第10話 若き行商人②
「まずは、こちらを見てもらいたいのですが……」
そう言って、ミカは後ろを振り返る。ミカに視線を向けられたディミトリが頷き、立ち上がって退室する。
間もなく戻ってきた彼が抱えているのは、戦利品の装備類、その一部。縄でひとまとめに束ねられた武器や防具は重量もそれなりにあり、偉丈夫のディミトリでも持ち上げて運ぶのに苦労する。
「ご苦労さま、ディミトリ。後は僕が」
ミカが言うと、ディミトリは戦利品を床に下ろす。そこへミカが右手を向けると、その手に光が宿り、戦利品を縛る縄が空中に浮かぶ。縄に吊るされるようにして戦利品も浮き、そのままテーブルの横まで浮遊してくる。
「……ヴァレンタイン卿は魔法使いだとマルセルさんから聞いていましたが、いざこうして目にすると、いやはや凄いものですね。念魔法をこの目で見るのは初めてです」
合計で何十キログラムもあるであろう武器や防具が空中を漂う様を見ながら、アーネストは半ば唖然として言った。
ミカからすれば、狙い通りの反応だった。自身の魔法の実力をアーネストに見せ、自分がただ者ではないことを知らしめるために、筋骨隆々の大男であるディミトリが運ぶのに苦労した大荷物をこれ見よがしに魔法で操っていた。
「ミカ様の魔法のお力は、こんなものではありませんよ。戦う際には何メートルもある丸太を振り回しておられるのですから」
「ま、丸太ですか。それはまた凄い……領主様がこれほどの魔法の使い手でいらっしゃるのであれば、領民の皆さんも安心して暮らせるでしょうね」
「ええ。本当に、ミカ様に領主になっていただけたことは、私たちにとってこれ以上ないほど幸運なことでした」
マルセルとアーネストが話すのを横目に、ミカは戦利品をテーブルの横に下ろす。そして、まずはこの装備類を手に入れた経緯を、自身がこの村に流れ着いた経緯の詳細と共にアーネストに説明する。
「お願いしたい取引というのは、この戦利品の現金化です。私は故郷を旅立ってこの地に来たばかりで、領主にもなったばかり。この地域の商人への伝手がまったくありません。そして、武具の現金化は大金の動く取引になるので、仕事を頼む商人は誰でもいいというわけにもいきません。マルセルに相談したところ、あなたこそが最も誠実な商人だと教えてもらったんです」
「それはそれは……マルセルさん、ありがとうございます」
「いえ、アーネストさんにはいつもお世話になっていますから」
マルセルは柔和な笑みを浮かべてアーネストに答える。
アーネストは前領主家との取引だけでなく、領民たちを相手にしたさして儲からない商売も積極的に行っていたという。彼は小村の貧しい領民であるマルセルたちにも丁寧に接し、都市部で生産された日用品を、他の行商人たちと比べてもなるべく安価に売ってくれていた。だからこそマルセルは、彼が信用できると見込んだという話だった。
「ここに持ってきたのは戦利品全体の三分の一ほどでしょうか。高額な商品をいっぺんにたくさんお預けしてはアーネストさんの負担が大きいかと思って、まずは一部の現金化をお願いしたいのですが、最終的には全てあなたにお預けしたいと思っています。もちろん、これらの品の売却金額から相応の手数料をあなたに渡します」
戦利品の一部を妥当な金額に換えてきてくれれば、残りも全て預ける。ミカが暗に伝えると、アーネストはミカの顔と戦利品を見比べ、その目に野心の光が宿る。
鉄製の武具は高い。まともな質の剣一本や鎖帷子一着を買おうとすれば金貨数枚は下らない。ミカがアーネストに見せた分の戦利品だけでも、売れば金貨十枚にもなり得る。そのさらに二倍の戦利品があり、それらを全て処分した売却金からまとまった手数料が支払われれば、普段は小さな村を細々と回っているらしいアーネストにとって大きな臨時収入となるはず。
アーネストのような若い行商人が、大成を目指していないはずがない。全ての客に誠実に振る舞うというのも、おそらくは彼なりに長期的な視点での成功を見込んでのこと。高価な武具を大量に扱うこの取引は彼にとって躍進へ向けた一歩になり得るもので、だからこそ彼はこのような反応を見せていると想像できる。
戦利品という餌をもって、彼の関心を得ることにまずは成功したようだとミカは内心で喜ぶ。
「どうでしょうか。このような仕事をお願いすることはできそうですか?」
