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第14話 恵まれた晩秋

 ミカの魔法で今年の耕作地全体が耕された後、十月の下旬から十一月にかけて、小麦やライ麦の種蒔きが行われた。

 これに関しては単純に人手の数がものを言う上に、領民たちにとっては慣れた作業。農耕の実作業の経験がないミカの出る幕はなく、マルセルの指揮のもとで何らの問題もなく完了した。


 秋蒔きの作業が終わった後は、また開拓作業を進めたり、冬越しの準備をしたりと、ミカも領民たちも忙しく働く日常を送る。

 森に豚を連れていってどんぐりを食わせる。子供たちも動員して薪を拾い集める。領民たちがそうした作業をこなす一方で、ミカは森の木々の伐採に臨む。枝を落とす作業や根を取り除く作業は冬越し準備を終えた領民たちに後ほど人海戦術で行ってもらうとして、今のうちに一本でも多くの木を切り倒し、切り株を掘り起こす。

 そうして皆で森に入って仕事をしていると、ときには獣や、さほど危険ではない魔物が現れることもある。そうなると、多くの者が作業の手を止め、そして――狩りが始まる。


「そっち行ったぞ! 逃がすな!」


 村の南に広がる森の中。領民の一人が走りながら声を張る。

 全力疾走する彼の先にいるのは、黒曜鹿と呼ばれる魔物。一般的な鹿よりも一回り大きく、黒々とした毛色を持つことで知られている。

 黒曜鹿は肉も美味だが、最大の価値があるのはその毛皮。艶のある真っ黒な毛皮は美しい上に極めて頑丈で、富裕層に人気のため、売れば金貨数枚は下らない。また、魔石も薬などの材料としてそれなりの価値がある。

 もし仕留めることができれば大きな成果。だからこそ、何人もの領民が集まって全力での狩りが行われる。

 軽快に森を駆けて逃げる黒曜鹿、その進路の右側前方に隠れていたジェレミーが飛び出す。


「ほら! こっちには逃げられないぞー!」


 ジェレミーの姿を見て、黒曜鹿は左方向に進路を変える。その先でさらに別の領民が木の陰から姿を現し、また黒曜鹿は逃げる。それがくり返され、数人がかりで黒曜鹿を追い詰める。

 何人もの人間に追いかけられる黒曜鹿は、包囲網の穴を見つけ出してそちらへ突き進む。しかしそれは、黒曜鹿を誘導するためにあえて残された逃げ道。その前方で――地面に転がっていた朽ち木が、突如として動く。


「そいっ!」


 ミカが魔法の光を放つ手を振ると、その動きに合わせて、朽ち木が勢いよく空中を飛ぶ。朽ち木の側面が黒曜鹿の胴に直撃し、数十キログラムはあろうかという朽ち木に殴られた黒曜鹿は昏倒して動かなくなる。


「やったー!」


 高価値の獲物を捕らえたことで、ミカは歓喜の声を上げながら立ち上がる。その傍らでは、ミカが仕留め損なって黒曜鹿がそのまま突進してきた場合に備え、いざとなったら身を盾にしようと構えていたディミトリが安堵の表情で肩の力を抜く。


「ミカ様すげえ! また一撃で仕留めちまった!」

「滅多に狩れない黒曜鹿を、こんなに簡単に……」


 ジェレミーをはじめ入植者たちが、口々にミカを称賛しながら集まる。


「これで黒曜鹿は二頭目か……さすがミカ様、今回も鮮やかな一撃でしたね」

「追い立て役の皆の活躍もあってこそだよ。それに、これだけ獣や魔物が豊富な森のおかげでもあるから……えへへ、これでまた結構なお金が稼げるし、肉の備蓄が増えるねぇ」


 朽ち木の一撃で気絶した黒曜鹿、その目から脳まで短剣を突き込んで止めを刺しながら、ディミトリが言った。ミカは満面の笑みで従者の言葉に答え、そして魔法で黒曜鹿の死体を持ち上げる。空中に浮いた黒曜鹿の足にディミトリが縄をかけて木に吊るし、毛皮の硬くない首元を切って血抜きをする。

 ミカがこの地の領主となり、開拓を始めてからもうすぐ四か月。この四か月の間に、ミカは貴重な黒曜鹿を一頭に加え、普通の鹿を二頭、猪を一匹、冬眠前に餌を求めて人里近くまで出てきたのであろう熊を一頭、そしてオオウサギと呼ばれる魔物を二匹、仕留めている。ディミトリも言った通り、黒曜鹿はこれで二頭目。


 鹿も猪も熊も、ただの獣とはいえ誰でも仕留められるものではない。特に熊は、むしろ人間が狩られる側となることも少なくない。そして黒曜鹿とオオウサギは、魔物の中では危険ではない部類だが、狩るのは普通の獣よりもさらに難しい。

 黒曜鹿は首元や腹を除く全身の毛皮が異様に頑丈で、その内側には分厚く弾力のある脂肪の層を持ち、さらには骨まで丈夫なため、攻撃がとても効きづらい。剣の刃や矢の一撃さえも跳ね返すことがある。それでいて非常に素早いので、弱点を狙って攻撃するのも至難の業。また、追い詰められると突進してくるが、普通の鹿よりも一回り大きい体躯からくり出される突進は、人間にとってはなかなか危険な攻撃。

 オオウサギはその名の通り大きな兎で、成獣は大型犬ほどにもなる。積極的に人を襲うことはないが、攻撃すると狂暴になって反撃してくる上に、その体躯からくり出される蹴りの一撃はまともに食らえば大怪我必至。なのでそう簡単に狩ることはできず、肉を求めて挑みかかった者が、首や背骨を折られたり内臓を破裂させられたりして殺されることもある。


