第27話 外交と手土産
森の開拓や狩り、農地の手入れを行いながら平穏に五月が過ぎ去り、六月の上旬。ミカはアーネストに届けてもらった筒状の道具を部品として使い、ディミトリの手も借りながら、新しい農具――脱穀機を完成させた。
これは、筒状の部品を横向きにして二枚の壁の間に固定し、筒の芯棒に自転車のペダルのような持ち手を取りつけたもの。持ち手を回して筒を回転させ、そこへ麦の穂先を近づけると、筒の表面に並ぶアーチ状の針金に麦穀が引っかかり、こそぎ落されることで脱穀がなされる。
「それじゃあ使ってみるね。ディミトリ、始めて」
「分かりました」
主だった領民が集められた、脱穀機のお披露目の場。ミカが指示すると、ディミトリは頷いて脱穀機の持ち手を回す。それに合わせて中央の筒がぐるぐると周り、その速度が増していく。
そこへ、ミカは麦穂の束を近づける。
脱穀機の試用のため、本来の収穫時期よりもやや早くに刈り取って乾燥させた麦穂。その穂先が回転部分に触れると、ぶんぶんと小気味よい音を立てながら、脱穀機の下に敷かれた布の上へ実が落ちていく。
そして僅か数十秒で、ミカの抱える束ひとつ分の脱穀が完了する。
「こんな感じで、今までよりも効率的に脱穀ができる道具なんだけど……どうかな?」
ミカが尋ねると、領民たちの反応は劇的だった。
「す、凄え! これなら何十回と棒で叩くよりもずっと楽っすよ!」
「今までのやり方よりも疲れないし、脱穀にかかる時間も少なくなりますね!」
戦いで負った腕の傷もすっかり良くなったジェレミーが興奮気味に言うと、その隣ではビアンカが嬉しそうに語る。他の領民たちも、口々に感想を語り合う。
ダリアンデル地方における一般的な脱穀方法はとても単純。広い布の上に麦穂を置き、穂先の辺りを長い棒で叩くだけ。この方法でも十分に脱穀はできるが、時間がかかる上に、長い棒を何度も振るえば疲労もする。
これまでも決して楽な仕事ではなかった脱穀作業は、今後の農業改革によって収穫量が増えればますます大変な仕事となる。なのでミカは、脱穀の労力を減らすために、前世の知識を活かして脱穀機を作った。
この脱穀機があれば、脱穀作業の効率は何倍も上がる。領民たちは今までよりも遥かに多くの麦を、今までよりもずっと少ない時間で脱穀できるようになる。
「確かに、これはとても画期的な発明ですね……なるほど、針金に麦の穂先を引っかけることで脱穀を……こんな農具を自ら開発されるとは、さすがはミカ様ですね」
「……あははっ、ありがとう」
感嘆するマルセルに、ミカは一瞬の間を置いて笑顔で答えた。
前世においては、近代に時代が移った頃にようやく発明された脱穀機。それを前世の中世前半によく似たこの世界で作り出したとなれば、前世の発明者には悪いが、自分で思いついたということにするしかない。
なのでミカは、この脱穀機を皆に披露した際「僕が考えた新しい農具」と語った。
「生家にいた頃から、領民たちの脱穀作業をもっと簡単にしてあげられないかなと思ってて。これと同じ仕組みで、手で持つ櫛みたいな道具を自作して領民たちに貸したら、なかなか好評だったんだ。こうして自分が領主になって、使えるお金も生家にいた頃よりもずっと増えたから、どうせならもっと大がかりな農具を開発しようと思って。期待通りの性能に仕上がってよかったよ」
この説明に関しては、嘘はなかった。千歯扱きよりもさらに効率的に脱穀ができる農具としてミカが記憶していた脱穀機を、ずっと簡単な構造にしたものを生家の領民たちに使ってもらったところ、十分に有用であることが確認できた。
あの脱穀櫛は、おそらく今もカロッサ領で量産され、使われている。あのように有用なものを開発したために、無駄に有能な庶子として異母兄からは余計に警戒され、冷遇されることになってしまったが。
ちなみに、前世における脱穀機は、足踏み式が一般的だった。ミカは自力ではその機構を再現できる自信がなかったのでより単純な手回し式脱穀機を作ったが、これでも今までとは比べ物にならないほどの効率化が可能となる。
「これを使えば、早く簡単に麦を脱穀できるのはもちろん、作業に力が要らないから子供たちでも大人と変わらない効率で脱穀ができるし、戦争で障害を負った二人も皆と一緒に作業に臨めるはずだよ」
