第31話 アイラ②
塔から下りてきた女性を見て、ミカは驚きに片眉を上げる。
年齢はおそらくミカと同じくらい。女性としては背が高い方で、男性としては小柄なミカよりも長身。艶のある綺麗な黒髪と、対照的に白い肌が印象的で、目鼻立ちがはっきりとして大人びた顔立ちも相まって、とても美しい。
そして、この世界のこの時代においてはとても個性的な服装をしている。
一般的な女性の服装は、シンプルな長衣やエプロンドレス、外套など。いずれも足元まですらりと伸びるシルエットのもの。そこへ装飾として腰帯や髪を結ぶリボンなどを取り入れ、裕福な者は刺繍で襟元や袖や裾を飾る。いかにも前世における中世前期に似た出で立ち。
それに対して、彼女の服はたくさんのリボンやフリルによって全体が飾られ、腰から足元に向けてやや広がるようなシルエットになっている。髪も大きなリボンで飾られている。
髪を結ぶ以外の用途でリボンを使うのは、この世界においてはおそらくかなり斬新な発想。フリルに関しても、富裕層が服の袖や裾などにワンポイントの装飾として取り入れているのはミカも見たことがあるが、服の各所にこれほど大量に取りつけて飾るような使い方は異例のはず。
さらには、彼女の服も装飾も、その全てが黒い。ダリアンデル地方において黒は縁起の悪い色というわけではないが、明るく鮮やかな色や淡い色の布が好まれる傾向にあることを考えると、ここまで黒で統一された装束というのは珍しい。
全体的に、ダリアンデル地方の服飾文化においては異質な出で立ちと言えるが、ミカは何故か懐かしさを覚えた。そしてすぐに、懐かしさの正体に気づいた。
ゴスロリだ、と思った。彼女の服装は、ミカの前世でそのように呼ばれていたジャンルのファッションによく似ていた。前世で街を歩いていると、時々このような服装の人を見かけた。
ミカ個人は、そうした服装に抵抗感はなかった。むしろ華やかで可愛らしいと思っていた。なので目の前の彼女のことも、とても可愛いと思った。装束それ自体が可愛らしいのはもちろん、彼女の艶のある黒髪や白い肌、はっきりとした目鼻立ちと見事に調和している。
もうひとつ印象的なのが、彼女の腕に抱かれたぬいぐるみ。大きさは三、四十センチメートルくらいだろうか。おそらくマルネズミをかたどったものだが、実際のマルネズミよりももっと丸々としていて、何とも愛嬌がある。
よく見るとなかなかしっかりとした作りで、大切に手入れされているのか、毛並みも綺麗に整っている。このぬいぐるみ専用に作られたのであろう服まで着せられている。
ダリアンデル地方にも布と綿で作られた人形やぬいぐるみは存在しているが、あくまで幼い子供用の玩具として。大人がぬいぐるみを愛で、持ち歩くのは一般的とは言い難い。少なくとも、ミカ個人はそういう人を見たことはない。
しかし、ミカが前世で生きた現代日本では、人形やぬいぐるみに愛着を持って扱う大人も多かった。いわゆる推し活と呼ばれる文化があり、その一環として人形やぬいぐるみを持ち歩き、街中で写真などを撮っている人をよく見かけた。
マルネズミのぬいぐるみを大切そうに抱いている彼女は、そうした前世の文化や光景を思い出させた。自身も前世ではポップカルチャーやサブカルチャーにどっぷり浸かっていた身としては、何だか親近感が湧いた。
「あの……そちらのリボン、拾っていただきありがとうございます。私はヒューイット家次女、アイラ・ヒューイットと申します」
その女性――アイラはそう名乗り、小さく一礼した。
「初めまして、私はヴァレンタイン家当主、ミカ・ヴァレンタインと申します」
ミカは即座に微笑を作って答え、一礼する。
ヒューイット家。ユーティライネン家の近しい姻戚のひとつであると、エルトポリまでの道中の会話でアーネストから教えてもらった家名。確か、小都市と複数の村を領有し、二千人近い領民を抱える、この地域ではなかなかの有力領主家という話だった。
「ヴァレンタイン家……父から家名を聞いたことがあります。以前はドンダンド領と呼ばれていた土地を、新しく治めておられる領主様ですね?」
「これはこれは、うちのような木っ端領主家の家名をご存知とは光栄です。この地域において新参の領主であり、ヒューイット家とは比べ物にならない小領主家の主ではありますが、以後、何卒お見知りおきを」
ユーティライネン家だけでなく、その姻戚の有力領主家の令嬢とこうして挨拶できたのは幸運だった。内心でそう思いながらミカは言う。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします……えっと、私、こんな変な格好なので驚かせてしまったと思います。ごめんなさい」
「いえ、そんな、変だなんてとんでもない。とても素敵なお召し物だと思います。装飾の使い方がお見事で、上品さと華やかさが両立されていて美しいです。お化粧や髪のリボンも合わせて、とても調和がとれていて魅力的です」
ミカが答えると、アイラはきょとんとした表情になり、黙り込む。
