第18話 急報
二月の下旬。最も寒さの厳しい時期が終わり、徐々に春の兆しが見えてきた頃。ハウエルズ家当主レイモンド・ハウエルズは、居城の一室にて、武闘派の家臣たちと共に侵攻計画について話し合っていた。
「全ての村において、領民の徴集計画が定まりました。どの領民を徴集するかも既に決まっております。タウンゼント家とピアース家から援軍が到着する目途が立ち次第、三日以内には六十人を揃えられる状態です」
「そうか、よくやった。これで、敵側に十分な準備の時間を与えることなく強襲を成せるだろう」
侵攻準備の実務を担っている最側近の騎士の報告に、レイモンドは答える。
狙っている村において、まともな敵となり得るのは自称領主の念魔法使い一人だけ。総じて見れば脆弱な敵だが、しかしあまり早くに攻撃の予兆を察知されては、余計な防衛準備の時間を与えることになりかねない。戦闘においては所詮一人の人間である念魔法使いも、防衛準備においては常人より遥かに多くの働きができることだろう。
なのでレイモンドは、兵力の集結開始から一週間のうちに狙いの村へ到達し、攻勢を仕掛けたいと思っている。速攻こそがより容易な勝利に繋がると考えている。
「総兵力は、予定通り百十人で問題ないな?」
「はい。徴集兵六十人、援軍四十人に加え、家臣団から十人が出陣します。閣下のご命令通りの兵力です」
側近の言葉に、レイモンドは満足げに頷く。
「流れ者の分際で調子に乗った愚か者に食らわせるには、贅沢なほどの軍勢だな……確か、名乗る家名はヴァレンタインなどと言ったか。己の力を過信するとどうなるか、人生の最期に思い知らせてやるとしよう。なあ、セルゲイ」
「はい、閣下。ハウエルズ家の切り札と呼ばれるに値する力を、馬鹿な若造に見せつけてご覧に入れます」
レイモンドに答えたのは、肉体魔法使いである騎士セルゲイ。レイモンドに長年仕える彼は、魔力を用いて己の肉体を強化し、尋常ならざる戦いを成すことで、主人の権勢拡大のための戦いにおいて大きな活躍を示してきた。魔法の中では最もありふれた肉体魔法を、騎士として鍛え上げた体躯と磨き上げた武芸と合わせて用いることで、並みの騎士十人に匹敵するとも言われる力を発揮してきた。
このセルゲイの存在も、敵の念魔法使いに勝てるとレイモンドが確信する根拠のひとつ。
「よく言った。此度もお前の活躍に期待しているぞ……久々の戦いだ。この戦いに勝利すれば、ハウエルズ家はまた一歩躍進を成す。その分、お前たちにも良い思いをさせてやる。気合を入れて準備に臨め」
主人の言葉に、側近やセルゲイをはじめとした家臣たちは力強く応える。
・・・・・・
冬が明けた三月には、厳しい冬を乗り越えたことを皆で祝い合うのがダリアンデル地方における恒例。ヴァレンタイン領でも、この春の祝祭が開かれた。皆が村の中央の広場に集まり、酒と料理で春の訪れを祝い合った。ミカの魔法による狩りで大量の肉を得ていたおかげで、誰も飢えに苦しむことなく冬を乗り越えた後の祝祭は、幸福感に満ちていた。
その後、中旬には大麦の種蒔きが行われた。夏から冬にかけてミカと領民たちの手で開墾された新たな農地に、領民たちが総出で大麦を植えた。
元が肥沃な森であり、おまけに犂によって耕された農地。秋の収穫量はかなりのものになると予想される。今までにないほど多くの大麦が収穫されれば、いつでも気兼ねなく麦粥を食べることができ、エールも大量に作ることができる。領内では消費しきれないであろうから、領外に売って収入にすることもできる。
そんな期待があるからこそ、領内社会の空気はとても明るい。昨年の秋に植えた小麦やライ麦が例年より明らかに豊かに実っていることも、その明るさに拍車をかけている。
「僕たちがこの村に来て、もう半年かぁ……長かった気もするし、短かった気もするねぇ」
「はい。何ていうか……すごく充実してます。だから長くも感じたけど、楽しいんであっという間だったような気もします」
「あはは、そうだねぇ。まさにそんな感じだ」
よく育った麦畑を見回りながら、ミカはディミトリと言葉を交わす。
夏にこの麦が収穫されれば、ミカも領民たちも、それを売ることで現金収入を得られる。収穫量が飛躍的に増えることで、収入も相応に増える。そうなればいよいよ村は豊かになり、領民たちの生活はより楽になり、ミカも余裕をもって様々な取り組みに臨めるようになる。
ある意味では、今年からが領地運営の本番。だからこそ、ミカは今、とても楽しみだった。
「……ミカ様、イヴァンさんがこっちに来ます」