ハウエルズ家の軍勢との戦いでは、五人の重傷者が出た。飲んだ者の生命力を高める魔法薬のおかげで全員が一命をとりとめたものの、片腕を失った者と、足に槍の一撃を受けて治癒後も片足を引きずるようになった者は、今後一生その障害を抱えることになった。
今までのようには農業に臨めなくなった二人に、ミカは新たな仕事として、村の公共設備である水車小屋とパン焼き窯の管理を任せることにした。いずれも以前は前領主の甥たちが担っていた仕事で、前領主家が去ってからは領民たちが手分けして管理を担っていた。
重要な役割を与えられたことで、これからも領内社会に負担をかけることなく生きていけるようになった二人は、この脱穀機があれば麦の脱穀作業も今まで通りに行える。農業において重要かつ負担の大きい脱穀作業に参加することで、二人とも農業から完全に離れることはなく、領内社会において疎外感を覚えずに済む。
「そこまでお考えでしたか。なんとお優しい……」
「領民たちの結束や安心も、僕が領主として守っていくべきものだからね……さてと、本格的に収穫と脱穀の時期が来る前に、僕はこれを使って外交をしないと」
そう言って、ミカは薄く笑む。
・・・・・・
戦いから二か月も経てば、ミカがアーネストに託した噂もすっかり広まる。領地としては最弱に近いヴァレンタイン領が、しかし念魔法使いの領主とよく訓練された領民たちによって強固な防衛力を有していると、この地域の領主たちは思い知る。
ミカが戦争を乗り越えてこの地を守った事実と、ローレンツ・メルダースのおかげでミカをこの地の領主と認める領主家が増えたことを合わせて考えると、これまでと比べてミカの領主としての立場はずっと強固なものになったと言える。
こうなれば、ミカが村を留守にして領外へ赴いても、その間に他の領主が村に手を出そうとする可能性は極めて低い。なのでミカは、麦の収穫と乾燥を経て脱穀作業が始まるまでの数週間を利用し、初めて領主として他領を訪問することにした。
戦争で勝利し、名を上げた後こそが肝心。周辺の領主たちから舐められる可能性が減った代わりに、今度は逆に警戒される可能性がある。だからこそ、己がこの地域に混乱をもたらさず、周囲と仲良くしていく意思があることを示すために、自ら領外に出ての外交にくり出した。
まず訪問するのは、東西と北の隣領。最初に向かったのは、最近何かと世話になった北のメルダース領だった。
ハウエルズ領から村ひとつを奪取したメルダース領の人口は六百ほど。そのうち四百人が暮らす本村は、ミカの治める村と比べると、やはり随分と発展していた。パン焼き窯や水車小屋はヴァレンタイン領のものよりもずっと立派で、村内には鍛冶工房、宿屋を兼ねた酒場、日用品を扱う商店まであった。
もはや友人と呼べる関係であるローレンツは、ミカの来訪を大歓迎してくれた。自ら村内を案内し、領民たちにはミカのことを「ハウエルズ家の軍勢を撃退した英雄」と紹介した。
ミカは訪問に際し、ローレンツに披露するために脱穀機を持参していた。脱穀機の構造や使い方を解説すると、手土産がてらの有用な情報を得たローレンツは大いに喜んだ。
ローレンツとの歓談を終え、手土産に果実酒などをもらい、ヴァレンタイン領に帰還した翌日。ミカは今度は、西のコレット領を訪問した。人口およそ二百の村は、ミカの村を規模だけ大きくしたような様子で、発展度はこちらとさして変わらなかった。
「ほお、これを卿が考え出したとは、なかなか大したもんだ。しかし、こんな便利な農具の構造や使い方を、ただ手土産として教えてもらっていいのか?」
ミカを領主館に招き入れたコレット家当主ダグラスは、披露された脱穀機の持ち手を興味深そうに回しながら尋ねてくる。それに、ミカは笑顔を作って頷く。
「はい! 前々から隣領であるコレット領へ挨拶に参ろうと思っていましたが、領主になりたての身である故になかなか領地を空ける余裕がなく、訪問がすっかり遅くなってしまいました。脱穀機の情報は、せめてものお詫びと、末永い友好の証を兼ねた手土産と思ってもらえれば幸いです」
「なるほど……何とも殊勝な心がけ、感心なことだ。そういうことならありがたく情報を頂戴しておこう」
ダグラスは顎髭に触れながら、感心した表情で言った。
「ちなみに、これをもらうことはできんか?」
「それは、どうかご勘弁を。今のところ我が領に一台だけの脱穀機ですので」
