第32話 装備
「いやあ、すごく素敵な女性でした」
アイラのもとを離れ、荷馬車へ戻りながら、ミカは朗らかに笑って言った。
ミカは領主であると同時に、年頃の青年でもある。なので、個性的で魅力的な同年代の女性と話すのは、純粋にとても楽しかった。
「アイラ・ヒューイット嬢。出で立ちに関するお噂を聞き及んでいただけで、私もお目にかかるのは初めてでしたが……さすがは名家のご令嬢と申し上げるべきか、素敵なお方でしたね」
隣を歩くアーネストは、もしかしたらミカの感想に合わせてくれただけかもしれないが、そのように語った。
「ヒューイット領は、確かユーティライネン領の南の方でしたか?」
「はい、エルトポリから南に二日ほどの距離にあります」
「それじゃあ、我が領からは四日の距離ですか。決して近くはないですね……いずれまたお会いする機会があれば幸いと思いましょう」
またお会いできることを願っています。ミカが最後に彼女に伝えた言葉は、決して社交辞令ではなかった。彼女とまた会って話したらとても楽しいだろうとミカは心から思っている。
そして何となくだが、そう遠くないうちに彼女とまた会えるような気がしている。ただの勘、それもおそらくは個人的な願望を含むものに過ぎないが。
・・・・・・
「……凄いわ」
ミカ・ヴァレンタインという青年が立ち去った後、アイラはぬいぐるみのアンバーを抱き締めながら呟いた。
今まで自分の出で立ちを見た者の反応は、大きく分けて三つ。驚きに固まるか、眉を顰めて怪訝な顔をするか、笑いをこらえるか。しかし彼は違った。片眉を上げて少し驚いた程度で、その直後にはごく普通に挨拶を返してくれた。
アイラの身分を知った者は、最初の反応を取り繕うようにぎこちなく服装を褒めたり、逆にアイラの身なりには一切触れずに表面的な会話に努めたりする。それも無理もないことなので、アイラも調子を合わせて会話を乗り越えてきた。しかし、彼はやはり違った。アイラの服装を褒める彼の言葉選びや声色は、まったく無理のない自然なものだった。
彼の言葉があの場を切り抜けるための嘘だとは、とても思えなかった。素敵、お見事、上品、華やか、美しい、魅力的。あんなにも柔らかな声で、あんなにも純粋な目で、そんな言葉の数々をかけられたのは初めてだった。
そして何より驚いたのが、このぬいぐるみ――アンバーに対しての反応。
成人近い娘がぬいぐるみを抱えているのを見て、そのぬいぐるみを「それ」でも「これ」でもなく「この子」と呼んでくれた人は彼が初めてだった。それだけでなく、彼はこの子の名前を聞いてくれた。この子に名前がある前提で尋ねてくれた。この子のことを、アイラが愛情を注いでいる大切な存在だという前提で話してくれた人など、今まで一人もいなかった。
この服装とアンバーを褒めてくれた彼は、最後にはこの自分のことを「格好いい」とまで言ってくれた。周囲からは奇妙としか見られない、自分の幸せのかたちを守り通すことを、そう評してくれた。
「凄いわ、あんな人がいるなんて。凄い……夢みたい」
今まであんな人に出会ったことはなかった。ただ話しただけで、あれほど自分を理解してくれる人に出会ったことはなかった。そう思って高揚しながら、そしてふと、アイラは考える。
もしかしたら、この先二度と、あんな人には出会えないかもしれない。これは決して逃してはならない運命の出会いなのかもしれない。
・・・・・・
翌日、ミカは様々な用事を済ませた。
アーネストの紹介で、ユーティライネン家の御用商会でもあるエルトポリ最大手の商会を訪ね、商会長に挨拶をした。ついでに、先のハウエルズ家との戦争で手に入れた敵の装備類や、狩りで得た毛皮などを、アーネストを介して売却した。
そうしてこの地域有数の有力商人との面識を得た後は、これまでアーネストを介して犂や脱穀機の部品を製造してもらった工房を訪ねた。そこで挨拶をした後、新たな依頼――ミカと、護衛であるディミトリが使用する装備の製造を依頼した。
