第105話 完成
聖暦一〇四八年の晩秋。ノイシュレン王国領土の西端の一角、旧コレット領に位置するコレット砦が完成した。
「頼もしい仕上がりですねぇ。国境地帯に領地を持つ身としては、近くにこれだけ堅牢な防衛拠点があると思うと安心感も高まります」
「ユーティライネン家としても、これで一安心だ。この砦が西を睨めば、外敵がノイシュレン王国に攻め入ることはそうそうかなうまい……とはいえ、建造を始めた当初とは想定する敵が変わりつつあるがな」
サンドラ・ユーティライネンと共に砦の仕上がりを確認しに訪れたミカは、安定感のある土塁と木柵、石造りの門といくつもの物見塔から成る砦を内部から見回し、そう言葉を交わした。
「となると……やっぱり、西の純粋派ノーザーランド人との戦いを見越して、アルデンブルク家とは共闘を?」
「ああ。ディートリヒ・アルデンブルク国王とはそのような方針で同意している。ノイシュレン王や侯たちと話し合い、純粋派に対抗するためにアルデンブルク王国と連携することも可能性のひとつとして考えていたところ、向こうが先に申し出てきた。アルデンブルク王はどうやら、こちらよりも事態を深刻に捉えているらしい」
以前アーネストから聞いた噂を思い出しながらミカが尋ねると、サンドラは首肯する。
「まあ、国の位置を考えても、アルデンブルク王国にとっては笑えない問題でしょうからねぇ」
「こちらとしては、何とも複雑な状況だな。西の仮想敵を警戒する必要性が薄れ、その代わりにさらに西に、さらに厄介そうな敵が現れたのだから」
ミカの言葉に、サンドラはそう答えて小さく嘆息した。
西から流れてくる情報では、純粋派ノーザーランド人の支配域は着実に広がっているそうで、ノーザーランドから流入する人数も増え続け、既に数万人規模に達しているのではないかと言われている。
さらに厄介なことに、彼らは人口規模に比して成人の数が多い。どうやら故郷ノーザーランドの土地不足のために、自作農になり損なって社会からあぶれた次子以下の者たちが救いを求めて純粋派に与しているようで、結果として純粋派は、人口に対して動員できる戦力が大きい様子。
この強大な敵に対して、もちろん南西部のダリアンデル人領主たちも懸命に対抗しているようだが、防衛戦が順調だという話は聞こえていない。元より各々の独立心が強い領主たちは、集結して軍事行動に移るのが遅いために敵に先手を取られたり、誰が指揮官になるかで大領主たちが揉めたり、未だ最前線にまではなっていない領地の領主たちが戦力を出し惜しみしたりと、連携して戦うことに難儀しているという。
一方で純粋派ノーザーランド人たちは、追い詰められて故郷を捨てた身である上に同じ思想で結ばれているためか、結束力が高く、結果として恐ろしく強いという。
そのため、ダリアンデル人は局地戦で善戦する例は少数あれど、全体的には敗け続きの状況と言われている。
この状況では、ダリアンデル地方南東部に生きる身としても懸念を抱かざるを得ない。より南西部に近いアルデンブルク王国が、ノイシュレン王国よりもさらに強い危機感を覚えているのは想像に難くない。
「幸い我々は、南西部と比べれば相当にましな状況だ。アルデンブルク王国が純粋派ノーザーランド人の攻撃を受け、その混乱が東まで押し寄せてきたとしても、アルデンブルク王国が滅び去って純粋派ノーザーランド人がさらに東進してきたとしても、我々はこの砦をはじめとした防衛拠点を活かし、国という大きな枠組みの下で速やかに兵力を結集させて戦うことができる。少なくともその仕組みは整っている……とはいえ、これらが期待通り機能するか試す事態は極力避けたいが」
「そうですね。いざというときの備えは、いざというときが来ずに備えのままであり続けるのがいちばんです」
ミカは微苦笑を作り、砦の堅牢な門を見上げた。
・・・・・・
年が明け、聖暦一〇四九年の春。西の砦に続いて、ヴァレンタイン領と北のメルダース領を繋ぐ街道が完成した。
雑草や石を取り除き、馬車が通れる程度の幅で土を均して踏み固めた街道を作る作業は、平地の部分に関してはさほど難しくなかった。時間を要したのは主に丘陵の部分で、できるだけ一定の緩やかな傾斜を作るために地面を削ったり、逆に盛ったりと、重労働を伴った。
そうした作業に際しては、例のごとくミカの念魔法と、家臣ヨエルの土魔法が大いに役立った。また、街道の繋がる先であるメルダース領の領主ローレンツが、魔法への対価として多くの人手を提供してくれたので、完成までにかかる時間は大幅に短縮された。
「これで南側との行き来が随分と楽になるなぁ。いざというときに援軍を派遣し合うことはもちろん、友人であるヴァレンタイン卿と今までよりも気軽に交流できるようになることも、誠に嬉しい限りだよ」
「まったくもって同感です。これからますます友好を育んでいきましょう」
