第30話 アイラ①
アイラ・ヒューイットは、ヒューイット家の現当主の次女、四人兄弟の末子として生まれた。
アイラの母はユーティライネン家の先代当主の末妹であり、今より三十年ほど前、ユーティライネン領の南に二日の距離にあるヒューイット家に嫁入りした。ユーティライネン家の現当主サンドラ・ユーティライネンは先代当主の嫡女なので、アイラから見れば歳の離れた従姉にあたる。
他の兄姉たちとはやや歳の離れた末子であるアイラのことを、母はとても可愛がってくれた。母譲りの綺麗な黒髪をいつも褒めてくれた。裁縫が得意だった母は、あなたには髪色と同じ綺麗な黒がよく似合うと言って、手作りの黒いリボンやフリルでアイラを飾ってくれた。母の作ってくれたリボンを髪に結び、裾にフリルのある服を着ていると、嬉しさで心が満たされた。
母はアイラの五歳の誕生日に、マルネズミという、愛玩動物や家畜として広く飼育されている魔物をかたどったぬいぐるみを贈ってくれた。実際のマルネズミよりもさらに丸々として可愛らしい手作りのぬいぐるみを、アイラは一目で気に入った。いつも抱えて過ごすようになった。
そしてアイラが六歳になる前に、母は病で世を去った。
幸せになりなさい。あなたの思う幸せを愛しながら生きていきなさい。それが最後に母から言われた言葉だった。
それ以来、アイラは母との思い出を、母のくれた幸せを纏って生きている。
母に倣って裁縫を覚え、母が似合うと言ってくれた黒いリボンやフリルを自分でも作り、服を飾るようになった。黒く染めた布を使い、服そのものも自作するようになった。成長し、新たに服を作るたびにリボンもフリルも増え、十七歳になった今は、全体がリボンとフリルに飾られた黒い装束を纏っている。頭も大きなリボンで飾っている。
母が作ってくれたマルネズミのぬいぐるみを、十七歳になった今も大切に持っている。常に傍に置き、どこへ行くにも連れ抱えている。この小さな友人のために、小さな服や装飾品を作っては着せている。
そんなアイラに、周囲の者は奇妙な目を向ける。家族や家臣は皆アイラを見慣れているのでまだしも普通に接してくれるが、城の外へ出れば異様な存在と見なされる。
この社会において自分が異質であることは、アイラも自覚している。
女性の服装は、すらりとした長衣が一般的。場合によってはその上に丈や色の違う長衣を重ねたり、肩紐で支えるエプロンドレスを纏ったり、外套を羽織ったりする。布は魔法植物の花などを原料として様々な色に染められ、なかには暗い青色や茶色などもあるが、真っ黒というのはあまり見られない。
装飾は、長衣の腰を縛る細帯や、髪を結ぶ細いリボン、ある程度以上の年齢の者が被る頭巾などが一般的。裕福な者は長衣の裾や袖や襟などを刺繍で飾ったりもするが、服全体をたくさんの装飾で覆うようなことは、普通はしない。
そしてぬいぐるみは、子供の玩具でしかない。幼い頃の思い出の品として捨てずにおくことなどはあっても、常日頃から抱えて持ち歩き、服を着せて愛でる大人は皆無と言っていい。
一方で、アイラはリボンやフリルに覆われた黒い装束を纏っている。着飾らせたマルネズミのぬいぐるみを抱いている。周囲から異常な娘だと思われていることは想像に難くない。
領内の市井に出た際は、人々が自分を見てひそひそと話している気配を感じる。父に連れられて領外へ赴いた際は、尚更にそのような気配が伝わってくる。子供たちに指をさされ、悪気なく笑われたこともある。
何度か他家から縁談を持ちかけられ、実際に婚約者候補と会った際には、婚約するのであればその「悪癖」は止めてほしいと相手側の家からやんわり伝えられた。慣れもあって露骨に好奇の目を向けることはしない家族や家臣たちからも、亡き母との思い出に一生縋って生きることはない、と窘めるような言葉をかけられることはある。
しかし、アイラは自分の在り方を変えたくはなかった。
大好きな母との思い出を愛している。母がくれた言葉を愛している。そして、この姿でいる自分を愛している。母の言葉をきっかけに大好きになった黒を纏い、リボンやフリルで飾り、母のくれたぬいぐるみを抱き、自分らしい姿でいることに幸せを覚えている。この姿こそが自分なのだと、心の底からそう思っている。
幸せになりなさい。あなたの思う幸せを愛しながら生きていきなさい。母の遺した言葉に、アイラはまさに従っている。
領主家の人間に生まれた義務から逃げたいわけではない。他家に嫁ぎ、領主の伴侶となってその役割を果たすことを厭っているわけではない。家庭を築き、夫と共に家や領地を守る、そんな普通の幸せを、得られるものならば得たいと思っている。
