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第19話 この村だけは

 人口およそ百人の小村である旧ドンダンド領が五十余年にわたって独立を保ったのは、隣り合う各領地のいずれも規模が小さく、小村とはいえ隣領に侵攻することに相応のリスクを抱えていたから。なおかつ、初代領主も二代目領主も、隣人たちと決定的には揉めないだけの世渡りの才能があったから。

 しかし昨年、二代目領主は一族を連れ、領地領民を捨てて逃亡した。そして、流れ者の魔法使いであったミカが新たに村の領主の座についた。


 この地を領有する政治的な正当性を持たないミカは、単純に力をもって、さらには一から政治的に立ち回って、自身の立場や領地を守らなければならない。ミカの魔法が抑止力として機能し、そしてミカ自身が友好的な態度で立ち回ったおかげもあり、領地を接する領主家からはひとまず新領主として認められた。

 が、ハウエルズ家はどうやら違った。ハウエルズ卿はおそらく、ミカをこの地の正当な領主とは見なさず、領主不在の村を早い者勝ちの理屈で分捕ろうとしている。


 ハウエルズ家がヴァレンタイン領を攻めたとしても、世間的に見れば果たして領主と呼べるかも分からないミカのために、この辺りにおいては有力領主家であるハウエルズ家を非難してくれる者はいないだろう。隣領領主たちも、直接味方してはくれまい。メルダース家がわざわざ使者を送って侵攻の予兆を知らせてくれただけでも感謝すべきこと。

 なのでミカとしては、ハウエルズ家の侵攻を自力で撃退するしかない。そうして領地防衛を成せば、それがこの地を実効支配するひとつの実績となり、己の新領主としての立場をより強固にすることにも繋がる。


「北隣のメルダース領の、さらに北西にあるハウエルズ領。その地の領主であるハウエルズ卿が、軍勢を引き連れてこのヴァレンタイン領へ侵攻しようとしているらしい。軍勢の規模はおそらく百人以上で、肉体魔法使いも一人いる。僕をこの村の新たな領主と認めず、力尽くでこの村をハウエルズ領の一部とすることが目的なんだと思う。ハウエルズ卿は野心の強い領主として知られているから、今後自分の領地を広げていくために、この村を工作活動や戦争の拠点にしたいんだろうね」


 ミカがそう語ると、広場に集められた領民たちからざわめきが起こる。


 ミカとしては、勝算は十分にあると思っている。自分には念魔法の才があり、領民たちにもできるだけの備えをさせてきた。敵側の切り札は、魔法使いの中では最もありふれた存在である肉体魔法使い。肉体を魔力で強化しているとしても、生身で戦う相手ならば、念魔法で押しきって勝てるだろうと考えている。

 問題は、目の前でざわめく領民たちも勝てると考え、戦おうと思ってくれるかどうか。


 かつて五十人の盗賊が襲撃してきたとき、統率すべき領主が逃げて混乱していたとはいえ、彼らは何らの抵抗もできなかった。盗賊たちが迫る中で、武器をとるでもなく慌てふためき、あるいは家に閉じこもって絶望していた。

 冬の間、彼らはミカと共に集団戦闘の訓練をした。そのときは、いざとなれば村を守って戦うのだと意気込んでくれていた。しかし、五十人どころか百人の、それも領主家に仕える職業軍人や魔法使いまでいるであろう軍勢が来ると聞かされても、果たして彼らは同じだけの戦意を抱けるだろうか。


 百人もの軍勢がこの村を占領すれば、その間領民たちは好き勝手に家に押し入られ、金目の物は奪われ、女性や子供が暴行され、抵抗した者は老若男女問わず殺されるだろう。そしてこの村がハウエルズ領に併合されれば、彼らは今までのように、あるいは今まで以上に、苦しい生活を強いられるだろう。

 この村が隣領侵攻の大義名分作りの工作活動や、その後の戦争の拠点にされれば、平穏は失われるだろう。男たちは兵として徴集され、ハウエルズ卿の野心のために戦わされるだろう。


 それでも。軍勢を迎えて死に勝るとも劣らない恐怖や屈辱を味わうことになったとしても。その先には暗く不幸な未来が待ち構えているとしても。今このとき大軍勢と戦って死ぬよりは、降伏してハウエルズ家のもとに下る方がいいと、彼らがそう考えてしまったならば。

 ミカが戦えと言っても、彼らは戦えないだろう。そうなれば、ミカは領主であることを辞めてこの地を去り、彼らにこの先訪れる不幸が、そう大きなものにはならないことを願うしかない。ディミトリに関しては、またミカと放浪の旅に出るか、あるいはビアンカのもとに残り、厳しい未来を覚悟して彼女と生きていくか、選ばせるとしよう。彼にとっては辛い二択だろうが。


