第20話 戦闘準備
ハウエルズ領より軍勢が攻めてくるとしたら、ハウエルズ領のある北西方向から、おそらくメルダース領を迂回し、丘陵を越えて現れる。
そう考えたミカは、敵軍が自領に到達する正確な時期を把握するため、村の北側の丘陵頂上に見張りを置いた。一度に二人ずつ、一日二交代で。
メルダース家当主ローレンツからの情報提供があった五日後の午後、見張りについていたのはジェレミーとルイスだった。
「ハウエルズ領の奴ら、来るならとっとと来ればいいのになぁ」
「……」
パンを齧りながら呟くジェレミーの隣で、ルイスは無言で丘陵北側を見渡している。
大小の森が点在し、丘陵南側よりは大地に占める森の割合が小さい。やや東寄りにはメルダース領の村が遠く見える。
「この調子だと、晩に交代するまで何もなさそうだなぁ。なあルイス?」
「ああ…………いや、待て」
ジェレミーの問いかけに、ルイスはそう答えて北西の一点を注視する。
「どうした? 何か見えるのか?」
「ああ。ほら、あそこだ」
ルイスの指差した先を、ジェレミーも目を細めながら注視し、そして気づく。
「き、来た! 本当に来やがった!」
まだ遥か遠く、ジェレミーからすればよく気づけたなとルイスに言いたくなるほどの距離に、人の集団が見えた。注視すると、馬に騎乗した者も何人もいるように見える。百人いても不思議ではないほどの集団だった。
「ハウエルズ領の軍勢で間違いないだろうな……騎馬が先行してくる。斥候ってやつだろう」
「ミカ様が言ってたあれか。軍勢よりも先に走って、敵がどんな様子か見るっていう」
北西方向から軍勢がやってくるよりも前に、少数の騎士や兵士が斥候としてこちらの様子を見に出てくるかもしれない。丘陵に見張りが置かれるにあたって、領民たちはミカからそのように聞かされていた。
軍勢の接近は遅いが、先行する騎士は、騎馬の速度を活かして見る見るうちに丘陵へと迫ってくる。
「一騎だけだ。た、戦うか?」
「いや、相手は本物の騎士だ。二人がかりでも不利だろう……俺たちの仕事は、敵がもうすぐ来るとミカ様に報せることだ。ここで死んだら話にならない。戻るぞ」
ルイスの言葉にジェレミーも納得し、二人は丘陵を南へ下る。木々に身を隠しながら村へ帰る。
・・・・・・
「……そうか、とうとう来たか」
領主館へ駆け込んできたジェレミーとルイスの報告を受け、ミカは薄く笑む。
元より、襲撃への備えは進めていた。いざというときは領主館に女性や子供や老人たちを避難させ、敵がやってくる方向へ木柵を並べ、集団で防衛戦闘を成すための準備をしていた。自身の念魔法で投げやすい丸太も、選別して領主館の敷地内に揃えてある。
メルダース家より情報提供を受けてからは、ハウエルズ家の軍勢との戦闘を想定してさらに準備を行った。木柵は既に村の北側へ設置し、丸太も「魔法の手」で取りやすい場所へ積んである。領民たちをどこに何人配置し、どのように動かすかも決まっている。領民たちに、いざ戦いが始まってからの動き方の訓練まで施す余裕があった。
いよいよ敵がやってきたとなれば、後は戦闘に臨む者たちを配置につかせ、それ以外の者たちは領主館に避難させ、戦闘開始を待つのみ。
「二人とも報告ご苦労さま。このまま伝令を頼むよ。戦う者は木柵のところへ集まるよう、戦わない者は館へ集まるよう皆に伝えて。敵が攻撃を仕掛けてくるのは明日になるだろうから、焦らず落ち着いて行動するようにって」
「わ、分かりました!」
命じられてジェレミーは緊張した様子で答え、ルイスは無言で頷いた。
二人が館を出ていった後、ミカは傍らのディミトリを振り返る。
「僕たちは先に木柵のところに行って、丘陵を見張りながら皆を待とうか。敵の斥候が調子に乗ってちょっかいを出しにきたら、仕留めてしまおう」
「了解です……いっそ、敵の斥候が調子に乗ってくれたらいいですけどね」
