第4話 村と盗賊
ひとまず北に向かって進み、森を出た後、ミカとディミトリは東へ向かって放浪を開始した。
最初は平原を進み、途中で道を見つけるとその道沿いに歩く。戦場となっていた平原も間もなく途切れ、以降は森や丘陵の間を縫うように続く道を歩き続ける。分かれ道があったときは、この辺りの土地勘もないので適当に行く方向を決める。
その道中で、あるいは休憩中に、ミカは自身の念魔法の詳細を検証した。生家で読んだ魔法の解説書から、念魔法について通り一遍の知識は得ていたので、それが本当に正しいのかを確かめた。
この念魔法は、ものすごく簡単に言ってしまえば、ミカの前世においてサイコキネシスや念動力などと呼ばれていた力と同じ。意識を向けることでものを持ち上げ、自由自在に動かす能力。
意識によってものを操る以上、意識で制御できないような操り方はできない。同時に多くのものを動かそうとすると意識が追いつかなくなる。精神的に大きな負担を感じずに自由自在に操ることができるのは、同時に二つのものまで。
これはおそらく、人間が基本的に二本の手でものを扱うことが関係している。なので、この魔法は「長くて強い魔法の手」だと思って使うのが最も有用だろうとミカは考えた。実際、ミカは傭兵たちと戦ったとき、目に見えない腕で石を持って振り回すような感覚で魔法を使っていた。実に扱いやすかった。
この「魔法の手」が届く範囲、すなわち念魔法の有効範囲は、書物によると個人差があるらしかったが、ミカの場合は四メートルほどだった。ただし、魔法で持ち上げたものを勢いよく動かしてそのまま魔法の有効範囲外まで押し出し、その後も慣性に任せて飛ばすような真似――つまりは、魔法によってものを放り投げることもできた。
魔法で操れるものの重量の限界についても、おおよそのところが分かった。
魔法使いの体内には魔力とでも呼ぶべき力があり、魔法はこの魔力を用いることで発動されるのだという。魔力は体力のように、使えば消耗し、食事や睡眠をとれば回復する。
念魔法は、筋力の代わりに魔力でものを持ち上げ、操る力と言える。なのでミカは、体内の魔力の消耗というかたちで、魔法で操る対象物の重量を感じる。より重いものを操るほど、より長い時間操るほど、より激しく操るほど、魔力の消耗とそれに伴う疲労も激しくなる。
戦利品の装備類をいくつか縄でひとまとめに縛り、ミカの体重と同程度の重さにしたものを、ミカは魔法で持ち上げてみた。すると体感的には、自分の腕で持った長剣一本の半分程度の重さに感じた。
ということは、ミカは重さ数キログラム程度の剣を持って動かす感覚で、自身の体重の倍――おそらく一〇〇キログラム弱のものを操ることができる。魔法の才には個人差があるというが、ミカの念魔法の才は、同じ魔法の使い手たちと比較しても、おそらく強力な部類に入る。
また書物によると、念魔法で生き物を操ることはできないとあったが、検証してみるとその通りだった。その辺にいた小動物や虫、さらには人間であるディミトリに意識を向けても、持ち上げることはできなかった。自分自身を魔法で持ち上げることも不可能だった。しかし、死体はものと認識されるらしく、森に入って仕留めた小動物の死体を持ち上げることはできた。
植物に関しては、大地に根を張っている草花など、ミカの前世の感覚では「生きている」と言えるであろうものも操ることができた。どのような理屈で動物と植物が分けられているのかは分からないが、元より魔法などという不可思議な力がある世界なので、神が決めたこととして受け入れるしかない。
次に、これも書物の記述通り、人が身につけているものや持っているものを操ることは、不可能ではないが極めて難しかった。じっとして動かないディミトリの服に十秒以上もかけて意識を集中させると、ようやく魔法で触れることができたが、例えば敵の服を引っ張って転ばせたり、敵が構える武器をとり上げたりすることはできそうもない。