上機嫌で農地を巡り歩いていたミカは、その言葉に振り返る。確かにディミトリの言う通り、イヴァンが領主館からこちらへ走ってくる。
「イヴァン、どうしたの? 館で何かあった?」
「は、はい。メルダース領から、メルダース家の使者の方が来られたので、お知らせにまいりました」
軽快な足取りでミカのもとへ走ってきたイヴァンは、さして息を切らした様子もなく答える。
「……メルダース領から? 何だろう」
親しみやすいローレンツ・メルダースの顔を思い出し、わざわざ使者を送ってくるとはどのような用件だろうと少し不思議に思いながら、ミカはイヴァンとディミトリと共に館へ戻る。
使者としてやってきたのは、ローレンツの来訪時にも随行していたメルダース家の若い家臣だった。おそらくは、ミカが顔を見てメルダース家の使者だと分かる人物で、なおかつ丘陵を越えて迅速に移動する体力があるために選ばれたのか。
館の大部屋に通された彼は、挨拶もそこそこに来訪の用件を語る。
「メルダース領の北西に領地を持つ、ハウエルズ家という領主家が、領内や姻戚の領地から兵を集め、軍事行動を起こす素振りを見せています。メルダース家も警戒を強めていますが、私の主人ローレンツ様のお考えでは、ハウエルズ卿の狙いはこちらのヴァレンタイン領ではないかと」
当代ハウエルズ卿は野心の強い人物と見られているが、それでも今まで他家と戦う際は己の側に大義名分を用意していた。現在、メルダース家をはじめ領地を接する各領主家には、直ちにハウエルズ家と武力衝突を起こすほどの係争はない。にもかかわらずハウエルズ卿が軍事行動を起こすのであれば、狙いは前領主家が逃げ去ったこの村ではないか。
ローレンツはそのように推測していると、使者は語った。
「なるほど……ハウエルズ家はこの村に居座る流れ者を新領主とは認めない。この村は領主不在の宙に浮いた地であり、居座って支配者面をする魔法使いを排除すればハウエルズ家に領有の正当性がある。ハウエルズ卿の考えはそんなところですか」
使者の説明を聞いたミカは、苦笑交じりに言った。
ミカとしては、隣領の領主たちからとりあえずは友好的な言葉を受け取り、自分をこの地の新たな領主と認めてもらったことで、ひとまずの安全は確保したものと考えていた。
しかし、隣領よりももっと遠くの領地へ侵攻することも、容易ではないが不可能ではない。ある程度まとまった兵力を率いての遠征を成す力があり、どうやら現当主の野心が強いらしいハウエルズ家のことは、ミカもアーネストから話を聞き、一応の仮想敵として考えていた。
とはいえ、念魔法使いであるミカが抑止力として存在する以上、そのハウエルズ家でも、大きな損害を被る覚悟で侵攻に踏み切る可能性は決して高くない。兵力であると同時に貴重な労働力である領内の成人男性や、もっと貴重な切り札――あの家が抱えているらしい肉体魔法使いを失う危険を冒してまで攻めてくることはおそらくないだろうと思っていた。
にもかかわらずハウエルズ家が攻めてくるのだとしたら、賭けとなることを承知で権勢拡大の機会を掴みたいと考えるほど彼の野心が強烈なのか。もしくはミカの魔法の力を大したことがないと考えているのか。
どちらにせよ、攻めてくるというのであれば対処しなければならない。
「ハウエルズ家が動く時期や、集める兵力については何か分かりますか?」
「ローレンツ様のご推測では、おそらく一週間以内にはヴァレンタイン領に到達するのではないかとのことです。兵力については、姻戚のピアース家とタウンゼント家から集まっているのがそれぞれ二十人ほどと見られることを考えると、ハウエルズ家の兵力も加われば総勢で百を超えるものと思われます。おそらく、ハウエルズ家の切り札の肉体魔法使いも出てくるのではないかと」
それを聞いたミカは、素早く思案を巡らせた後、微笑を浮かべる。
「分かりました。メルダース卿に、お知らせいただいたことへのお礼を伝えてください。おかげでこちらはいち早く侵攻の予兆を知り、備えを成す猶予を得られます」
「……確かにお伝えいたします。ヴァレンタイン領の皆さんに神の祝福があらんことを」
使者がそう言い残し、メルダース領へと帰還していくのを館の外まで見送った後、ミカは傍らのディミトリを振り返る。使者に見せていた穏やかな表情ではなく、引き締まった表情で。
「ディミトリ、マルセルにも知らせて、二人で全領民を広場に集合させて」
「了解です」
ディミトリも厳しい表情で頷き、足早にマルセルの家へと走っていった。