第12話 良き隣人①
それから一か月ほどをかけて、ミカは今年の耕作地を耕す作業に明け暮れた。
交代で補佐に入る領民たちと共に、ミカは犂を走らせて農地を掘り返す作業に明け暮れる。自身の魔力量や、犂を牽くことのできる速さを鑑みて、一日のノルマとして己に課した面積を淡々と耕していく。
その他の領民たちは、ミカが耕しきれない耕作地を手作業で耕したり、森を切り開いて作られた平地をさらに整地したり、麦畑とは別で作られている野菜畑の手入れをしたりと、それぞれ忙しく仕事に取り組む。
そうして皆で平穏に暮らしているうちに、季節が秋へと移ったある日。ヴァレンタイン領を客人が――東隣を治めるフォンタニエ領の領主が訪れた。
ミカがこの地の領主になってから二か月以上が経ち、アーネストや彼の依頼を受けたエルトポリの大商会、工房の職人などから、ミカの存在について既に噂が広まっている頃合い。逃亡したドンダンド家に代わってこの村の新領主となったミカについて、東西と北の隣領を治める領主たちが人となりを探っていたことは想像に難くない。
そんな彼らの情報収集を助けるように、ミカは彼らに書簡を送っていた。ヴァレンタイン領の東西を行き来するアーネストに頼み、あるいはマルセルに北の丘陵の向こう側までお使いを頼み、挨拶の書簡を届けてもらった。書簡には自身が領主となった経緯と、今後も友好的に接していきたい旨を記した。
ミカがいきなり襲いかかってくるような危険な成り上がり者ではなく、地道に領地運営に臨んで挨拶の書簡なども送ってくる、会話の成り立つ人間だと分かった今、隣領の領主たちが直接の接触を試みてくるのも理解できる話だった。
「私がこの地の新たな領主、ヴァレンタイン家当主ミカ・ヴァレンタインと申します。この度のフォンタニエ卿のご来訪、心より歓迎いたします」
「……フォンタニエ家当主、ピエール・フォンタニエだ。歓迎に感謝する」
領主館の大部屋。テーブルを挟んで向かい合いながらミカが笑顔で言うと、客人――ピエールは答える。その顔に笑みはなく、おそらくは予想外に幼い印象の小柄な青年が領主を名乗りながら対峙してきたことに、少し困惑しているものと思われた。
ピエールの齢は四十前後といったところ。佇まいは落ち着いているが、表情にはやや神経質そうな雰囲気がある。中肉中背で見た目の特徴はあまりないが、五百人の領民を抱える領主だと言われれば、相応の存在感があるように見える。
お互いの後ろには、一人ずつ護衛が立っている。ピエールの護衛は装備が整っていて、いかにも領主家に仕える従士といった佇まいだが、顔や体格の迫力ではミカの後ろに立つディミトリの方が勝っている。ミカは単純な見た目では迫力がない分、こういう場面では筋骨隆々の大男であるディミトリの威圧感が頼もしい。
ピエールは他にも十人近い供の者を連れて来訪しており、彼らは現在、館の外で主人の会談が終わるのを待っている。
「当家に宛てた書簡は読ませてもらった。隣領の領主同士、二代にわたって友好的な関係を築いていたドンダンド家が逃げ去ったというのは残念なことだが……臆病な領主が去り、強き領主を迎えたということであれば、この村の民は幸運だな」
「私のような得体の知れない人間からの書簡、お読みくださりありがとうございました。まさしく仰る通り、此度の一連の出来事、領民たちにとっても私にとっても結果的には幸運でした」
答えながら、彼は一応こちらを新たな隣人として認めてくれるようだとミカは考える。
彼が元はこの村をどうするつもりだったのかは分からないが、仮に占領するなり掠奪するなり物騒なことを考えていたとしても、単独で何十人を殺せる魔法使いが反撃してくるとなれば、小村を襲って得られる利益と魔法使いを相手に戦って被り得る損害が釣り合わないと考えるはず。こちらから下手に敵対しない限りは、ひとまず安心か。
「卿の出身は遠い地の領主家という話だったが、それも納得の言葉使いだな。その様子であれば、卿は問題なくこの地を治めていけるのだろう……隣領の領主が誰であろうと、当家が望むのはひとつ。友好関係だ。この地の前領主家ともそうであったように、願わくば隣人として穏やかに関わっていきたい。今回はそれを伝えにきた」