メルダース城の広間。街道の完成を祝い合う会食の席で、ミカはローレンツと酒を飲み交わしながらそう語らう。
領主同士が真の友情を育むことは容易ではなく、ミカとローレンツの良好な関係も互いの利益を一致させ続けるための努力を重ねた結果として維持されているものであり、両者の最優先事項はあくまで自家の存続と発展。とはいえ、ミカは個人的には彼を友人だと思っており、おそらく彼の方もある程度はそう思ってくれている。
「――ところで、メルダース卿。ひとつ面白い話をお聞かせしたいのですが……おそらくメルダース家にとっても大いに得になる話かと思います」
同席しているローレンツの妻も交えて楽しく歓談し、空気がすっかり温まった頃。ミカは意味深に笑いながら切り出した。するとローレンツも、面白がるような笑みを浮かべながら乗ってくる。
「それはそれは、実に興味をそそられるなぁ。ヴァレンタイン卿がそのように言うのなら、いい話に違いない」
「ええ、きっと喜んでもらえるはずです……実は我がヴァレンタイン家、数年前から領内で砂糖の生産を行っておりまして」
「……さ、砂糖!?」
少しの間を置いて、ローレンツは声を裏返らせながら仰け反った。彼の隣に座る妻も、目を見開いて驚きを示した。
「け、卿は砂糖を作る方法を知っているのか?」
「はい。より正確に言うと、南方より流れてくる砂糖と遜色ないものを作る方法を発見しました。我が領は小領なので製造量は限られますが、現在はユーティライネン領に輸出して収入源のひとつとしています」
いつも余裕ぶっている友人の珍しい表情が少し滑稽だと内心で思いながら、ミカは笑顔を崩さず答える。
「こちらが我が領で作られている砂糖です。どうぞ味見してみてください」
ミカの言葉に合わせて、後ろに控えるディミトリがテーブルの上に小さな壷を置く。ローレンツはその壷におそるおそる指を入れ、砂糖を一つまみ取り出すと、それをじっと見たり匂いを嗅いだりした後に口に含む。彼の妻も同じように砂糖を口にし、二人は顔を見合わせて頷き合う。
「……なるほど、確かに私たちの知っている砂糖と同じ味だ。そうか、これを既に輸出しているのか……言われてみれば、この数年で僅かに砂糖が安くなった気がするし、手に入りやすくなっている気もする。ヴァレンタイン家のおかげだったのか」
しばらく考え込むような表情を見せたローレンツは、気持ちを切り替えたのか、いつものように人好きのする笑みを作ってミカに視線を戻す。
「それで、ヴァレンタイン卿。砂糖の件を私に明かしてくれたということは、何か商売の話か?」
「さすがはメルダース卿。ずばりその通りです……当家は伝手も少ない弱小領主家なので、これまで砂糖の流通に関してはユーティライネン家を頼っていました。我が領で作られた砂糖は全てユーティライネン領に輸出し、ユーティライネン家の御用商人に捌いてもらっていました。ですが、我が領の規模拡大に伴ってこの数年で少しずつ製造量が増え、こうしてメルダース領と繋がる街道も完成したので、今度からは貴家にも卸させてもらいたいのです」
砂糖の商売にはユーティライネン家も大きく関わっている。もしヴァレンタイン領の砂糖産業によからぬ探りを入れたら、それはユーティライネン家に喧嘩を売ることと同じ。言外にそう釘を刺しながら、ミカは語る。
「メルダース卿は大切な友人ですから、卸値はかなり安くさせてもらいます。量が限られるのでメルダース家からすれば副収入程度にしかならないでしょうが、当家から輸入した砂糖を丘陵北側のこの一帯で捌けば、それなりに稼げるはずです。悪くない話だと思いますが、どうでしょう?」
「貴家から輸入した砂糖を、御用商人あたりに頼んで周辺の領地に売るだけで一儲けできるというわけか……それは確かに、何とも魅力的な話だ。ついでに言えば、私と家族はいつでも気兼ねなく砂糖を口にできるようになる」
語られた儲け話に、ローレンツはにやりと笑って答える。
「そう言ってもらえて幸いです。ただ、ひとつだけお願いがあり……ヴァレンタイン領で砂糖が作られていることは、他言しないでおいてほしいのです。当家やその姻戚であるユーティライネン家との対立も厭わず、砂糖産業の秘密を暴こうとする無謀な者がいないとも限りませんから。もちろん私も砂糖産業を永遠に隠せるとは思っていませんが、我が領はまだ発展の途上にあるので、もっと力をつけるまでこのことを知られるのを先延ばしにしたいのです」
「なるほど、それは尤もだ。ではこの件は、私と妻、そして当家の一部の家臣と御用商人だけが知るようにしておこう」
理解を示してくれたローレンツに、ミカはにこやかに頭を下げる。
「ありがとうございます。細かな話は、また後ほど仕事の席で詰めていければと思います……それではあらためて、これからも良き友人であり続けましょう、メルダース卿」
「ああ、仲よくしよう。我が友よ」
ローレンツは上機嫌に杯を掲げ、ミカもそれに応えた。




