第33話 市街地巡り①
宿屋の主人に案内してもらい、別室に入ると、そこには昨日と同じ服装をしてぬいぐるみのアンバーを抱えたアイラと、彼女の父親であろう男性が並んで椅子に座っていた。二人の後ろには護衛らしき人物と、昨日もアイラの傍にいた世話係らしき使用人がいた。
「お待たせして申し訳ございません。お初にお目にかかります、ヴァレンタイン家当主ミカ・ヴァレンタインと申します……アイラさん、昨日はご挨拶をさせていただきありがとうございました」
ミカは座っている男性に向かって一礼しながら名乗り、次いでアイラにも言葉をかける。
「ヒューイット家当主、パトリック・ヒューイットだ。卿の活躍の噂は聞いている。こちらこそ突然訪ねて申し訳ない」
「私からもお詫び申し上げます。驚かせてしまったかと思います」
二人は立ち上がってミカを迎え、それぞれ言った。
男性――パトリックは、暗い茶髪をやや長く伸ばした物静かそうな人物だった。齢は五十代ほどのはずだが、概ねその年齢通りに見える。顔立ちはあまりアイラとは似ていない。彼女は母親似ということか。
パトリックに勧められ、ミカは二人の前に置かれた椅子に座る。その後ろに、護衛としてディミトリが控える。
穏やかな雰囲気からして、パトリックは「私の娘に話しかけてちょっかいをかけたようだな」などと苦言を呈しにきた様子ではない。ミカはそのことにひとまず安堵する。
「昨日は娘が落としたリボンを拾ってくれたそうで、感謝する。見ての通り娘は異様な格好をしているので、このような奇天烈な娘に声をかけられ、驚いたことと思う。父親として詫びよう」
「いえ、そんなとんでもない。アイラさんのように華やかで魅力的な方とお話しできて、とても楽しいひとときでした」
異様。奇天烈。自分の娘をそのように言わなくてもいいのではないかと思いながら、ミカは答えた。華やかで魅力的と言われたからか、アイラは父親の隣で小さく笑みを零す。
「……そうか。であればいいのだが」
どこか意味深な目をしながら、パトリックは言った。
それから少しの間、ミカと互いの気質を探り合うように雑談を交わした後、パトリックは本題を切り出してくる。
「実は、卿に頼みたいことがあり、今回こうして宿を訪ねさせてもらった」
「……それはそれは。私にできることであれば、何なりと仰っていただければと思います」
内心で警戒心を滲ませながら、ミカは笑顔を作る。
「そう言ってもらえるとありがたい。いや、頼みと言ってもそう複雑なことではない……このアイラが、卿と話をしたことが随分と楽しかったようで、卿とより友好を深めたいと言っていてな。人との交流が苦手な娘である故、このように他家の者と関わることを自ら望むのは珍しく、父親としてはぜひとも娘の願いを叶えてやりたい。そこで……明日か明後日か、このアイラと一緒にエルトポリの市街地を巡ってやってくれないだろうか」
話しの流れからして茶会にでも誘われるものと思っていたミカは、パトリックの言葉を受けて小さく片眉を上げた。
つまりは、アイラとデートをしてくれという話らしい。光栄極まりない誘いで、ミカとしては大変に嬉しいことだが、同時に驚くべきことでもあった。
領主が子女を他家の者と交流させる際は、それこそ彼らの滞在しているエルトポリ城など、落ち着いて話せる場所でお茶をしたりするのが一般的であると思われる。市街地でデートのようなことをさせるというのは、おそらく珍しいのではないか。
「娘はこの格好のために、あまり市井に出ることを好まないが、卿と一緒であればエルトポリの市街地を巡りたいと言っているのだ。卿はこの都市を訪れるのが初めてであろうから、何度も訪れている自分が案内したいと。私としては、娘が自らこのように言い出したのは喜ぶべきことだと思っている。なので娘の希望を叶えるべく、こうして卿に打診させてもらった……邪魔にならないかたちで護衛をつける故、市街地を巡る間、卿に居心地の悪い思いをさせることはないだろう。卿の時間をもらうにあたり、多少だが謝礼も支払おう。どうか引き受けてはもらえまいか?」
「なるほど、そういうことでしたか……こちらとしては、とても光栄なお話と存じます。私などでよろしければ、喜んでお引き受けします。明日にも早速」
ミカがパトリックに答えると、アイラの表情がぱっと明るくなった。
「ですが、謝礼は不要です。私としても、昨日アイラさんとお話しした時間はとても楽しく思いました。叶うならば、もっとお話しして友好を深めたいと思っておりました。その機会をいただけるのであれば幸いです。お願いを受けての仕事としてではなく、ただアイラさんの友人として一緒に市街地を巡りたく思います」
ミカがそう言ってアイラに微笑を向けると、アイラは少し照れたような微笑を返してくれた。
「……分かった、感謝する。では明日の正午、娘をこの宿屋の前へ連れてくるということでよろしいか?」
「はい、それで……いえ、できれば私の方から、エルトポリ城へアイラさんをお迎えに上がってもよろしいでしょうか?」
「……もちろんそれで構わない。では明日の正午までに、娘に支度をさせておこう」
パトリックが答える横で、アイラはにまにまと嬉しそうに笑っていた。彼女にぎゅっと抱き締められたぬいぐるみのアンバーが、また首を傾げてミカを向いていた。
