第1話 ミカの夢
一国一城の主になりたいと思っていた。小さくてもいいから、自分を主人とする城、自分が支配者かつ庇護者として治める社会が欲しいとずっと思っていた。
きっかけは子供の頃に読んだ、児童文学の本。優しい王様が治める小さな王国を描いたその物語の中には、幸せな世界があった。王様は家臣たちと助け合いながら、国の平和を守り、国をもっと豊かにするために頑張っていた。民はそんな王様を尊敬し、愛していた。
自分もこんな王様になりたい。そう思いながら、なので子供の頃に将来の夢を聞かれると、決まって「王様」と答えていた。
その夢は、多少は形を変えながらも根本的には変わることはなく、成長してからもファンタジーや歴史を題材にした創作物を読んだり観たりしながら、国王だったり貴族だったり、とにかく一国一城の主に憧れ続けた。
城に住み、ひとつの社会を治め、その社会の発展やそこに暮らす民の幸福のために尽力し、対価として民の敬愛を集め、後世まで偉大な為政者としてその地に名を残す。そんな生き方への憧れが薄れることはなく、むしろ夢は膨らみ続けた。
なので、幼い頃は周囲から「想像力豊かな子」だと思われていたのが、次第に「個性的な子」と評され、やがて「ちょっと心配な奴」と見られるようになった。
めでたく変人認定されながら抱え続けたこの夢を叶える手段は、しかし残念ながら現代日本にはなかった。せめて似たような立場になれないか考え続けたが、しっくりくるものはなかった。政治家になることも、経営者になることも、そうした成功の末に城のような豪邸に住むことも、何かが決定的に違うと思った。
生きる時代を間違えた。生まれる世界を間違えた。そんな違和感を抱きながら数十年を生きていたので、不慮の事故で唐突に人生の終わりを迎え、意識が薄れゆく中で願った。
もし来世があるのなら、今度は夢を叶えられるような世界に生まれますように――
・・・・・・
「それでは兄様、長らくお世話になりました」
ダリアンデル地方北東部。三つの村を領有するカロッサ家の居城。その城門の前で、ミカは言った。
「律義な挨拶はいいからとっとと出ていけ。義理は果たした。もう帰ってくるなよ」
丁寧に一礼したミカに対し、兄様と呼ばれた男は顔をしかめながら返す。露骨に邪険に扱われながら、しかしミカが怒ることはない。
先代カロッサ家当主たる父は、晩年にいい年をして領民女性との間に子を作ってしまった。その子供こそがミカで、つまりミカが兄様と呼んだ当代当主は、正確に言えば異母兄だった。
不遇な立場に生まれたミカは、出産から間もなく母が病で世を去り、六歳のときに父が世を去ると、以降は他の家族から露骨に邪魔者扱いされながら育った。
しかしミカは、異母兄も他の家族も恨んではいない。ミカを嫌悪しながらも、一応は血が繋がっているからとまともな衣食住を与えてくれたことに、むしろ本心から感謝している。
とはいえ、このままこの地に留まっていても人生が良くならないことは明らかだったので、自ら十六歳の誕生日に家を出ていくことを決断し、現当主である異母兄に告げた。今日がその、十六歳の誕生日だった。
「ああ、それとこれは当面の路銀だ。手切れ金も兼ねたものと思え。それと、金額には期待するなよ。うちは小領主で、生活は大して楽じゃないんだからな」
そう言って、異母兄は小さな袋を差し出してきた。ミカが両手で受け取ると、貨幣がぶつかり合う硬質な音と、ある程度の重みが伝わってきた。
「これはこれは……旅道具の一式に加えて、路銀までいただける至れり尽くせりの扱い、あらためて感謝申し上げます」
「そういう賢しらな話し方もずっと気に入らなかったんだ。ほら、早く行った行った。せいぜい達者でな。神の祝福があらんことを」
「はい、さようなら。カロッサ家にも、神の大きな祝福があらんことを」
兄は信仰心がそれなりに厚い人物で、だからこそミカをまともに養い、こうして律義に見送りまでしてくれている。一応はミカの幸ある未来を祈ってくれた兄に、ミカは丁寧な所作で祈りの言葉を返し、そしていよいよ生まれ故郷を去った。おそらく二度と帰ることはない。
・・・・・・
「あーこれで自由だ! やっと夢に向かって突き進める!」
カロッサ領を出て粗末な道を南進しながら、ミカは晴れ晴れした表情で言った。空はミカの旅立ちを祝福するように青く澄み渡り、夏の空気はぽかぽかと暖かい。
今日は単に、故郷から旅立った日ではない。生まれたときから、いや生まれる前から抱き続けてきた夢を叶えるための旅路。その始まりが今この朝だった。
未だ誰にも話していないが、ミカには前世の記憶がある。一国一城の主になることを夢見ながら二十一世紀の日本を生き、夢叶わずに死んだ記憶がある。
前世とはまったく違うこの世界で新たに生を受けたとき、最初は当然ながら戸惑いを覚えた。しかしその戸惑いは、第二の人生の舞台がどのような世界かを知っていくと喜びに変わった。
ここは前世で言うところの、中世ヨーロッパによく似た世界。しかし、魔物と呼ばれる奇妙な生き物がいたり、魔法と呼ばれる不思議で稀少な力があったりする、まぎれもなく異世界。
ミカの生まれたダリアンデル地方においては王と呼ばれる存在もなく、大小の領主、ミカの前世で言うところの豪族とでも呼ぶべき者たちがそれぞれの領地を治めている。数万の民を抱える大領主から村ひとつを治める小領主まで、何百何千という家がそれぞれの領地を支配し、ときに争い、ときに手を取り合って生きている。カロッサ家も、ミカが幼い頃に周辺の領主たちと連合を組んでよその領地と何度か戦っていた。
そんなご時世なので、滅ぶ領主家もあれば、新たに領主になる者もいる。流れ者から領主になる者だっている。
つまり、自分も上手くやれば領主になれる。一国一城の主になれる。これまでは生家のみそっかすに甘んじながら、身体が成長するのを待ち、文字を覚え書物を読み社会を学んできたが、これからはいよいよ夢に向かって前進する。
兄からは今後カロッサの家名を名乗るなと言われたので、今や天涯孤独の流れ者。もらった路銀は一、二か月も旅をすれば尽きる額。魔法については今のところ縁がなく、前世の知識と思考力以外に武器はない。成り上がりどころか、どこかその辺で野垂れ死にしてもおかしくない。
それでも、夢を叶えられる可能性がある。やりようによっては自分の城と領地を持つことができる。それだけで、どれほど幸せなことか。前世と比べれば未発展で残酷なこの世界の、何と素晴らしいことか。
森や丘や平原ばかりが広がる世界を、ミカは意気揚々と進む。