こうした装備、特に防具類は使用者の体格に合わせて作られるため、こうして足を運んだ際に注文するのが最善。だからこそミカは、装備の注文をエルトポリ訪問の重要な目的のひとつと位置づけていた。
まずはミカとディミトリ二人分の鎧下――その名の通り鎧の下に着る服で、厚手のシャツのような作りをしていて、これ自体にも多少の防御力がある――を注文。そしてミカの装備として、頭部を守る鉄製兜と、軽量さと一定の防御力を兼ね備えた革製の胴鎧を注文する。
ディミトリの装備としては、右腕に装着する鉄製の腕当てを注文。さらに、ひとつだけ売らずにとっておいた戦利品の鎖帷子を、ディミトリの体格に合うよう調整してもらう。ディミトリは筋力も体力もある上に、いざというときには身を挺してミカを守ることになるため、ミカよりも彼の方が重装備になる。
また、ディミトリが使うための盾も注文する。先の戦争で使われた間に合わせの木盾とは違い、適度な厚みがあり、縁が鉄の枠で囲まれた頑丈な木製盾の製造を依頼する。加えて、こちらも領主ミカの護衛用に領民が使うことになる、長方形の大盾も二つ、製造を依頼する。
そして、ミカ専用の武器も一から作ってもらう。
先の戦いでミカは思い知った。重量のある丸太は確かに強力な武器であり、雑兵を薙ぎ払うような戦い方では無類の強さを発揮できるが、決して万能ではないと。
まず、丸太を振り回して戦う場合、敵と数メートルの距離まで近づかなければならない。魔法で丸太を投擲することもできるが、百キログラム以上の重量物を思いきり投擲すれば相当の魔力を消費するので、長時間の戦闘では乱発できない。また、丸太を投げて戦う場合は傍らに予備の丸太を何本も用意しなければならないので、事前の戦闘準備に時間がかかる。常にそのような準備が叶うとは限らない。
接近戦に強い戦力が敵側に充実していて、近づいて戦うリスクが高い場合。開けた戦場を移動しながら戦うことになり、傍らに予備の丸太を置いて戦うことが難しい場合。丸太だけに頼って戦うのは大きな不安がある。
そうした丸太の弱点を補うためにミカが考えたのが、自身専用に改造されたクロスボウを用いる戦法だった。
鉄製の防具さえ貫通し得る威力を持つクロスボウならば、矢が当たりさえすれば大抵の敵を無力化できる。射程が長いので、危険を冒して敵に接近せずとも攻撃を放てる。クロスボウ本体もその矢も、丸太よりも遥かに容易に持ち運べる。
そんなクロスボウのほぼ唯一の弱点は、連射性能の低さ。クロスボウはその威力と高速を実現するために、弦が非常に硬い。弦を引く際はレバーやペダルを使うのが一般的で、一分間に放てる矢の数はせいぜい数発。
しかし、ミカが念魔法を使えば、クロスボウを空中に保持したまま、道具に頼る必要もなく、意識するだけで素早く軽々と弦を引くことができる。人力で引くには硬い弦も、「魔法の手」にとっては軽い。少なくとも、百キログラム以上の丸太を振り回したり投擲したりするよりは遥かに少ない魔力消費で済む。
なので、矢を置く台の上部に弾倉を備え、矢を放つと上から次の矢が下りてくるという極めて単純な構造の連射式クロスボウを作れば、ミカはそれを魔法で軽々と扱い、威力と射程と連射性能を兼ね備えた攻撃を行える。
同じ要領で弓矢を操ることも考えたが、念魔法の行使には集中力を要するため、弓と矢をそれぞれ複雑に操るのは精神的な負担が大きい。矢を直接投げることも考えたが、クロスボウ並みの高威力を魔法による投擲で実現しようとすれば、一撃に要する魔力の消耗が大きい。
その点クロスボウは、敵の方へ向けることと、弦や引き金を引くことだけに集中力と魔力を使えばいいので、楽に攻撃を放てる。弾倉を備えたクロスボウならば、敵に向けた上で弦と引き金を引く動作をくり返せば、後はクロスボウ自体の機構が自動的に強力な一撃を連発してくれる。