 彼らが戦おうと決断するよう説得するべきか。あるいは、彼らの考えるままに任せるべきか。ミカが悩んでいると――


「ふざけやがって!」

「あたしたちの故郷を何だと思ってるんだい!」

「百人だろうが魔法使いがいようが、全員ぶちのめしてやる!」

「そうだ! ぶちのめしても帰らないなら、ぶっ殺してやればいい!」


 領民たちから血の気の多い言葉がいくつも上がり、ミカは目を丸くする。


「儂らが一から作った村だぞ! 子供や孫たちを幸せにするために作ったんじゃ! よその領主に好き勝手させるために一生を捧げたんじゃない!」

「そうですよ! 自分たちで作った故郷が、どこの誰とも知らない人の欲のために、戦争の拠点にされるだなんて! とんでもない話だわ!」


 普段は温厚なイヴァンやヘルガまでもが、怒声を発している。彼らは子供の頃から森を切り開いてこの村を築いた、開拓の第一世代だった。


「……皆、凄いねぇ。迷いなく、士気旺盛で」

「当然のことです!」


 ミカが呆けた顔で言うと、答えたのはマルセルだった。怒るところなど想像もつかなかった彼までもが、今は憤慨を表情に滲ませている。


「ミカ様が来られるまで、私たちはすっかり人生を諦めていました。皆貧しく、生活はずっと苦しいままで、この先自分たちの人生が良くなるなんて思ってもいませんでした。そこへ盗賊が迫ってきて、前領主は私たちを見棄てて逃げ去り、もう終わりだと絶望するばかりでした……ミカ様が私たちを助けてくださり、私たちの領主様になってくださってから、全てが変わりました。ミカ様は私たちに希望をくださいました」


 希望、という強烈な言葉が発せられてミカが驚く一方で、領民たちはマルセルへの同感を示すように頷く。


「今、私たちは希望を持って生きています。この先の人生は明るい。明日や来週や、来月や来年には、今よりも良い生活が待っている。もっと豊かで幸せな人生を送り、そんな人生を子供や孫に残していける。心からそう思えるようになりました……それなのに、今さら以前のような人生に逆戻りしたくはありません。以前よりももっと悪い人生になるなんて、冗談じゃありません! 私たちをそんな目に遭わせようとする敵が来るのなら、戦うに決まっています!」


 マルセルが力強く語りきると、そうだ、その通りだと声が上がる。


「それに! それにっ!」


 一際大きな声を上げ、新たに皆の注目を集めたのは、ジェレミーだった。


「それに、もし俺たちが怖気づいて戦わなかったら、盗賊のときみたいに諦めちまったら、ミカ様はこれから来るハウエルズ家の軍勢に殺されるか、この村から追い出されてまた流れ者に戻っちまうってことですよね? 俺たち、ミカ様が助けてくださったから今も生きてて、俺たちの方からミカ様に領主になってほしいってお願いしたのに、これで自分たちが今死にたくないからってミカ様を見捨てたら……そんなことしたら、俺たちこの先、どんな顔してここで生きていくって言うんですか! 俺、そんなことできませんよ! ミカ様に領主になってほしいって最初に言ったのは俺です! 今も、俺の考えは全然変わりませんよ!」


 感極まって涙ぐみながらジェレミーが訴え、隣に立っていたビアンカが釣られて泣き出す。よく言った、とジェレミーを称賛する声が何人もの領民から上がり、ルイスが無言で、ジェレミーを労うように彼の肩を叩いてやる。

 そして、再びマルセルが口を開く。領民の代表として、ミカに語る。


「ミカ様、これが私たち領民の総意です。自分たちのためにも、領民全員にとって恩人であるミカ様のためにも、私たちは戦う覚悟です。もう盗賊に襲われたときとは違います。私たちもミカ様と一緒に戦って、私たちの手で人生を守ります。如何様にもご命令をください」


 呆気にとられて皆の言葉や反応を受け取ったミカは、やがて静かに笑む。

 なんといじらしくて、善良で、可愛い領民たちだろうか。これほど素晴らしい領民たちに、これほどまでに受け入れられ、敬愛され、自分はなんと幸せな領主だろうか。

 生家と縁を切り、故郷を旅立ったときは、こんなに幸せなかたちで領地を手にするとは思ってもみなかった。一国一城の主として民に愛されることが、こんなにも満ち足りて幸福なことだとは想像もしていなかった。


「……ありがとう。皆、本当にありがとう。君たちの領主であれて、僕は幸せだ。これからも僕が君たちの領主であり続ける。一緒に戦って、このヴァレンタイン領を守ろう!」


 ミカが高らかに言うと、領民たちから爆発的な声が上がった。

 皆と共に熱狂に包まれながら、ミカは思う。

 この領民たちは幸せであらねばならない。前世と比べて遥かに厳しいこの世界で、それでもせめて、我が領地たるこの村だけは幸せであらねばならない。領主である自分こそが、彼らを幸せにしてやらなければならないのだ。


 ここが自分の、生涯の領地だ。

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