第24話 魔法使い
先に動いたのはミカだった。敵の騎士を一気に無力化しようと、勢いよく丸太を振るう。
敵が常人であれば、高速で振るわれた丸太を避けきれずに打たれて終わっただろうが、さすがは魔法使いと言うべきか、騎士は驚くべき速さで身を引いて避けた。
丸太の軌道や間合いを適切に読み解き、最低限の動きで躱し、武器を構えた姿勢は崩さない。常人離れした俊敏さは魔法の恩恵だとしても、こちらの攻撃を見切る反射神経や隙のない立ち振る舞いはこの騎士個人の能力か。単に魔法が使えるだけでなく、一騎士としても相当に強いらしい。
ならばこれはどうだ。
ミカは地面すれすれの高さで丸太を投げ飛ばす。回転しながら飛んだ丸太に、しかし騎士は巻き込まれることなく、馬から跳んだときと同じように跳躍で躱す。
その着地の隙を逃さず、ミカは次の丸太を魔法で操り、騎士にぶつける。さすがに避けきれなかったようで、騎士は丸太の直撃を受ける。
「っ!?」
この一撃で仕留めたとミカは疑わなかったが、結果は違った。騎士は丸太の重量に速度が乗った一撃を受けて横へ吹き飛ばされたものの、無様に倒れることはなく、地に足をつけて数メートル滑り、そしてそこで踏みとどまった。立ったまま丸太の一撃に耐えきった。
胴に丸太の直撃を受け、相当な衝撃を食らったはずの騎士は、しかし大きな怪我をした様子もない。その様を見たミカは、肉体魔法による身体の強靭化とはこれほどまでに効果があるのかと驚愕し、唖然とする。
「うわっ!」
ミカが悠長に驚いている暇もなく、騎士は凄まじい速さで迫ってくる。ミカは身を守ろうと手元に丸太を寄せ、そして自身は後方へ下がる。
丸太を滅茶苦茶に回転させて突破不可能な壁にすると、騎士はミカの左に回り込む。ミカがそちらへ咄嗟に丸太を放ると、騎士はまるで地面に倒れるように姿勢を低くし、不規則に回転しながら飛んでくる丸太を躱してみせる。戦場の西側を向いているミカが左へ投げた丸太は、つまり南側の村の方へ飛んでいき、家の一軒に直撃する。
柱がへし折れ、壁が砕け、屋根が崩れて半壊した家は、確かイヴァンの息子夫婦のもの。建て直すから許してくれと心の中で彼らに詫びつつ、ミカは次の丸太を操ろうと手を向け――
「ひいっ!」
新たな丸太がミカの手元に来るよりも早く騎士が起き上がり、剣を構えて迫りくる。ミカは魔法の発動を中断し、慌てて後ろに飛ぶ。
剣による斬撃を、ミカは地面に転ぶようにして何とか躱すことができた。起き上がりながら先ほどの丸太を操ろうと振り返ると、ミカが魔法を再び発動する前に、地面に転がっていたその丸太を騎士が抱え上げてしまう。
他者に抱えられたと認識してしまった時点で、その丸太にミカの「魔法の手」は届かない。正確には極めて届きづらい。予想外の事態にミカが困惑している間に、騎士はその丸太を後方へ引きずり、放り投げる。魔力で肉体を強化していても百キログラムを超える丸太はさすがに重いのか、多少は難儀した様子で、しかし確かに投げ捨ててみせる。
念魔法の手が届くのは半径四メートルほど。それよりも離れた位置に捨てられた丸太は、もはや拾えない。さらに、ミカは騎士の斬撃を避けて後退したために、まとめて積んである丸太からも距離が離れすぎ、「魔法の手」が届かない。新たに丸太を取ることができない。
「まずいまずいっ!」
ミカが思わず背を向けて逃げ、騎士がそれを追いかけようとした、そのとき。
「うおおおおおおおっ!」
騎士の視界外から襲いかかったのはディミトリだった。彼が対峙していた敵徴集兵は、既に仕留められたようで、彼の後方で血を流して倒れている。
平均的な体格の成人男性ならば両手で振るうであろう戦斧を、大柄なディミトリは片手で振りかざし、騎士に殴りかかる。
人間を真っ二つに叩き割ってしまいそうな重い一撃。しかし、騎士は恐るべきことに、それを片手で受け止める。左腕に装着した金属製の籠手で、戦斧の刃を防ぐ。
いくら刃が通らずとも、その衝撃は相当なものであったはず。実際、騎士の籠手は今の一撃でひしゃげている。にもかかわらず、騎士は左腕を少し押し込まれただけで耐え、折れた様子もないその腕を振って戦斧の刃を逸らす。
そして、剣をディミトリの胸へ突き込もうと構える。
「だ、駄目!」
ミカは咄嗟に、近くに転がっていた投石用の石を魔法で拾い、騎士の顔目がけて投擲する。騎士はディミトリに突き込もうとしていた剣を掲げ、石を弾く。その隙に戦斧を再び振りかざしていたディミトリに対しては、刺突の代わりに蹴りを放つ。
肉体魔法による筋力強化は、ただの蹴りにも凄まじい威力を与えるようだった。騎士の左足はディミトリが咄嗟に構えた木製の盾を容易に叩き割り、そのままディミトリを吹き飛ばす。
ディミトリは戦斧こそ手放さなかったものの、勢いよく地面に激突し、すぐには起き上がれない様子だった。
蹴りだけで盾を破壊し、大柄なディミトリにあれほどの衝撃を与えるのだから、剣の一撃が放たれていたらどうなっていたことか。咄嗟に石を投げてよかったとミカは安堵した。
その安堵もつかの間のこと。再び騎士に見据えられ、ミカの顔が引きつる。
ディミトリの介入があったおかげで、ミカは多少、後退する猶予を得た。その猶予を無駄にせず下がり、しかし騎士との距離は十メートルもない。