言葉選びが少し気障すぎたか。そう思って焦りを覚えたとき、アイラはまた口を開く。
「ほ、本当にそう思われますか? 私、変ではありませんか?」
「はい、もちろんです。確かに今のダリアンデル地方においては個性的ですが、だからこそとても素敵だと思います」
おそらく、この服装のために好奇の目で見られることが多いのだろう。だからこそ自らを卑下するような言い方をして、謝る必要など全くないのに謝ってきたのだろう。
そう思いながら、ミカは本心から彼女を褒めた。前世の記憶を持つミカから見れば、彼女は世辞抜きに可愛らしく、美しい。
「あ、ありがとうございます……黒が、好きなんです。それと、リボンやフリルも。幼い頃、母から黒が似合うと褒められて、リボンやフリルで着飾らせてもらって、それ以来ずっと好きで……だから、自分の好きなもので飾られた服を自分で作って着ているんです」
アイラの言葉を聞いたミカは、思わず目を見開く。
「これを、ご自分で作られたのですか……本当に凄いですね。これほど華やかな服を……あっ、失礼しました。こちらをお返ししていませんでしたね」
彼女の装束をまじまじと眺めてしまったことへの照れを隠すようにはにかみながら、ミカは手に持ったままだったリボンをアイラに返す。アイラは礼を言って受け取り、傍らの使用人らしき女性に渡す。
使用人が彼女の右手へリボンを巻く様を眺めていたミカは、ふとその右手に抱かれたぬいぐるみに視線を向ける。
「もしかして、この子の服もアイラさんの手作りですか?」
ミカが尋ねると、彼女は驚いた表情でまた黙り込み、そして頷く。
「は、はい。私が作りました」
「やっぱりそうでしたか。あははっ、とても似合ってますね。可愛いなぁ」
ぬいぐるみの着ている服をミカに見せるようにアイラが掲げると、丁度ぬいぐるみが首を傾げるように動き、ぬいぐるみと目が合ったミカは表情をほころばせる。
「あ、ありがとうございます! 可愛いですよね……こうしていつも連れ歩いているので、色々な服を作ってあげているんです」
恐る恐る話している様子だった先ほどまでとは打って変わって、アイラは明るい表情で声を弾ませて言う。
「そうなんですか。こんな可愛いぬいぐるみといつも一緒なんて、楽しそうですね……この子の名前を聞いてもいいですか?」
「……アンバーです。私が幼い頃に、母がくれた大切なぬいぐるみなんです」
そう言いながら、アイラはぬいぐるみに愛しそうな視線を向ける。
アイラの母――ヒューイット家の現当主の妻は、ユーティライネン家の先代当主の妹で、既に病没しているとミカは聞いていた。
「アンバー……綺麗な名前ですね。お母様との思い出のぬいぐるみなんですね」
「はい。黒やリボンやフリルも、このアンバーも、母の言葉がきっかけで大好きになったんです。周りからおかしな娘だと思われていることは自分でも分かっているのですが、それでも、こうして好きなものに囲まれているのが自分らしいと思えて、幸せだと思えるんです。それで、こういう格好をしてこの子を持ち歩いているんです」
「それは、とても素敵ですね。とても格好いいです」
「……えっ?」
ミカの言葉が予想外だったのか、アイラは少しばかり奇妙な表情になる。
「か、格好いい、ですか……?」
「はい。自分の好きな物事を追求するのは、時に困難が伴い、勇気を必要としますから。きっと苦労もあるのでしょうが、それでも自分が幸せでいられる在り方を貫いておられるのは、格好いいことだと思います」
心からそう思いながら、真摯な表情で、ミカは語る。
周囲から理解されない幸せを追い求めることの息苦しさを、ミカは知っている。
現代日本を生きていた頃の自分は、歴史上の王侯貴族やファンタジー物語の登場人物のように一国一城の主になりたいという夢を、当然ながら誰からも理解してもらえなかった。初めは冗談と思われて笑われ、本気でその夢を追い求めていると知られると、今度は変な目で見られた。おかしな奴だと思われ、敬遠されることも少なくなかった。そんな反応をされるのはやはり辛くて、次第に夢のことを誰にも話さなくなった。
この世界のこの時代は、ミカの前世と比べても「普通」の枠から外れることをなかなか許容されづらい。多様性などという言葉さえ存在しない。そんな世界で、服装や持ち物という隠しようのないかたちで人とは違う自分の幸せを体現することに、どれほど勇気が要るか。
「……嬉しいです。そんな風に言っていただいたのは初めてです」
アイラはぬいぐるみのアンバーを顔に寄せるように抱き、満面の笑みで言った。ますます可愛らしかった。
「喜んでいただけて、僕も嬉しく思います……それでは、僕はこれで。お話しできてとても楽しかったです」
「わ、私も……その、とても楽しい時間でした。ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました。またお会いできることを願っています」
ミカは笑顔を返して一礼し、その場を立ち去る。