「あははっ、そうだねぇ。そうすれば開戦前に敵を一騎減らして、こっちが少し有利になる」
強気な笑みを浮かべながら言ったミカは、ヘルガに避難者たちを館へ迎える準備をするよう頼んだ上で、ディミトリと共に村の北側へ向かう。
・・・・・・
結局、敵の斥候が下手に単騎で近づいてくることはなかった。それから夕刻までに、ヴァレンタイン領の戦闘準備は完了した。
敵の攻勢に対する防壁として村の北側へ並べられた木柵の前には、成人男性のうち主戦力となる二十五人ほどが集まった。
そして、戦えない者――主に女性と子供、そしてイヴァンのような老人は領主館に避難した。皆が館の中に入り、窓は鎧戸でしっかりと塞がれ、間もなく扉の鍵もかけられる。
「二回、名前を呼びながら人数を数えました。ちゃんと全員避難できてます。逃げ遅れてる人はいません」
「そうか、報告ありがとう」
館から木柵のところまで伝えにきたビアンカに、ミカは笑顔を作って答える。
「敵が攻めてくるのは明日になるだろうけど、用心のために今夜は決して扉や窓を開けないようにね。夜が明けたら、一度こちらの状況を知らせに人を送るよ」
「分かりました。ヘルガさんやイヴァンさんにも伝えます」
「うん、よろしくね……それじゃあディミトリ、ビアンカを館まで送ってあげて。念のため、鍵が閉められて扉が外から開かないことを確認した上で戻ってきて」
「……了解です」
ディミトリはそう言って、ビアンカと共に館へ向けて歩く。
二人の間にはしばらく沈黙が流れ、やがてビアンカが口を開く。
「……明日には敵が攻めてきて、そしたらディミトリさんたちは本当に戦うんですね」
「ああ、そうなるな」
短い会話を交わして、二人はまた無言で歩く。もうすぐ館に着く。
今、言うべきだろう。主人であるミカも、きっとその機会を与えるために、自分にビアンカを送るよう命じた。ディミトリはそう思い、息が詰まりそうになるのをこらえ、口を開く。
「び、ビアンカ!」
急に名前を呼ばれたビアンカは、驚いた表情で顔を上げ、ディミトリの方を向く。二人の足が止まり、その顔が向かい合う。
「あ、あの…………俺……」
伝えなければ。そう思いながら、ディミトリは頭が真っ白になる。
今でこそ領主の従者となり、村の皆からはディミトリさんなどと呼ばれているが、元は貧乏農家の三男。結婚できるかも怪しい立場で、なので自分が女性に結婚を申し込む姿など想像もしていなかった。今の立場になってからも、ビアンカに思いを伝えるのは夏前のはずで、こんな、春も早いうちから切り出すことになるとは思っていなかった。
「……ふふふっ」
ディミトリの様子を見たビアンカは、笑い声を零す。
そして、ディミトリの手を取る。
「ディミトリさん。あなたのことが好きです。私と結婚しましょう」
「……」
先に言われてしまった。自分が怖気づいて固まっていたせいで。
不甲斐なさを覚えつつ、しかし返事をしなければならないと考え、ディミトリはせめて片膝をつく。
「あ、ああ。その……俺の方こそ、お前のことが好きだ。俺と結婚してほしい」
「はい、喜んで」
そう言って花が咲いたように笑うビアンカは、惚れ直すほどに可愛らしかった。
「皆には、ディミトリさんの方から結婚を申し込んでくれたって言います。私の方から告白したことは一生の秘密にしてあげますから……だから、私を一生幸せにしてください。そのために、生きて帰ってきてください。従者としてミカ様をお守りして、ディミトリさんも生きて帰ってきてください。これからも私と一緒にいてください」
「……ああ、もちろんだ。任せてくれ。俺はちゃんと役割を果たして、生きて帰ってくる。ずっとお前の傍にいて、お前を一生幸せにする」
答えながら、彼女は自分などには勿体ないほど素晴らしい女性だとディミトリは考える。こんな素晴らしい女性が自ら想いを伝えてくれたのだから、生涯をかけてその恩に応えなければならないと強く思う。




