第13話 良き隣人②
ミカがこの村の領主となった経緯は、かなり特殊なもの。近隣の領主がどのような反応をしてくるか分からず、最悪の場合、ミカの魔法の力を侮っていきなり攻撃してくることもあり得る。
なので、この地域の領主社会における自身の立場が安定するまでは、領地を離れることは控えようとミカは考えていた。個人的には新参の領主として隣領へ挨拶に行きたいと思いつつ、留守の隙を突かれてはたまらないと考え、書簡を送るに留めていた。領地がまだ不安定であるが故、自領を留守にできないことを詫びる旨も書簡には記していた。
噂や書簡からはまともな頭を持っていそうに見える新領主が、実際はどのような人物か。特に隣領の領主たちはいずれ直接確かめようとするだろうとミカが考えていると、果たして最初に接触してきたのは東のピエール・フォンタニエだった。彼との初めての顔合わせは、成功と言える結果に終わった。
他の隣領の領主たちも近いうちに接触してくるだろうと思っていたところ、予想通り、ピエールが来訪した数日後に今度は西のコレット領の領主が来訪した。
「いやあ、遠くの領主家の血筋だと称する野良の魔法使いなど、一体どんな厄介なならず者かと思っていたが……挨拶や言葉遣いからして、確かにまともな教養のある人間の振る舞いだ。卿が領主家の生まれというのはどうやら本当のようだなぁ。いやあ失礼失礼」
コレット家当主ダグラス・コレットは、恰幅の良い身体を椅子の背にもたれさせながら、体格と同じくらい大きな態度で答える。家具作りが趣味だった前領主の手作りの椅子が、ぎしりと音を立てる。
言動からして、彼は分かりやすく血統を重んじる保守的な人物――領主家の血筋を重要視し、民を軽んじる人物であるようだった。領主層は尊い人間で、家臣はそれに次ぐ立場、そして一般の領民は卑しい連中。どうやらそのような価値観を持っているらしいのが、言葉の端々から伝わってくる。
そして彼は、おそらくは悪気なく、がさつな気質であるらしかった。
「私の出自を信じていただけて幸いです。生家では末子でしたが、一通りの教養は身に着け、少なくとも愚か者ではないつもりです。領主としてコレット卿の隣人になったとしても、ご迷惑をおかけすることはないかと思います」
「ああ、ぜひともそうであってくれ。儂としても、我が領に迷惑がかからんのであれば、隣領の領主が臆病者のドンダンド家であろうと、生家の名前も語らない流れ者であろうと構わんさ……一応忠告しておくが、妙な考えを起こして我が領に攻め込んだりはしてくれるなよ? コレット家には親類が多い。下手なことをすれば儂の姻戚たちが黙っていないからな?」
コレット領の人口はおよそ二百人と、ヴァレンタイン領の二倍とはいえ弱小領地の部類。にもかかわらず、ダグラスが魔法使いのミカにこれほど強気の態度を示してくるのは、他の領主家との姻戚関係を抑止力として頼ることができるためか。
実際、彼と先代領主である母親は兄弟が多いそうで、主に西や南の方面に五家以上の姻戚があると、ミカはアーネストやマルセルから聞いている。そのうち一家は小都市を領有しており、兵を徴集して傭兵も雇えば、それなりの兵力を集められるはず。ミカも敵対したくはない。
とはいえ、ダグラスからすればここは初対面の領主が治める他領で、おまけにその領主は、その気になれば重量物を振り回して周囲を蹂躙できる念魔法使い。このような場でこれほどふんぞり返って尊大な話し方ができる彼は、ある意味で大物かもしれないとミカは考える。
「いえいえ! まさかそんな! 私は縁あってここの領主になった身として、領地の平和と発展、そして民の幸福をただ願っています。私の魔法も、その願いを叶えるために神より与えられたものです。隣領に攻め込むことなど毛頭あり得ません。なのでどうかご安心を」