領主として指揮をとりながら戦うことを考えても、戦いが長引いた場合を考えても、攻撃に割く意識が最小限で済む連射式クロスボウは頼もしく有用な武器になるだろうとミカは考えている。自身は領民たちの構える大盾に隠れつつ魔法で連射式クロスボウを構え、敵が近づいてくる前に強力な矢の一撃で射抜き、背後はディミトリに守ってもらい、戦況に応じて丸太などの質量兵器も用いる……という戦い方を想定している。
さらにミカは、この連射式クロスボウと合わせて、クロスボウをより大型化させた武器――バリスタの製造も依頼する。
本来は床や台車の上に設置して使うバリスタだが、ミカは魔法で持ち上げて扱えるため、矢を放つ本体部分のみがあればいい。装填作業に関しても、さすがにクロスボウほど楽にはいかないだろうが、それでも数人がかりで装填装置を回すよりは素早く行える。
最大射程が数百メートルにもなるバリスタを浮遊させて運び、素早く装填を済ませ、射線の方向や角度を瞬時に定められるとなれば、敵軍との距離が縮まる前から一方的に攻撃することも、場合によっては敵本陣を直接狙撃することさえも可能となる。実際はそんな距離で精密な狙撃を行うことは非現実的だとしても、大まかに敵本陣の方向へ巨大な矢を放つだけで牽制になる。
この二つの武器が揃えば、より幅広い敵や戦況に対応できるようになる。状況に応じて丸太とこれらの武器を使い分ければ、ヴァレンタイン領の防衛力はさらに向上する。
ミカが自ら設計図を書いた連射式クロスボウの構造は、特に問題なく職人に理解してもらえた。バリスタに関しても、大がかりな武器なので時間はそれなりにかかるが、作ってもらえることになった。
防具から武器までをこれだけ揃えようとすれば、金も相当にかかる。しかしミカには、ハウエルズ家からの賠償金や戦利品の売却金がある。今まさに領地で収穫されている小麦も、売れば大金に化ける。おまけに今回支払うのは前金だけ。十分に許容範囲内の金額に収まった。
「いやー、全ての依頼を受けてもらえてよかったです。頼んだ装備が全部揃えば、我が領はもっと安全になります」
「工房の親方さんも大口の依頼に喜んでおられましたね。おかげさまで、仲介した私の覚えもますます良くなったようで幸いです」
お互い得をしたミカとアーネストは、笑顔で言葉を交わしながらエルトポリの通りを歩く。今日の用事はひとまず終わり、後は宿屋に帰って休むだけ。
ミカとアーネストの後ろには、ディミトリとジェレミーが続く。エルトポリに来て数日が経ってもまだまだ好奇心をかき立てられるらしく、ジェレミーは辺りをきょろきょろと見回しながら歩いている。
エルトポリの定住人口は二千人に届く程度だと言われているが、実際には商人や近隣の農村の住民、ミカのような周辺の小領主家の関係者などが訪れるため、都市外からの来訪者が常に数百人はいると言われている。
そうした来訪者を客と見込む宿屋や料理屋、様々な小売店が立ち並ぶ通りは、今日も大変に賑わっている。ミカにとっても見ていて飽きない光景なので、ジェレミーの好奇心が尽きないのも無理のないことだった。
ミカたちが宿屋に帰ると、それを見た主人が急いだ様子で駆け寄ってくる。
「ああ、皆さんお帰りなさいませ。ヴァレンタイン閣下、お客様が来られています」
「……お客ですか? 僕に?」
きょとんとした表情で尋ねたミカに、宿屋の主人は人の良さそうな笑顔で頷く。
「はい。エルトポリ城に滞在しておられるヒューイット家のご当主と、そのご令嬢が少し前にお越しになりました。もうすぐ帰ってこられるだろうとお伝えすると、待ちたいとのことでしたので、今は空き部屋でお待ちいただいています」
ヒューイット家のご令嬢。つまり、昨日エルトポリ城で話したあのアイラ・ヒューイット。彼女がこの自分にわざわざ会いにきた。そう理解したミカは、驚きに目を見開いた。
また会いたいとは思った。会えるような予感もした。が、まさか有力領主である父親同伴で、彼女の方から訪ねてくるとは。