書物に書かれていた仮説としては、人が身につけたり持ったりしているものは、術者の意識の中でそれらが人と一体であると見なされ、人とものの境界が通常よりも曖昧になるが故に操るのが難しくなるのではないか……という話だった。動物が身につけているもの、例えば馬の鞍なども、人の服ほどではないが操るのが難しいのだという。
人が持っているものは、手放された瞬間から「その人と一体ではなくなった」と認識して操れるようで、例えばこちらを目がけてディミトリに放り投げてもらったパンを「魔法の手」で受け止めることはできた。が、意識できない方向、つまりは死角から投げられたパンを止めることはできなかった。
また、意識で正確に捉えられないほど速く動くものを操ることも難しいようで、戦利品の胴鎧を着たミカの腹を目がけ、ディミトリから勢いよく投げてもらった石を魔法で受け止めることはできなかった。おそらく弓やクロスボウから放たれた高速の矢を止めることもできない。投擲された剣や戦斧程度ならば止められるかもしれないが、さすがに試す気にはなれなかった。
これが、書物の記述とそれをもとにした検証によって明らかになった、念魔法の力。決して無敵の力ではない。万能でもない。しかし、一個人が持ち得る力としてはまさに破格。これから夢の実現に挑む上で、十分すぎるほど頼もしく、そして便利な力だとミカは思った。
これほどの力を、あの土壇場の状況で引き当てるという超豪運。前世も含めて境遇的にはあまり恵まれない人生が続いてきた自分に、ようやく運が向いてきた。そう考えながら、ミカはこの数日ずっと上機嫌が続いている。
「――ってことは、まだしばらくは旅を続けますか」
「そうだねぇ。東に進むばっかりじゃなくて、東部一帯を色々と見て回ってもいいかもしれない」
この数日でいくつかの村を通過し、さらに東へ進み続けながら、ミカとディミトリは言葉を交わす。
人間の活動領域がごく限られているこの世界、開拓の余地はそこら中にある。極端な話、今から道を逸れて森に入り、木を切り倒して開拓を始めても、おそらく誰からも文句を言われない。
が、場所の良し悪しは当然ある。地勢的に開拓しやすいか。農業に向いているか。防衛に向いているか。他の領地との交易に向いているか。そうした要素も鑑みて場所を選ばなければならない。一度決めたらもう変えられないのだから。自分が死んだ後も、子々孫々に受け継がれていく領地なのだから。
なのでミカは、とりあえずはこのダリアンデル地方の東部をしばらく巡ろうと考えている。地勢が険しすぎず、隣人となる領主たちが悪徳ではなさそうで、周辺から入植者を集めやすそうな土地を探すため。
「とりあえず、今日はあの村で一泊させてもらおうか」
そう言ってミカが指差したのは、カーブした道の先、森の陰から見えてきた村だった。
「……ミカ様。あの村、なんか様子が変ですぜ」
目を細めて村を注視しながら、ディミトリが言う。ミカも目を細め、もう少し歩いて村に近づいたところで、彼の言った異変に気づく。
「ほんとだ。あれは……盗賊かな?」
「多分そうです。粗末な装備の奴が多いみたいですね」
話しながら、ミカとディミトリは道を逸れ、道のすぐ脇に広がる森に隠れながら進む。村の間近まで近づき、また村の様子を観察する。
人口はおそらく百人前後の小さな村。そこへ、盗賊たちが北側からじわじわと迫り、今にも突撃して村内に雪崩れ込みそうだった。
「多分、あの戦争で壊走した敗残兵が盗賊化したのかな……それにしても数が多いねぇ。五十人くらいいるみたい。このままだと、この村はおしまいだろうねぇ」
大きな戦争は周辺地域の治安悪化を招くのだと、ミカは生家の書物で読んだ。戦争で敗走した民兵のうち、故郷が遠い者たちは帰路の食料や路銀を得るために、あるいはもはや帰ることを諦めて新たな職業として、盗賊へと変貌するのだという。
おそらく目の前の村に迫っているのも、そんな敗残兵の成れの果てだろうとミカは考える。