・・・・・・
翌日。ミカは身なりを整え、アーネストの用意してくれた香水までつけた上で、エルトポリ城に向かった。
「アイラさんと合流した後は、少し距離を置いて付き従ってくれれば大丈夫だからね。何かあったときだけ助けに来て」
「分かりました」
通りを歩くミカの後ろに続きながら、ディミトリが答える。
ちなみに彼は、黒装束を纏ってぬいぐるみを抱いたアイラをひどく奇妙だとは感じているようだが、それ以上の感想は抱いていない様子。彼は今やすっかりミカに心酔してくれているので、そのミカがアイラを好意的に評しているとなれば、主人の意に反してアイラを嫌悪するようなことはない。
そもそも彼の関心は基本的に、主人を守って己の務めを果たすことと、もうすぐ妻となるビアンカへの愛にのみ向けられている。おそらく彼は、良い意味でアイラにあまり興味がないのだろうとミカは思っている。
一方でジェレミーは、まだアイラの姿を間近で見ていないので、アイラに対する印象は特にない様子だった。アイラ個人への興味よりも、領主様が他家のご令嬢と二人で市街地を散策するという話への興味ではしゃいでいた。そんな彼は、慣れない都市滞在でここ数日興奮が続いて疲れたらしく、今日は部屋でのんびり寝て過ごしている。
間もなく、ミカはエルトポリ城に到着する。まだ太陽が空の頂点に上りきっていないので、時間的にはやや余裕をもって着いたはずだが、パトリックとアイラは既に城門の前で待っていた。
「おはようございます。お待たせしてしまったようで申し訳なく……」
「いや、娘が卿と会うのを待ちきれなかったようでな。こちらが勝手に早く出てきただけなので、どうか気にされぬよう」
パトリックは無表情で答えた。父親に余計なことを言われたアイラは、一瞬目を見開いて父を見た後、ミカの方を見て恥ずかしそうに俯く。
「では、娘をよろしく頼む。夕方までに城へ戻ってくれれば問題ない。卿も護衛を連れているようだが、こちらの護衛も少し離れて続くので、何かあればそちらも頼ってくれ」
「承知しました。それでは、行ってまいります……アイラさん、行きましょう」
「は、はい。よろしくお願いします……」
アイラは頬を少し赤らめながら、ミカの隣に並ぶ。パトリックに見送られながら、ミカは彼女と二人で市街地へ向かう。
「……さて。一体どのように振る舞う、ヴァレンタイン卿」
離れていく愛娘とその想い人の背を眺めながら、パトリックが独り言ちたことを、ミカは知る由もない。
・・・・・・
そうして始まったエルトポリの市街地巡りは、ミカにとって掛け値なしに楽しいものだった。
ダリアンデル地方南東部のやや北寄りにあるユーティライネン領の領都エルトポリは、東西南北に街道が延びるこの地域の経済的な中心であり、周辺地域の交易の中継点。そのため、人口規模に比して商業が盛んで、都市の通りには様々な店が並ぶ他、都市の中央広場には多くの露店も開かれている。
通りや広場を行き交うのは商人らしき人々の他に、この都市や近隣の人里の住民であろう人々、周辺の領地から来訪しているのか小領主などの富裕層らしき姿も多い。
生まれ故郷も自身の領地も農村であるミカにとっては、滞在して数日が経ってもなお刺激的で巡り甲斐のある光景。普段は自家の居城に籠って暮らしているというアイラも、実に楽しそうに街並みを眺めている。
周囲からは、好奇の視線が向けられる。おそらくはアイラの装束とぬいぐるみを奇妙に思ってのもの。なかには侮蔑するような視線や、ひそひそと話す様子も見られる。
アイラもそれに気づいているようだが、無視すると決めている様子。なので、ミカもあえて言及せずに街並みを楽しむ。
視線の一部はアイラの連れであるミカにも向けられているようだが、ミカとしては知ったことではない。そんなことより、今はデートの最中。個性的で可憐な令嬢と共に都市を散策するのが、ミカは楽しくて仕方がない。
「あの、ヴァレンタイン卿、ひとつお願いが……人通りが多いので、はぐれないように腕を組ませていただいてもよろしいでしょうか?」
「……もちろんです。さあどうぞ」
おずおずと尋ねてきたアイラに、ミカは少し驚きを覚えつつも左腕を差し出した。
二人の少し後ろにはディミトリが続き、おそらくさらにその後ろにヒューイット家の護衛がついてきている。その護衛はミカがアイラに対してよからぬことをしないか見張ることも任務であると思われる。
が、アイラの方から提案してきたことであるし、こちらからアイラに触れるわけでないのであれば許容範囲内のはず。むしろ、人通りの多い中で彼女を守るための行動としては正しいはず。そう判断しての行動だった。
「それと、僕のことはどうかミカとお呼びください。僕たちは歳も同じですし、友人ですから」
頬を赤らめながらミカの差し出した腕をとったアイラは、その言葉を受けてますます赤くなる。
「分かりました……み、ミカさん」
アイラはミカの名前を呼びながら、ミカの腕をとる手にぎゅっと力がこめられた。
「ありがとうございます。それでは行きましょう、アイラさん」
嗚呼、なんて楽しいんだろう。そう思いながら、ミカはアイラと一緒に歩く。