「はははっ! 民の幸福か。所詮は領主家の財産に過ぎない領民を相手に、随分と優しいことだ……ともかく厄介な隣人にならないのであればそれでいい。せいぜい今後ともよろしく頼むぞ、ヴァレンタイン卿」
野太い声で言いながら手を出し出してきたダグラスに、ミカは笑顔で応える。彼の言葉には共感しかねると思いながら、そんな内心はおくびにも出さない。
「ええ、どうかよろしくお願いいたします、コレット卿……ああ、ところでひとつ、お渡ししたいものが」
ピエールのときと同じ要領でミカが土産の蒸留酒を渡すと、酒好きだったらしいダグラスは分かりやすく大喜びし、上機嫌で自領へ帰っていった。
・・・・・・
さらに後日。最後の隣領、北のメルダース領の領主がわざわざ丘陵を越えて訪ねてきた。
「いやあ、凄い凄い! 本当に凄い魔法だ!」
「あははっ、ご好評で何よりです。ちなみに、こんな動かし方もできますよ!」
「おおーっ! これはまた、ますます凄いぞ! まさに自由自在だなぁ!」
大部屋での会談中、メルダース家当主ローレンツ・メルダースは、空中に浮かび上がって回転する椅子を見上げながら手を叩いてはしゃぐ。
齢は三十歳前後。淡い金髪をやや長く伸ばした美男子である彼は、とても明るく人好きのする気質の人物だった。ミカと顔を合わせた最初から極めて友好的で、ミカが隣領の領主となったことを歓迎してくれた。
「これほど凄い力を持っていて、高価な土産までくれて、おまけにこれほど明るく楽しい人物が南隣の領主となったこと、誠に喜ばしい! 領主としてはもちろん、できれば友人としてもこれから仲良くしてもらいたいなぁ!」
「そう仰っていただけて、僕としても幸いです。どうぞよろしくお願いいたします!」
そう語り合いながら、ローレンツとミカはがっちりと握手を交わす。
「父の代から交流のあったドンダンド家が去ったことは残念に思うが、別れもあれば出会いもあるのが世の中だ。素晴らしい出会いに恵まれた今日は、本当に素晴らしい日だ!」
高らかに語りながら、ローレンツは北へ帰っていった。
「……俺に心配される筋合いはないでしょうが、あんなお人好しで、上手く領主をやっていけるんですかね?」
「あはは、確かにすごく親しみやすい人だったけど、きっとあの人はあれでけっこう強かな領主だと思うよ?」
供の者たちを連れて帰っていくローレンツの背を見送りながら、ディミトリが怪訝な表情で疑問を口にした。それに、ミカは苦笑交じりに答える。
「ほら、彼はフォンタニエ卿やコレット卿よりも少し時期を空けて訪ねてきたでしょう? 隣領の中でメルダース領が地理的にいちばん行き来しづらいこともあるけど、多分、僕が隣領の領主たちにどんな応対をしたのか情報を集めて、僕が危険な人間じゃないって確定してから来訪したんだと思うよ。メルダース領は丘陵北側の街道沿いにあって、行商人の通行も多い。あの人柄なら、商人たちから情報をもらうのにも苦労しないだろうね……僕がこの地の領主になったことをあんなに歓迎してくれたのも、隣人になった魔法使いが危険人物じゃなくて、いざというときは有用な味方になりそうな人間だって分かったからだと思う」
丘陵北側は、南側のこちらと比べて人口が多く、領地の数も多い。人口四百人ほどで、まだまだ小領地の部類であるメルダース領が安寧を保つのは楽ではないはず。そこで若くして家督を継いでいるローレンツ・メルダースは、人好きのする性格であることは事実だろうが、単にそれだけの人物ではおそらくない。
「冷静な常識人に、思うが儘に振る舞う度胸者、そして強かな好人物……それぞれ気質が全然違ってて、面白いお隣さんたちだねぇ」
そう言って、ミカは楽しげに笑った。
今のミカからすれば、自分がこの地の領主となったことを認めてくれるだけで隣領の領主の態度としては十分。ピエールもダグラスもローレンツも、ミカを成り上がり者と侮って無闇に敵対してこないのであれば、良き隣人と言える。