ただ、自分の好きな格好をして、自分の好きなものを持っていたいだけ。好きな格好や好きなものが他の人とは違うだけ。自分の異質さは、それ以上のものではないはず。
そんな自分を、しかしありのままに受け入れる人とはまだ出会えない。縁談をくれた相手側の家へ、自分がこの格好を望む理由を自身の言葉で伝えたが、結局はどの縁談も流れた。その話が広まったのか、以降は新たな縁談は来なくなった。父は時おりアイラのことを他家に紹介してくれているが、応えてくれる領主家は未だない様子。有力領主家の令嬢で、ユーティライネン家の現当主の従妹とはいえ、異常な姿の娘を伴侶に迎えたい領主やその嫡子はいないらしかった。
ヒューイット家の現当主である父や、継嗣である姉は、自分のこの姿を許してくれている。しかし、そこにはおそらく諦念も含まれる。決して自分の姿を心から受け入れてくれているわけではないとアイラも分かっている。
いつか、このままの自分を受け入れてくれる人と出会うのだろうか。それとも、そんな人は永遠に現れず、いずれ家族に甘えていられなくなり、この装束もぬいぐるみも手放し、社会に溶け込まざるを得なくなるのだろうか。
将来が見えず、思い悩みながら、アイラは十七歳の今を生きている。
・・・・・・
六月の下旬。アイラは久しぶりに城を出て、ヒューイット領からも出て、母の生まれ故郷であるユーティライネン領エルトポリに来ていた。父が義理の姪であるユーティライネン卿に会うためにエルトポリを訪れる際、アイラを伴った。
外で好奇の目に曝されることは気乗りしなかったが、こんな自分を許してくれている父から偶には外に出た方がいいと勧められ、何より行き先が亡き母の生家だったので、アイラも素直に付き従った。
近しい親類ということもあり、父とアイラはエルトポリ城の客室に滞在していた。父とは違って特に用事もないアイラは、この日は城の主塔の頂上に上がっていた。
城で最も高いこの場所に立ち、心地よい風を頬に感じながら都市を見渡すのが好きだったと、母は幼いアイラによく語っていた。アイラは母の愛した風を浴び、母の愛した景色を眺めながら、母との思い出に浸っていた。
「あっ」
と、やや強い風が吹いた。その風に、右手の手首に巻いていたリボンが攫われた。
いつの間にか緩んでいたらしいリボンは、そのまま風に乗って塔から流れ落ちていく。アイラはぬいぐるみを落とさないようしっかりと抱きながら、リボンが飛んでいった先を見下ろす。
風に舞ったリボンは、城の前庭に落ちていった。そして、丁度そこを歩いていた人――見知らぬ金髪の青年に拾われる。
「あのっ、すみません! そちらのリボン、私のです!」
アイラが呼びかけると、青年はこちらを見上げる。翡翠色の瞳がこちらを向き、視線が合う。
「えっと…………と、取りに行きます!」
そう言って急ぎ塔を下りながら、アイラは焦りを覚える。
慌てるあまり大声を出してしまった。少し恥ずかしい。そう思いながらも、取りに行くと言った以上は今さら引き返すわけにもいかず、塔を出て前庭を小走りで進む。後ろには、アイラの世話係である使用人が続く。
アイラが青年のもとに辿り着くと、青年はアイラの服装や抱えるぬいぐるみを見て、少し驚くような表情を見せた。アイラにとっては見慣れた、当然の反応だった。
むしろ、予想より反応が薄かったのでアイラはほっとする。目を見開いてぎょっとされたり、もっと否定的な反応をされたりすることもあるのだから。
青年の傍らにいる人物は穏やかな顔のまま、青年の後ろに立つ大柄な人物は強面の無表情のまま反応を特に示さず、そのこともアイラを安心させる。
「あの……そちらのリボン、拾っていただきありがとうございます。私はヒューイット家次女、アイラ・ヒューイットと申します」
こう名乗って領主家の人間であることを示せば、内心ではどう思われようと露骨に侮蔑されることは少ない。この十数年で身に着けた処世術に則り、アイラはまず最初に名乗った。
「初めまして、私はヴァレンタイン家当主、ミカ・ヴァレンタインと申します」
青年も微笑を浮かべて名乗り、そして丁寧に一礼した。
お知らせです。
本作『うちの村だけは幸せであれ ~前世の知識と魔法の力で守り抜け念願の領地~』の書籍化が決定いたしました。
これも偏に、読者の皆様より応援をいただいたからこそです。本当にありがとうございます。
レーベルや刊行時期などの詳細はしばらく先の発表になりますが、どうかお楽しみにお待ちいただけますと幸いです。