現在ミカがいるのは、木柵の西側後方。右を向けば領民たちが敵兵の防衛線突破を懸命に防いでいて、ミカの周囲には投石用の石の余りや、予備の武器である木製の槍などが無造作に置かれている。丸太は「魔法の手」が届かないほど前方か、あるいはもっと後方にしかない。
「く、来るなっ!」
ミカは叫びながら、それらの石や槍を手当たり次第に投げつける。その雑な攻撃は、騎士がミカに迫って止めの一撃を放つのを先延ばしにする程度の効果しかなかった。騎士は石や槍を躱し、あるいは剣や籠手で弾く。その間も、騎士の目は冷淡にミカを見据えている。獲物を狩る強者の目をこちらに向けながら、雑な攻撃を潜り抜けて着実に距離を詰めてくる。
時おり後ろを振り返りながら下がっていたミカは、しかし足元をよく見る余裕まではなく、なので石のひとつに足を取られ、尻餅をつく。ますます無様な姿になりながら、それでも石や槍を投げ続け、尻を引きずるようにして後ろへ下がり続ける。
抵抗も虚しく、騎士はミカの目の前に辿り着く。手近な石も槍も、腰に差していた護身用の短剣すらも既に投げてしまい、ミカには攻撃手段がない。
ミカの顔が青ざめ、勝利を確信したのか騎士の口の端が歪む。
そのときだった。
「がああああああああっ!」
爆発のような異様な咆哮が上がり、騎士は思わずといった様子でそちらを振り返る。吠えたのはディミトリだった。蹴りを受けて吹き飛ばされた際の衝撃が未だ身体に残っているらしい彼は、少しふらつきながら戦斧を両手で構え、そして投げる。
投げられた戦斧は、騎士の後方、明後日の方向へ飛翔していった。
「……ふっ」
騎士は鼻で笑いながらそれを見届け、再びミカに向き直る。
そのときには、ミカの手にクロスボウが握られていた。
「っ!」
騎士が新たに動く暇も、それ以前に驚愕に目を見開く暇さえも与えず、彼の視線がクロスボウに向くのとほぼ同時にミカは引き金を引く。
この世界のこの時代においてはおそらく最も速い、なおかつ金属鎧さえ貫く威力を持ったクロスボウの一撃が、至近距離から騎士の胴のど真ん中へ放たれる。矢は騎士の着ている鎖帷子を容易く貫通し、騎士の心臓の辺りに深々と突き刺さる。騎士は驚嘆に目を見開き、剣を取り落とす。
「……これはさすがに効くんだ」
「……当たり前だろう」
ミカが思わず呟くと、騎士は意外なことに返事をくれた。
いくら魔法で肉体を強化していても、さすがに至近距離からのクロスボウの一撃を弾けるほど皮膚や筋肉を頑強にできるわけではないらしい。呆れたように言った騎士は、そして横向きに倒れて地面に転がった。
駆け寄ってきたディミトリが、自身の予備武装である短剣を、仰向けに倒れている騎士の喉に突き立てる。何度も何度も喉を突き、確実に騎士の息の根を止めた後、ミカを振り返る。
「……ミカ様、お怪我は?」
「僕は大丈夫。ありがとうディミトリ、助かったよ」
ミカが答えると、ディミトリは安堵の息を吐いた。
「それにマルセルも、よく気づいてくれたね。さすがだったよ」
そう言って、ミカは後方にいたマルセルを振り返る。
「恐縮です。私があの距離からでもしっかりと狙って撃てればよかったのですが……」
「いや、いいんだ。おかげでこの騎士に間近から決定打を与えられた。君の助けがあったから勝てたんだ」
ミカの言葉に、マルセルもほっとした表情で頷いた。
ようやく最大の強敵を仕留めた。そのことに安堵しながら、ミカは立ち上がる。
丸太を奪い取られた後、騎士に背を向けて逃げようとした際、ミカは後方でマルセルが動いているのを見た。
非常時に領民たちが使える切り札として、秋のうちにアーネストに頼み、二挺取り寄せておいたクロスボウ。そのうちの一挺は館を守るヘルガに、そしてもう一挺はマルセルに預けておいた。彼はミカの苦戦を見たためか、クロスボウを持って加勢しようとしている様子だった。その様を、ミカは視界の端に捉えた。
だからこそ、騎士が迫ってくる中で、ミカは彼の意識をマルセルから逸らす意図もあって、石や槍を手当たり次第に投げて注意を引いていた。
その間に騎士の意識の外から奇襲を成そうとするマルセルは、しかし距離があるために矢を急所に命中させる自信がないのか、なかなか射撃に踏みきれない様子だった。ならばいっそこちらへクロスボウを投げてもらい、受け取って至近距離から確実に騎士を貫こうと考えたミカは、しかしその数瞬の隙を得る方法が見つからなかった。
そんなとき、ディミトリが吠え、さらには斧を明後日の方向へ放り投げ、騎士の気を逸らしてくれた。騎士が斧の方を向いている隙にミカが手を伸ばすと、マルセルは領主の意図を察してクロスボウを投げた。
人が放り投げた程度のものであれば、ミカは「魔法の手」で受け止めることができる。投げられたクロスボウと矢を念魔法で操り、装填しつつ手元に持ってきて自らの手で構えたミカは、騎士が再びこちらを向くのと同時に矢を放った。外しようもない距離で放たれた矢の一撃が、ミカの勝利を決定づけた。
「さて……この騎士の遺体を見せつけて、ハウエルズ卿が撤退を決断するか試そう」
そう言って、ミカは肉体魔法使いの遺体を振り返る。




