・・・


 その日の夕方。ツノグマの解体も概ね終わり、魔法を使って作業を手伝ったミカは、疲労を癒すために風呂に入る。


「ふい~、極楽ぅ」


 大きな桶に湯を溜めた風呂に浸かり、ミカは独り言ちる。前世でも今世でも、入浴の心地良さは変わらない。

 身体を衛生的に保つために風呂が効果的であることは、この世界においても経験則として知られている。蒸し風呂が一般的で、村にも水車小屋の隣に小さな公衆浴場のような場所があり、週に数回、男女で日を分けて稼働している。


 一方で、湯につかる入浴の習慣も存在する。蒸し風呂よりも贅沢なものとされているが、魔石を燃料として用いることで薪だけを使うよりも楽に湯を沸かせるため、準備は案外大変ではない。

 ミカは毎日お湯で髪を洗って身体を拭く他に、週に二度ほど、こうして湯に浸かっている。自身にとって唯一の贅沢として。

 風呂の温かさをしばらく堪能した後は、館の庭で育てられている魔法植物の実を石鹸代わりに髪を洗う。そして身体を拭き、服を着て大部屋に戻ると、アイラが迎えてくれた。


「ミカ、お帰りなさい。はい、お茶をどうぞ」

「ありがとう、アイラ」


 ミカは彼女と微笑を交わし、木製のカップを受け取って一口飲む。

 ダリアンデル地方でお茶と言えば、ハーブ茶を指す。ほどよく冷まされたハーブ茶は、さっぱりとした風味で飲みやすく、風呂上がりの身体に沁みた。

 お茶からは魔力の風味もほのかに感じられる。魔法使いは魔力を大きく消耗した際、より早く疲労と魔力を回復するために、魔石を口にすることがある。ミカも一日の終わりには、魔石の粉末が少しだけ加えられたハーブ茶を飲むのが習慣になっている。


「はぁ、美味しい……」

「ふふふ、よかった。今日は私が淹れたのよ」

「そうだったんだ……大仕事を終えてお風呂に入った後に、愛する人の淹れてくれたお茶を飲めるなんて、最高の一日だね」

「……嬉しいわ。そんなに喜んでもらえて」


 愛する人、と言われたアイラは、また顔を赤くしながら答える。

 そして彼女は、ミカと交代して入浴するために浴室へ向かう。ヒューイット家の使用人が、彼女の入浴を手伝うために後へ続く。ちなみにこのお目付け役の使用人は、初冬にヒューイット家からアイラの様子を見る使者が来訪した際に、新しい者と交代している。

 ミカはハーブ茶を飲みながら、大部屋の椅子に座って一息つく。ふと隣の椅子を見ると、さすがにアイラと一緒に入浴まではできないぬいぐるみのアンバーが、ちょこんと座っていた。


 大部屋の隅では、ディミトリが床に座り込んで壁にもたれかかり、疲れたのか少しうとうとしている。ミカの入浴前に手桶にお湯を分けていた彼は、既に自室で髪や身体を洗い終えたようで、さっぱりとした様子だった。

 そして厨房からは、ヘルガとビアンカが夕食の用意をする音が聞こえ、スープのいい匂いが漂ってくる。物置の方では、一日の仕事を終えたイヴァンが何やら片づけをしている。

 なんとも穏やかな、夕方の領主館内の光景だった。

※2025/06/03

「第32話 装備」の後半、ミカがクロスボウとバリスタを注文する場面を加筆修正しました。

丸太の武器としてのデメリット(振り回すなら敵に近づく必要がある/重いので投擲すると魔力の消耗が激しい/たくさん持ち運べないので、投擲して手放すリスクが高い)と、連射式クロスボウのメリット(射程が長く高威力/多くの弾数を持ち運べる/敵に向けて弦と引き金を引くだけで攻撃できるので、魔法行使で消耗する魔力や集中力が最小限で済む)の説明をまとめ直しました。

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