「こちらとしても同感です。私が求めるのは偏に、我が領の平和と発展、領民たちの幸福です。どうか今後とも、共存共栄のために何卒よろしくお願いいたします」
ミカはそう言って手を差し出す。ピエールは少し間を置いて、握手に応えてくれた。
「ああ、それとひとつ、お渡ししたいものが」
そう言って、ミカは部屋の一角に置かれた棚を振り返り、そちらへ左手を向ける。その手に光が宿り、棚に置かれていた陶器製の瓶が宙に浮くと、ミカの方へ漂ってくる。ピエールや彼の護衛を刺激しないよう、ミカは努めてゆっくりと瓶を操る。
「……それが卿の魔法か。念魔法を見るのは初めてだが、何とも凄いものだ。この要領で丸太を振り回すのか?」
「はい。私としてはなるべく領地の平穏な発展のために魔法を使いたいと思っていますが、外敵から領地と領民を守る必要に迫られれば、そのような使い方をするときもあります……これはエルトポリから取り寄せた蒸留酒です。よければお土産としてお持ちください。我が領の何倍も栄えている領地をお持ちのフォンタニエ卿にとっては、もしかすると飲み飽きたものかもしれませんが……」
言いながら瓶を手に取ったミカは、それをそのままピエールに差し出した。
贈り物は友好関係の基本。こうして高価な品を差し出しておけば、言葉だけで語るよりも、仲良くするつもりがあると信じてもらいやすい。さらに言えば、周辺の領地を無闇に襲うほど金に困ってはいないと示すこともできる。
「いや、当家も領地規模に相応の出費がある故、そう余裕があるわけではない。蒸留酒は私にとっても気軽には飲めない品だ。本当にこんな高価なものを受け取っていいのか?」
「はい。本来は新参者の私の方から直接ご挨拶に伺うべきところ、領主として先達であるフォンタニエ卿にご足労いただいたので。そのお礼と、せめてもの敬意の証として何卒」
「……そうか、ではありがたく」
ピエールはそう言って、瓶を受け取った。
それから少し雑談を交わした後、ピエールと配下たちは館を辞し、自領へ帰っていく。最後まで両者とも穏便な態度を保ったまま、ミカの初外交は終わった。
「すぐに帰っちまいましたね」
「そうだねぇ。まあ、向こうとしては本当に挨拶を兼ねた様子見のためだけに来たんだろうねぇ」
ピエールの一行の後ろ姿を見送りながらディミトリが呟き、ミカが答える。
「十人も手下を連れて、もしかしたら襲いかかってくるのかと思いましたけど、何もしてきませんでしたね」
「あはは、多分、今頃は向こうも同じようなことを話してると思うよ。僕が本当に危ない奴だったら今頃フォンタニエ卿は死んでたかもしれないから、ここへ来るのはけっこう怖かったんじゃないかな……あの十人の護衛も、どちらかといえば僕がいきなり襲いかかってきたときの時間稼ぎ要員だったんだと思うよ」
この村が領主不在であれば周辺の領主家にとっては脆弱な獲物だが、一人で丸太を振り回して大立ち回りできる魔法使いが領主の座についたとなれば話は変わる。少なくとも隣領の小領主たちから見れば、ヴァレンタイン領は容易に手出しできない防衛力を持っている。
だからこそピエールも、ミカが本当に友好的な相手か見定めにきたものと思われる。それとてなかなか勇気の要ることだったはず。ミカが実は凶暴な本性を隠し持っていて、彼らが館に到着した途端に襲いかかるような人間であれば、十人の護衛でもピエールの逃げる時間を稼げたかは分からない。屋内での会談中に至っては、外へ脱出するどころか立ち上がる間もなく家具で殴り殺される可能性もあった。
それでも自らミカの顔を見に来るあたり、彼はなかなか勇気がある。あるいは、自分は得体の知れない新参者を相手に怖気づいていないと示す意地が。
「これでお互いに得体が知れたし、フォンタニエ卿は理屈の通じる人みたいだったし、とりあえず東のご近所付き合いは上手くやっていけそうだね……多分、この調子で残る二家の隣人も接触してくるんじゃないかな」
ピエールたちの姿が遠くなったところで館へ戻りながら、ミカは呟くように言った。




