第36話 婚約②
「わ、私は……ミカさんに心から感謝しています。私の幸せを、ミカさんは理解してくださいました。私の話を聞いて、ただ真っすぐに私を理解して、私の気持ちに寄り添ってくださいました。初めて会ったときも、神殿前の広場でお話ししたときも、ミカさんの言葉にどれほど救われたか分かりません。この数日間は、あなたこそが私の人生で最大の理解者だと確信するのに十分な時間でした」
アイラは緊張した面持ちで、しかしはっきりとした声で言葉を紡ぐ。
「だから私は、私の幸せを理解してくださったあなたの幸せを、守り育てるお手伝いをしたいと思っています。領地を発展させて、庇護下の家臣や領民に豊かで平和な生活を与えて、そうして良き領主として生き抜くというあなたの夢を、心から尊敬しています。夢を完遂するために邁進するあなたを傍でお支えしたいと思っています。ヴァレンタイン家の権勢や領地の大きさではなく、あなたのお人柄や尊い信念に、私はこの上ない魅力を感じています」
「……私を選んだ結果、苦労が待っているとしても、もしかしたら不幸で辛い結末が待っているかもしれないとしても、お気持ちは変わりませんか?」
「はい、決して変わりません」
ヴァレンタイン家は弱い。ヒューイット家よりも遥かに貧しく、領地は小さい。苦労なくして躍進や発展は望めない。それ以前に、この先も存続し続けられる保証さえない。最悪の場合、戦いに敗れ、あるいはその他の不幸に見舞われ、夢破れて死ぬことになる。
だからこそミカが再び問うと、しかしアイラは迷いなく即答した。
「私は……私は、あなたと同じ道を歩んで、それがどんなものであっても、あなたと同じ結末を迎えたい。あなたと夢を共有して、あなたと同じ人生を生き抜きたい。そう思うくらい、私はあなたのことが好きです」
語るアイラの声は感極まったように詰まり、彼女の目には涙が溜まっていた。
ミカはそれ以上、念を押すような問いを彼女にかけることはしなかった。
弱小領主の身で有力領主家と姻戚関係を結べるという政治的な利点については、もちろん領主としてはそれも大事だが、この場に至ってはもはやどうでもいい。
正直に言って、自分も彼女に魅力を感じていた。身に纏う幸せを守ろうとする彼女のことを、魅力的な女性だと思っていた。彼女に共感を覚えていた。自分が彼女の理解者になれるのであれば、自分といることで彼女が救われるのであれば、彼女の傍にいたいと思っていた。
そして今、彼女の言葉を受けて、彼女への想いは確固たるものとなった。
彼女は自分の夢を理解し、尊敬し、称賛し――同じ夢を共有すると、同じ人生を生き抜くと、そう決意を語ってくれた。単純と言われるかもしれないが、ミカにとってはあまりにも決定的な言葉だった。
「……僕もあなたが好きです。一生涯、あなたの理解者として傍に寄り添います。あなたの幸せを阻む全てからあなたを守ります。互いの人生を重ねて、一緒に生きていきましょう」
領主ではなく一人の人間として、ミカは感情のままにそう答えた。
思えば、彼女と初めて話したときから、こうなる予感がしていた。あの日彼女と笑みを交わしながら、直感的にそう思っていた。
アイラは恍惚とした表情で口元を押さえ、ついには涙を溢れさせ、はい、と答えた。
なんて愛しい。ミカはそう思いながら彼女に微笑を返し、そして表情を引き締め、パトリックの方を向く。
「パトリック・ヒューイット殿。この度のご提案、ヴァレンタイン家当主として、何より一人の男として、喜んでお受けいたします。アイラさんの良き伴侶となり、ヒューイット家の良き親類となれるよう身命を賭して努めてまいります」
「快諾に感謝する。ミカ・ヴァレンタイン殿、これからどうかよろしく頼む」
そう言って、パトリックは手を差し出す。ミカもそれに応える。
「……娘を頼むぞ。心から」
「はい。神に誓って」
痛いほど力強い握手を交わし、パトリックに見据えられながら、ミカは目を逸らさず答えた。
そうして互いの決意を確かめ合い、ミカとパトリックの手が離れた後、一連の出来事を見守っていたサンドラが口を開く。
「この場を仲介した立場として、ミカ・ヴァレンタイン殿とアイラ・ヒューイット嬢の婚約が成立したことを確かに見届けた。ユーティライネンの家名のもと、両名の婚約関係を保証する」
まずそのように言った後、サンドラはミカの方を向き――そして小さく嘆息した。どこか呆れたような顔で。
「ヴァレンタイン卿……数日前に挨拶を交わしたときは、まさかこうなるとは思わなかったぞ」
「正直に申し上げて、私も同感です、ユーティライネン卿」
ミカは苦笑しながら答えた。苦笑するしかなかった。
領主としては遥かに格上の存在。ひとまず自分の名前を覚えてもらえるだけでも幸いと思いながら彼女と会談した。それがまさか、数日後に婚約の証人になってもらうことになるとは。赤裸々な愛の告白場面まで見せることになるとは。想像だにしていなかった。
「有能そうな新進気鋭の領主である卿とは、今後長く深く付き合っていく予感がしていたが……己の予感が正しかったことを、ものの数日で、このようなかたちで知るとはな。いっそ滑稽なほどだが、ともかくめでたい話だ」
サンドラも思わずといった様子で苦笑を零し、小さく咳払いし、真面目な表情になる。
「アイラの服装や振る舞いは、私も正直に言って理解しかねるが、それでも彼女は私の従妹だ。新たな幸せを得られるのであれば喜ばしく思う……そして彼女と結婚すれば、卿は私の義理の従弟ということになる。すなわち、当家と貴家も親類となる。あらためて、今後とも友好関係を保っていこう」
「はい。何卒よろしくお願いいたします」
ミカは笑顔で答え、サンドラとも握手を交わす。
無論、親類だからといっていつでも好き勝手に頼れるわけではない。あまり簡単に助けてくれと縋れば、借りを作った分だけ頭が上がらなくなり、実質的な属領にされてしまう。あるいは、自力で家や領地を守る力のない無能と見なされ、アイラはともかくミカとヴァレンタイン家は見放されてしまう。
とはいえそれでも、己の立場に「ヒューイット卿の義理の息子で、ユーティライネン卿の義理の従弟」という説明が加えられるのは心強い。直接頼らずとも、その肩書だけでも助けとなる。エルトポリの経済圏内であれば、どの領主家もユーティライネン家やヒューイット家と揉めることを厭い、下手にヴァレンタイン家を攻撃しようとはしないはず。
ミカの領主としての立場は、この地域においては、これでいよいよ決定的なものとなる。
「ささやかだが、此度の婚約成立を祝う宴の用意をさせてある。両家とも、どうか今宵はくつろいでいってくれ」
どうやら婚約が成立すると決め込んでいたらしいサンドラは、そう言ってミカたちを城の食堂へ案内する。
食堂に移ったミカは、アイラやパトリックと語らい、サンドラをはじめとしたユーティライネン家の人々とも友好を深めた。
そうして宴の時間は和やかに過ぎていき、翌日はアイラとの正式な結婚に向けた今後の流れの話し合いなどを行い、さらに翌日、ミカはヴァレンタイン領への帰路に発った。