村の人口が百人程度なら、戦力になる成人男性は三十人程度か。そのほぼ全員が、戦った経験など皆無の農民のはず。数で大きく勝る上に、武装して殺気立った盗賊たちを撃退するのはおそらく不可能だろう。村の間近に迫られるまで何の防衛準備もできなかったとなれば尚更に。
「ミカ様、どうしますか?」
「うーん……可哀想だから、できれば助けてあげたいなぁ。助けたら色々と利益もあるかもしれないし。だけど、あの数を相手にするのはちょっとなぁ」
もしミカがあの盗賊たちを撃退し、村を救えば。この村に住んでいるのか、あるいはどこか他に本村などがあってそちらにいるのかは分からないが、あの村を領有する領主からは感謝されるだろう。
そうなれば、友好関係を築き、この辺りの地理や情勢を詳しく教えてもらえるかもしれない。この近くで開拓をするとミカが言えば、頼れる魔法使いの隣人を歓迎し、協力や支援をくれるかもしれない。もし付近に開拓向きの場所があれば、当初の計画より早いがこの地域に腰を落ち着けるのも悪くない。
そして単純に、百人もの無辜の民を見捨てるのはものすごく心苦しい。ミカたちがこのまま去れば、彼らはおそらく皆殺しにされる。ただ殺されるだけではない。壮絶な痛みと屈辱、絶望を味わった末に死ぬことになるだろう。
なのでできれば事態に介入したいが、問題は盗賊の数だった。
ミカの魔法があれば丸太をまるで棍棒のように振り回すことさえ可能で、白兵戦では無類の強さを発揮できるだろうが、それでも五十人を相手に勝てるとは限らない。「魔法の手」が届く範囲は四メートル程度で、集団戦においては決して長い射程ではない。あの人数に全方位から囲まれれば偉丈夫のディミトリでもミカの死角を守りきれないだろうし、もし弓やクロスボウなどを扱う者がいれば魔法の届かない距離から射抜かれかねない。危険は大きい。
ここで賭けに出るべきか。止めておくべきか。
「……よし、折衷案で行こう」
短い思案の末、ミカは決心して呟いた。
「せっちゅうあん? って何です?」
「戦う選択肢と逃げる選択肢、その中間をとるってことだよ。この盗賊たち、装備が粗末な民兵上がりに見えるけど、意外と組織立った動き方をしてる。多分、頭領はまともな指揮がとれる職業軍人上がりだ。ほら、隊列の中心あたりにいる、一人だけ良い装備を身に着けた奴。周りに指示も出してるみたいだし、きっとあいつが頭領だよ」
盗賊たちは無秩序に村へ迫るのではなく、二列の横隊らしきものを組んで前進している。その前列中央では、明らかに他の盗賊とは雰囲気の違う手練れらしき男が、周囲に向けて何やら声を張っている。
「ここから魔法で丸太をぶん投げて、あの頭領を攻撃する。上手くあいつを仕留められれば、残る盗賊は素人ばかりのはずだから、動揺して退散するかもしれない」
「なるほど、軍勢を討つならその頭を潰せってことですか」
「あはは、そういうことだよ。分かってるじゃない……頭領を仕留め損なったり、仕留めても他の盗賊たちが退散しなかったりしたら、まともに戦うのは厳しいからそれ以上は介入しない。いきなり丸太が飛んで来たらあいつらも大混乱するはずだから、その隙に僕たちは逃げよう。森の中を逃げればそうそう見つからないはずだし、何人か追手が迫ってきてもその程度なら各個撃破できると思う」
一撃離脱の戦法で、一度だけ事態に介入する。それで盗賊の撃退が叶わずとも、できるだけのことはしたから許してくれとあの村の住民たちに内心で詫びながらこの場を去る。成功すれば見込める利益は大きく、失敗した際のリスクは許容範囲内だとミカは考えた。
「危険がないわけじゃないけど、決行していいかな?」
「それがミカ様の決めたことなら、俺は従いますぜ」
「ありがとうディミトリ。それじゃあ、もう時間がなさそうだから始めようか」
ミカはそう言って、森の中に転がっていた丸太――おそらくあの村の住民たちが木材にするために切り倒したのであろう丸太に向けて手を掲げる。その手が魔法の光を放つ。