 しかし、そんな魔物たちも、ミカの念魔法にかかれば仕留めるのもそう難しくはない。如何に頑強な黒曜鹿も重量の乗った一撃を受ければその衝撃に昏倒し、オオウサギも森に転がっている丸太や朽ち木がいきなり動いて襲ってきたとなれば、避ける暇も反撃の機会もなく倒れる。

 簡単には狩れない獣たちも、それ以上の難敵である魔物たちも、ミカは発見の報告を受ける度に仕留めている。その結果、ヴァレンタイン領にはこの冬に潰される予定の豚の他にも、大量の肉が備蓄されており、開拓最初期から村に暮らすヘルガやイヴァン曰く「この村始まって以来いちばん食料に恵まれた冬」を迎えようとしている。


「……悪いけど、村の糧になってもらうねぇ」


 逆さ吊りになって首から血をしたたらせる黒曜鹿、その光を失った瞳に向かって、ミカは呟くように語りかける。

 魔法を使って奇襲を仕掛けるミカは、獣や魔物からすれば、理不尽な死をもたらす反則のような敵のはず。こうして光のない瞳と向き合うだけならばまだいいが、生きている獲物と目が合うのはなかなかに辛かった。最初の狩りの際、石を投げつけて瀕死に追いやった鹿の、死への恐怖に染まったつぶらな瞳を直視してしまったときの衝撃は未だに忘れられない。

 とはいえ、こちらも弱肉強食の厳しい世界を必死に生き抜いているのは同じ。百人の領民と共に確実に冬を越すため、少しでも多くの食料を得たいミカとしては、武器として魔法を振るうことをためらってはいられない。


・・・・・・


 村に持ち帰られた黒曜鹿は、動物の解体に慣れた何人かの領民の手で、あっという間に毛皮と肉と魔石と骨に分けられた。肉は小さく切り分けられて塩漬けにされ、毛皮は肉や脂肪をきれいに削ぎ落された上で、森で採集できる魔法植物の汁を使って防腐処理が施された。

 その数日後、行商人のアーネストが来訪。彼の以前の来訪時にミカが預けておいた残りの戦利品を売却した代金と、早くも完成したミカ専用の斧とシャベルを届けに来てくれた彼を、ミカは歓迎して館の大部屋に通す。


「いやあ、まさか黒曜鹿の毛皮と魔石を二頭分もお売りいただけるとは……恵まれた取引を立て続けにさせていただけて、私は幸運な行商人です」


 新たに高価値の商品を提示されたアーネストは、喜びを隠すことなく笑顔で言った。黒曜鹿の毛皮と魔石が二つずつとなれば、金貨七枚は下らない。ミカは自身の取り分を金貨五枚としたので、アーネストはこれを売るだけで金貨二、三枚の利益を上げることができる。


「喜んでもらえて何よりですよ。僕としても、信頼のおける商人と取引できる幸運をありがたく思っています。以前よりも頻繁に来てもらえることも、とても助かっています」

「まだ若く零細の行商人である私は、他領に出向いてもそれほど歓迎されませんし、大きな取引のお話もいただけないもので……ヴァレンタイン閣下から重用していただけることは本当にありがたく思っており、なのでできるだけ小まめに御用聞きに伺うよう努めております。このままご期待にお応えしていき、ヴァレンタイン閣下のもとで商人として大成できればと思います」

「あはは、ぜひ今後も仲良くして、共栄を成していきましょう」


 かつては二か月に一度ほどこの村に来ていたというアーネストは、ミカと知り合ってからは月に一度以上も来訪している。

 この村を訪れる行商人は他にも何人かいるが、頻繁に足を運んで細やかにミカの頼みを聞いてくれるアーネストが最大の信頼を得るのは当然のこと。ヴァレンタイン家との重要な取引はアーネストの独占状態で、今や彼はすっかりミカの御用商人となっている。

 アーネストから見れば、ミカは儲けの大きな仕事を次々に与えてくれる最重要の顧客。彼としては、今までは商売相手に苦労する貧乏商人だったのがこの数か月だけで思わぬ利益を手にし、この先さらに多くの利益を得られそうで、笑いが止まらない状況のはず。「ヴァレンタイン閣下のもとで商人として大成」という今の発言からも分かるが、彼はミカとの伝手に、自身が商人として出世する大きな可能性を見出だしている様子。


 マルセルの勧めを信じてアーネストを頼ったことは大正解だったと、ミカは思っている。アーネストは若いが有能な商人。預けた戦利品をしっかりと現金化してミカに約束通りの金額を渡してくれた。注文した犂を迅速に届け、今日は斧とシャベルもミカの予想より早く持ってきてくれた。しかも、どちらもミカの予想通りかそれより安い金額で用意してくれた。エルトポリの大商会や職人たちを相手にしても、しっかりと取引ができることの証左と言える。

 この調子で互いに利益を上げながら、自分は領主として、彼は商人として、より成功していきたい。いずれヴァレンタイン領が大きな発展を遂げた暁には、この地で彼に店を構えてもらい、領主家とその御用商会として共存共栄を成していきたい。それがミカの考えだった。


「さて、今回もいくつか注文したい品があるのですが、聞いてもらえますか?」

「もちろんです。喜んでお伺いします」


 笑顔で頷くアーネストに、ミカは注文を語る。

 予想以上に肉が手に入ったので、このままでは干し肉を作るための塩が足りない。斧とシャベルが届いたので、来年からの農業改革に必要な品も新たに製造を依頼したい。

 領民たちを生かし、領内社会をさらに発展させるため、手に入れるべきものは多い。手に入れるためにこそ、信用できる商人の存在はこれからも大切にしたい。

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