第106話 準備と計画
空気が夏らしくなった六月。ダリアンデル地方は収穫期を迎えていた。ユーティライネン家の計らいで多くの農耕馬を優先的に購入することが叶い、今や馬による耕起作業が一般的となって久しいヴァレンタイン領の農地は、犂やクローバーの効果もあって豊富な収穫を得ていた。
「収穫作業は順調に進んでいます。今月中には収穫を終え、来月の半ばまでには脱穀作業まで完了するでしょう」
「そっか、ご苦労さま……毎年こうして収穫期になる度に、マルセルの凄さを実感するよ。僕が実作業から離れても、こうして何事もなく農業が回ってるのは君の力あってこそだ」
村の周辺に広がる農地で収穫作業が賑やかに行われる様を見渡しながら、ミカはマルセルに言った。主人の称賛に、マルセルは少し照れたように笑う。
「恐縮です。私はヨエルさんと違って元はただの農民で、ディミトリさんのように強いわけでもないので……他にこうしてお力になれる分野があって幸いと思っています」
「戦時と平時、それぞれを支える家臣がいないと領内社会は回らないからね。君も武門の皆と同じく、ヴァレンタイン領を守る重要な存在だよ」
戦時にヴァレンタイン領が最大限の力を発揮できるとすれば、それは平時を支えるマルセルのような優秀な官僚がいるからこそ。ミカは彼に今以上の自信と誇りを持ってもらえるよう語り、以降の監督作業を任せて農地を後にする。
護衛役のディミトリを伴いながら村の中に戻り、次に足を運んだのは、旧領主館だった。
「ジェレミー、調子はどうかな?」
屋内に入ったミカが声をかけると、こちらを振り返ったジェレミーが人懐こい笑顔を見せる。
「ミカ様! ばっちり順調っすよ! 従業員たちもよく働いてくれてますし、俺も宿屋の管理にすっかり慣れましたから」
かつてはヴァレンタイン家の居所だった旧領主館は、現在は村で唯一の宿屋となっている。居間として使われていた大部屋はいくつものテーブルと椅子が並んで食堂や酒場のような場となり、二階の各部屋が宿泊客の寝室として使われている。
西のコレット砦が完成し、北のメルダース領と繋がる道も通ったことで、ヴァレンタイン領には人の往来が随分と増えた。この村で一晩を過ごす来訪者たちのためにミカが整備したのが、旧領主館を流用したこの宿屋だった。
領主家の直営である宿屋の管理責任者に任命されたのは、人当たりが良く、お調子者なようで意外と頭の回転が速い家臣ジェレミー。彼が宿屋の運営全体を管理し、彼の下で掃除や料理、馬の世話などを担う従業員が数人、領民の中から雇われて働いている。
「それはよかった。さすがは優秀なジェレミーだよ」
「へへへっ、頼りにしてもらえて何よりです」
話しながら、ミカはジェレミーに歩み寄ると、再び口を開く。
「引き続き、ここの管理と合わせて監視の方も頼むよ」
「任せてください。そっちも抜かりないっす。宿泊者にはできるだけ話しかけるようにしてますけど、今のところ不審な動きをしてる奴はいません」
食堂では昼食をとりながら賑やかに語らっている宿泊者が何人かいるので、その者たちに声が聞こえないよう、二人は声を潜めて話す。
この村に泊まる者の中に、ヴァレンタイン家の砂糖製造の秘密を探ろうとしているユーティライネン家やメルダース家の手の者がいないとも限らない。また、アルデンブルク王家の間諜などが、コレット砦を後方から支えるこの村の防衛体制などを調べている可能性もある。
そのため、ミカはジェレミーに、不審な者がいないかを監視する役割も任せている。宿屋の気さくな管理人として、宿泊者たちに話しかけてもまったく不審がられない彼は、このような役回りに誰よりも適任だった。
ジェレミーの下で働く従業員たちにも激励の言葉をかけ、宿屋の視察を終えたミカは、ディミトリを連れて村の北にあるヴァレンタイン城へと帰る。城門の直上にある物見台では家臣ルイスが見張りを務めており、一礼する彼に頷きながら、ミカは門を潜る。
城門の正面奥側に主館が、左右に倉庫や厩舎などが並ぶ城の敷地内。前庭にあたる開けた場所では、側近の一人であるヨエルが、若い新参家臣たち三人に戦闘訓練を施していた。
「そこで怖気づいて腰を引くな! 逆に敵に対して踏み込め! 槍の間合いの長さを信じろ! いざ戦いになれば、お前たちがこうやって民兵たちを鼓舞しなければならないんだぞ!」
訓練用の木槍を持った三人の若い家臣たちを、自身も木槍を持って圧倒しながら指導していたヨエルは、主人の帰還を認めて訓練の手を止めると、ミカの方を向いて軽く頭を下げる。若い家臣たちもそれに倣う。
「ミカ様、お帰りなさいませ」
「ただいま。ヨエルも皆もご苦労さま。訓練に戻ってくれて構わないよ」
ミカは笑みを浮かべ、軽く手を掲げながらヨエルたちに答える。彼らは再び一礼すると、戦闘訓練を再開する。
今年の初めにこの三人が任命されたことで、ヴァレンタイン家に仕える家臣はついに十人を超えた。領地人口も、今年のうちには四百人を超える見込み。ヴァレンタイン領の規模拡大は、予想していた中でも最良と言えるペースで進んでいる。
こうして順調に領地が発展していることが、未来に向けた十分な備えとなっていることを願いながら、ミカは領主として日々励んでいる。
・・・・・・
晩夏。ミカはサンドラ・ユーティライネンよりエルトポリ城に呼ばれた。
今回はアイラと子供たちも伴って赴き、到着した夜はいつものように歓待を受け、翌日。例のごとく城の応接室に入ったミカとサンドラは、領主として仕事の話に臨む。