「ははは、冗談だ。鉄製の部品を使った農具となれば、貴家は我がコレット家と違って簡単には作れまい。取りはせんよ」
ミカが微苦笑すると、ダグラスは可笑しそうに笑った。
コレット領にも鍛冶師はいないが、ダグラスには西の方にいくつも姻戚の領主家があり、多くは領内に鍛冶師を抱えている。そちらを頼れば、彼は脱穀機の製造に必要な針金と芯棒を速やかに用意することができる。
「もらってばかりというのも悪いからな。土産として自家製の燻製を持たせよう。大したものじゃない……と言うべきところだが、なかなか大したものだぞ」
聞くと、ダグラスは燻製作りに凝っていて、その腕前は姻戚たちからも評判がいいのだという。
「それは楽しみです! ありがとうございます、コレット卿!」
ミカは笑顔で答え、ダグラスが家臣に包ませた燻製を受け取ると、コレット領を辞した。
彼が土産にくれた鹿肉と川魚の燻製は、帰還後に食べてみたところ、実際とても美味だった。
・・・・・・
次に訪問したのが、東のフォンタニエ領。人口およそ五百のうち三百人ほどが暮らす本村は、メルダース領の本村にも負けない発展度合いだった。
「……挨拶が遅れた詫びと、今後の友好の証を兼ねた手土産か。本当に、ただそれだけが脱穀機の情報を明かした理由か? 他に何か意図があるのではないか?」
土塁と木製の城門、物見台に守られた小さな城。その城内へミカを迎えたフォンタニエ家当主ピエールは、ミカに脱穀機の情報を開示されると、警戒するような表情で言った。
「……さすがは思慮深いフォンタニエ卿です。それでは、私の本音もお伝えします」
彼は神経質そうな印象の通り、警戒心が強い気質らしい。ピエールの言動を受けてそう思いながら、ミカは語る。
「一度は他家の侵攻を乗り越えた我がヴァレンタイン領ですが、未だ吹けば飛ぶような弱小領地である故、まだまだ安心はできません。我が領の安寧を守る最も良い方法は、隣領との友好関係を維持すること。そして、その友好的な隣領に末永く存続し、発展してもらうことです」
ミカの言葉を、ピエールは思案の表情でじっと聞いている。
「私が友好の証として情報を開示したこの脱穀機をフォンタニエ領が導入し、農業生産力を一段高めて強くなれば、それは巡り巡って我が領の利益にもなります。東隣の友人が他の領主家に打倒され、新たに攻撃的な隣人が並んでくる可能性が低くなるわけですから。私としては、強く頼もしい友人に、この先も末永く隣に立っていてほしいと考えます。その友人が強く頼もしくあり続けるための助力は厭いません」
「つまり、我がフォンタニエ領を育て、防壁にしたいということか。なるほどな……そういうことであれば納得だ。本音を明かしてくれたことに感謝する」
ピエールは途端に安心した様子となり、そう言った。
彼は下手に言葉を飾られるよりも、現金な理屈を明かされることを好む。このことは今後の外交のためにも覚えておこうとミカは思った。
「私としても、強き念魔法使いに守られたヴァレンタイン領のことは、ある意味では我が領の西の防壁と思っている。今後も互いに利のある隣人同士でいたいものだ」
「はい。互いの利益を尊重しながら、共存共栄を成していければ幸いです、フォンタニエ卿」
やはり神経質そうな微笑を浮かべて言ったピエールに、ミカはにこやかに応えた。
彼からはフォンタニエ領が栽培に力を入れているという香草の類を土産にもらい、ヴァレンタイン領への帰路についたミカは、従者として伴っているディミトリを振り返る。
「これで、全部の隣領への訪問が済んだね……次はいよいよ、ユーティライネン領だ」
ヴァレンタイン領の東へ、フォンタニエ領を含む小領地を三つ越えたところにある、ユーティライネン領。その領都エルトポリはこの地域の中心都市であり、ミカの御用商人アーネストの拠点でもある。
ミカはこのユーティライネン領を一度訪れ、これまでアーネストを介して仕事を依頼した商人や職人、そしてこの地域を代表する有力領主ユーティライネン卿に挨拶をしたいと考えている。この地域の新参者として、都市部を訪れることには大きな利益があると確信している。
「俺はでかい都市に行ったことはないんで、楽しみです」
「僕も何千人が暮らす都市を訪れた経験は少ないから、すごくワクワクするよ。会いたい人も多いし、買いたいものも多い。有意義な訪問にしないとね」
そう言って、ミカは小さく笑った。