「……はい、ぜひ引き受けさせていただきたい。私が拠点としているエルトポリには、大領主家や富裕層を相手に、遠方とも商売をしている大手の商会があります。その商会なら、このような武具の販路も持っているはずなので、持ち込めば相応の価格で買い取ってくれるはずです」
エルトポリというのは、ここから東の方にあるユーティライネン領の領都。この一帯の経済圏における中核都市だけあって、商人や職人、ユーティライネン家に仕える軍人などの非農民人口が多いのだとミカはマルセルから聞いている。
「では、正式に依頼させてもらいたく思います……ひとまず、ここにある戦利品を売ってもらって、売却金額から僕が金貨七枚をもらい、残りをアーネストさんの受け取る手数料とするのはどうでしょうか?」
売却金額の何割を手数料に、などと言っても、アーネストがこの戦利品をエルトポリに運び、幾らで売ったのかを確かめる手段がミカにはない。なのでミカは、この戦利品を売れば金貨十枚程度になると推定した上で、その七割ほどの金額を自身の取り分として提示した。アーネストにとっては、上手くやって高額で戦利品を処分すれば、それだけ自身の利益が大きくなる仕事。
アーネストは戦利品をしばらく観察し、おそらくはその価値を考えた上で、ミカに向き直って頷いた。
「かしこまりました。その条件で、ぜひお受けさせていただきます」
「ありがとうございます。よかった、引き受けてもらえて幸いです」
ミカは安堵の表情を浮かべて言った。実際、安堵していた。商人と対峙して商談をするなど、前世を含めて初めての経験なので、狙い通りに話が進んで幸いだった。
「それともうひとつ、こちらは客としてお願いしたいのですが……いくつか買いたいものがありまして」
そう切り出した上で、ミカは自身が買い求めたいものを語る。
牛馬に牽かせる犂。縦横の長さも刃の厚みも、通常の二倍ある斧とシャベル。そして大麦とクローバーの種。注文を聞いたアーネストは、思案の表情を見せながら口を開く。
「この村に農耕用の牛馬はいなかったはずですが……なるほど、ヴァレンタイン卿が魔法をもって使われるのですね。巨大な斧とシャベルも同じですか。そして大麦の種は、魔法を使って新たに開墾した農地に来年蒔くのでしょうか。しかし、クローバーの種はどのような用途で? 牧草地を作るほどの家畜は、この村にはいなかったかと思いますが……」
「あはは、さすが商人の方は頭の回転が速いのですね。諸々の推測、全て正解です。クローバーに関しては、少し実験的な使い道を考えていまして」
察しの良い行商人は、しかしクローバーに関しては用途が読めないようだった。無理もないことだと思いながら、ミカは曖昧な笑顔で受け流す。
ミカが考えているのは、三圃制を軸とし、休耕地にクローバーを植える農法。クローバーには地力を回復させる効果がある上に、休耕地で豚などの家畜を放牧してクローバーを食わせれば、そこで家畜が糞をしてそれが肥料となり、農地のさらなる地力回復に繋がる。
とはいえ、この農法の知識は前世で得たものであり、この世界の、少なくともダリアンデル地方では普及していない。アーネストにミカの考えが分かるはずもない。
「大麦とクローバーの種は来年の冬明けまでで構いません。斧とシャベルに関しても、特殊な注文になるかと思いますので急ぎません。ですが、犂はできるだけ早く手に入れたいと思っています。秋蒔きのための耕作に間に合うように、遅くとも一か月後までには。そのためなら相場の二倍まで支払います」
「一か月後ですか……分かりました。エルトポリ周辺の農地では牛馬と犂を使っているところもありますので、都市の職人に急ぎで手がけてもらえるようお願いすれば大丈夫でしょう。倍額までは必要ないかと思います。相場の五割増し程度、おそらく金貨五枚もかからずに作ってくれるかと。その他のものについても、できるだけ早く手配いたします」
「ありがとうございます。では、よろしくお願いします」
「お任せください。こちらとしても、多くの仕事をいただけて大変ありがたく思います」
「あはは、それはよかった。どうかこれからも、互いに利益を上げられる良い関係でいさせてください」
ミカがそう言って手を差し出すと、アーネストも笑顔で応えてくれた。




