第104話 西の情勢
秋のある日。ヴァレンタイン城の広間で、ミカは家族と穏やかな時間を過ごしていた。
「フレードリク、いい子だねぇ~」
「あう、う~」
二歳半を過ぎ、随分と流暢に話せるようになったアンリエッタがあやすのは、夏に生まれたミカとアイラの第二子、長男のフレードリク。母親の腕に抱かれた彼は、自身を撫でる姉を不思議そうな表情で見つめている。
「ほら~、アンバーちゃんですよ~」
「うぅ~、きゃははっ!」
傍らの椅子に座らされていたぬいぐるみのアンバーをアンリエッタが抱え、生きているかのように首や手を動かしてみせると、それを見たフレードリクは途端に笑顔になってはしゃぐ。
「ふふふっ、この子もやっぱり、アンバーが大好きみたいね。アンリエッタが赤ちゃんだった頃と同じだわ」
「そうなの? お父さま、あたしもこんなふうに笑ってた?」
「そうだね。アンリエッタはいつもアンバーと一緒だったよ。並んで眠ったり、ナタリヤも一緒になって、三人で庭に座っておままごとをしてたこともあった」
母の言葉を受け、アンリエッタがミカを振り返って尋ねると、ミカは笑いながら首肯し、彼女が今よりももっと幼かった頃の思い出を語る。
「じゃあ、アンバーはあたしとフレードリクのお兄ちゃんだねぇ。お父さまとお母さまの子どもの中で、アンバーがいちばんお兄ちゃんだ」
「あははっ、それはなかなか楽しそうな兄弟だねぇ」
彼女の言う通りならば、順当にいけば家督はアンバーが継ぐことになってしまう。ミカが自分の想像に思わず笑いを零すと、同じことを想像したのか、アイラもクスクスと笑う。
「ミカ様、ご家族で団欒中にすみません」
そのとき。領主一家の幸せな空間に、遠慮がちに入ってきたのはディミトリだった。
「アーネストさんがエルトポリから帰ってきたんで、お知らせにきました。館の中に通しても?」
「ああ、今回も無事に帰ってきてくれたんだね、よかった。通して構わないよ。報告を聞こう」
「分かりました」
頷いて退室していったディミトリの背を見送り、ミカは名残惜しさを覚えながら立ち上がる。
「さて、僕はお仕事の時間だ。アンリエッタ、アイラを手伝って、一緒にフレードリクのお世話をしてあげてね」
「うん、おーぶねに乗ったつもりで、あたしにまかせて!」
「おぉ、難しい言葉を知ってるねぇ」
笑いながら言ったミカは、元気な愛娘の頬と、うとうとしはじめた息子の額に口づけをする。最後に愛する妻と口づけを交わし、笑みも交わすと、アーネストと面会するために応接室へ移る。
間もなくやってきた御用商人を笑顔で迎え、彼が今回エルトポリで見聞きしてきた最新の情勢について報告を受ける。
「ノーザーランド人の集団について、新しい情報を得ました。朗報とも凶報とも言えない、なかなか複雑な話ですが……」
昨年にダリアンデル地方西岸から上陸したノーザーランド人の集団については、徐々に東にも情報が伝わり、その全貌が明らかになっている。
彼らはダリアンデル地方南西部だけでなく、北西部にも上陸していること。掠奪や占領のための戦いを担う男たちだけでなく、その家族と思われる女性や子供や老人も海の向こうからやってきていること。南北の集団は徐々に規模が大きくなり、居座っている期間から考えても、どうやら定住するつもりでいるらしいこと。
彼らは自らを「純粋派」と名乗り、ラーデシオン教徒であるダリアンデル人たちのことを「邪教徒」と呼びながら凄惨な虐殺に及び、そのような自分たちの行いを「聖戦」と称しているようで、どうやら利益や土地だけでなく、信仰に関する目的も持っているらしいこと。
今回のアーネストの報告は、これまでに判明したこれらの情報を一部修正し、より鮮明にするものだった。
「どうやら、上陸したノーザーランド人の全てが純粋派を名乗っているわけではなく、最初に南西部に上陸した集団と、その後に北西部に上陸した集団は、全く異なる性質を持っているようなのです。自らを純粋派と呼んで問答無用の暴走をくり広げているのは南西部の集団で、それと比較すれば北西部の集団は、まだしも共存の余地のある連中だそうです」
話によると、北西部に上陸したノーザーランド人たちは、上陸地点とその周辺の支配者層――すなわち領主家やその家臣を排除し、自分たちが新たな支配者に成り代わろうとしている。領主家の抵抗を受ければ武力をもってそれを撃破するが、無抵抗で下った領主家に関しては助命した上で追放するに留め、場合によっては税の上納と引き換えに領主の立場を安堵することさえある。