「純粋派ノーザーランド人を討伐するため、各地の勢力と連携して行動を起こすことになった。次の冬が明けた後、連合軍を結成して純粋派に攻勢を仕掛ける」
「……ついにこの時が来ましたか」
サンドラの言葉を受け、ミカは驚くことはせず、表情を引き締める。
ダリアンデル地方南西部を西岸からじわじわと征服している純粋派ノーザーランド人の集団、その勢いは止まる様子がない。この純粋派の動きに対抗するため、西のアルデンブルク王国と協力するという話は以前に聞いていた。
その話の規模がより大きくなり、他の地域のダリアンデル人勢力とも協働してより積極的に純粋派の排除に動くことになる可能性も相当程度あると、ミカは個人的に考えていた。その予想は見事に当たったことになる。
「南西部の領主たちも懸命な抵抗を試みているようだが、この南東部ほど大きな枠組みでまとまっていない以上、やはり弱い。北西部に入植した穏健派ノーザーランド人たちは、最近では純粋派と境界線争いをくり広げ、武力衝突にまで及んでいるようだが、純粋派の北進を防ぐ以上の行動は見せてくれない。そして海の向こうからは、残る純粋派の連中が続々と到来している……この状況が続けば、純粋派の連中は数年以内にダリアンデル地方南西部を征服しきるだろう」
サンドラの語る予想に、ミカも頷いて同意を示す。
「その後は南端地域の大領地群か、我々の暮らす南東部にまで浸食してくる。連中の支配域がさらに広がり、数がさらに増した状態で襲ってくる事態を未然に防ぐために、今のうちに行動を起こすべきだ。ノイシュレン王家と各侯家でそのように意見が一致し、アルデンブルク王国も同じ見解を示している。というより、アルデンブルク王国が南西部領主の生き残りたちと話をつけた上で行動を起こすことを持ちかけてきて、我々がそれに同意した。今年の夏の間に、この国の南の同盟勢力と南端地域の大領主たち、さらには北東部の主要勢力にも共闘を呼びかけ、一応の同意を得られている」
「……南東部の全勢力に加えて、南端地域と北東部と南西部残存勢力が集結しての連合軍ですか。すごい規模になりますねぇ」
ミカは感嘆の息を吐いて言う。ダリアンデル人がこれほど大規模な共闘を為すというのは、歴史上極めて稀なことだった。
「まさしく。今より五百年以上も前、古の帝国の征服に対抗したとき以来の大きな動きと言えるだろう……とはいえ、実際の軍勢がどの程度集まるかは未知数だ。南端地域の大領地群は勢力争いの渦中にあり、北東部に関しても、徐々に大領主家の勢力図が固まりつつあるとはいえ、まだまだ動乱が収まる気配はない。果たしてどれほどの兵力を送ってくるかは分からない。今から来春にかけての、我々の外交努力次第だろうな」
なかなかに厳しい現実を語ったサンドラは、一息つくようにお茶に口をつけ、ミカに視線を向けながら再び口を開く。
「この前提の上で、ヴァレンタイン家には大きな貢献を期待している。ノイシュレン王国から南西部へと軍勢を送る上で、ヴァレンタイン領はメルダース領などと並んで物資輸送の主要な中継点のひとつとなるだろう。貴家の治める村にできるだけ迷惑がかからないようにするが、同時に貴家には様々な面で協力を期待したい」
「もちろんです。うちの村は人の往来も増えて、徐々に宿場としての機能を備えるようになっていますので、必要な対応ができるはずです」
ミカはにこやかに頷きながら、内心では物資輸送に対応するための計画を思案する。宿屋に加えて野営用の土地を確保し、食料提供の態勢を整え、余所者が今まで以上に大勢泊まるとなれば治安維持にも力を入れる必要がある。何かと必要な準備は多い。
「頼もしい言葉だ。また、当然ながら実戦力の提供の面でも活躍を頼みたい。極めて優秀な念魔法使いである卿は、まさに百人力の戦力だ……大軍が組織されるとなれば、それだけ集まる魔法使いも多くなる。おそらくだが、卿には他の魔法使いたちと共に、少数で強力に戦う部隊として動いてもらうことになるだろう。決戦の重要な局面で攻撃的に立ち回ってもらうか、あるいは主力を援護するために防御的な戦いを為してもらうかは未定だが」
「承知しました。領地を守るために戦う準備は常にできていますので、与えられた役割をしっかりと果たせるよう頑張ります。冬が明けてすぐにでも動けるよう、準備をしておきますね」
個人としては破格の力を持つ魔法使いは、そのために敵から狙われることも多く、大規模な戦闘になるほど使い方が難しくなると言われている。おそらく千単位の軍勢がぶつかる戦いが起こるとなれば、広大な戦場で下手に分散して動かすよりも、一まとめにした上で、ミカの前世で言うところの特殊部隊や機動部隊のような運用をするのは理にかなっている。
ミカ個人としても、他の魔法使いたちと行動を共にすることで身の安全を得つつ、貴重な戦力として大切に運用されるのは望ましいこと。その方が死傷する確率はぐっと下がる。
「話が早くて助かる。詳細が固まり次第、貴家にも情報を共有するようにしよう……これほど大規模な軍事行動は、我がユーティライネン家にとっても前例のないこと。大昔の軍学書などを見れば知識は得られるが、実践するとなれば手探りの部分も出てくるだろう。貴家にも苦労をかける場面が出るかもしれないが、どうかよろしく頼む。我々の栄えある未来のために」
「できる限りの助力をさせていただきます。私たち皆が安寧を保つために」
真摯な表情で語るサンドラにミカは頷き、彼女と握手を交わした。