そして被支配者層たる民に対しては、基本的に寛大な対応をしている。末端の連中が暴発して掠奪などを行うことはあるが、少なくとも指導者たちの命令の下で組織立って虐殺に及ぶような様子はない。彼らは新たな支配者として、北西部西側の一角に概ね穏当に君臨している。
また、彼らは沿岸航海や河川の遡上によって最初の上陸地点から離れた場所へ移動し、交易をも行っている。平和的な接触のかなった領主たちが伝え広めたところによると、この北西部のノーザーランド人集団は故郷の人口が増えすぎたために外の世界への移住を決意した。彼らが望んでいるのは「新たな故郷と、そこでの平和な暮らし」であり、仲間が豊かに暮らせるだけの支配域を得ればそれ以上の侵略をするつもりはなく、ダリアンデル人たちと穏やかに共存していく意思があると彼ら自身が語っているという。
「彼らがまともに会話をしてくれるおかげで、南西部に上陸したノーザーランド人集団の得体も知れてきました。純粋派と名乗っているこの連中は、ノーザーランド人の信じるラクリナレス教だけが正しい信仰だと考えているそうで、この世をラクリナレス教徒だけで埋め尽くすのが自分たちの使命であり、聖戦であると考えているのだとか。このように極端な思想を持っているため、ノーザーランドでも面倒な集団として嫌われていたそうで……」
「まあ、そこまで融通の利かない思想を振りかざす集団なら、同族から見ても厄介だろうねぇ。そんな連中がいたら、信仰や民族が違う人たちとの交流に支障が出るだろうし」
ミカは困り顔を作り、唸るように言った。
前世においても、何かしらの宗教の過激派というものは、社会に騒動やときには戦乱を巻き起こす存在として厄介がられていた。この世界にもそのような存在がいてもおかしくない。そう納得しつつ、同時に面倒なことだと考える。
「北西部のノーザーランド人は、交流しているダリアンデル人からは穏健派と呼ばれるようになっているそうですが、彼ら穏健派の目から見ても、ダリアンデル地方での純粋派の振る舞いは相当に酷いそうです。彼らは一応は同族なので純粋派とも偶に接触しているそうですが、連中は殺さずに捕らえたダリアンデル人を強制的にラクリナレス教に改宗させ、贖罪させると言いながら奴隷として酷使しているのだとか」
「改宗と奴隷化かぁ……まあ、大方そんなところだろうと予想はしてたけどねぇ」
その話を聞いても、ミカは特に驚くことはしなかった。殺されずに連れ去られたダリアンデル人もいると聞けば、その末路を想像することは容易だった。
「その北西部のノーザーランド人たち……これからは穏健派って言えばいいのか。彼らが語った目的が本当なら、そっちの方は僕たちにとって害はなさそうだねぇ。領地を取られた北西部西側の領主たちや支配下に入れられた民は気の毒だけど、内陸部に暮らす僕たちに直接危険が及ぼされることはないだろうから」
「仰る通りかと存じます。むしろ、彼らとの交流や交易の機会が増えることは、ダリアンデル地方の利益にさえなりそうです」
ミカの言葉に、アーネストも頷いて同意を示す。
北西部のノーザーランド人たちがダリアンデル人を油断させるために嘘を言っている可能性もあるが、そうでなければ、彼らによる侵略の被害を受けるのは北西部の限られた地域に暮らすダリアンデル人だけ。支配者の立場を失う領主たちは悔しいであろうし、異民族に支配される民は居心地が悪いであろうが、それ以外の地域に暮らすダリアンデル人にとっては直接的な不利益はない。商人らしい視点で語ったアーネストの言葉通り、利益さえ見込める。
「それに比べて、南西部の純粋派とかいう集団は、いよいよどうしようもない厄介者だと確定したねぇ……このまま南西部のダリアンデル人領主たちが純粋派に敗けるようなら、いずれどこかの段階で僕たちが戦うことになるのかな」
「そうなるだろうと、商人たちの間でも語られていました。不確かな噂ですが、ノイシュレン王家とアルデンブルク王家が純粋派への対応の件で相談し合っているという話もあります」
「アルデンブルク王家と……まあ、敵の敵は味方ってことか。会話もできない過激な異民族より、油断ならないけど話の通じる仮想敵の方が、隣人としてはよほどましだもんね」
ミカは思わず微苦笑を零しながら、皮肉な話だと考える。アルデンブルク王国との対立を見越してヴァレンタイン領の西にせっせと砦を築いているのに、そのアルデンブルク王国こそがいざというときは頼れる味方になってくれるかもしれないとは。




