金魚さん陽だまりのなか
大人の要求に懸命に答えようとする子だった。それでいて優しく笑って、いつも平気と笑う私とは正反対のいい子が父さんは欲しかっただけ。何も知らない幼いころの私にとってはそんなことどうでもよかった。ただ笑いかけることができて、笑いかけてくれるその存在に救われた。
だから今までの何よりもずっと怖かった。
ずっと一緒に笑っている未来なんてないと、答えをもらった気がした。
白い手紙に書かれていたのは日向がこの学校に転入してくるという内容だった。
それは警告か、それとも奇襲か。私は考えるのも嫌になり、手紙を手の中で握りつぶした。
本当なら手放しで喜べることなのに、白い紙きれがそれを許さない。
「お姉ちゃん。」
四限目の終わりを知らせるチャイムが鳴り、しばらく机で俯いていると懐かしい声が私を呼んだ。
その時心がぱっと明るくなった。全てを忘れて、その声のする方向へ眼をやり立ち上がる。
「日向。」
数年ぶりに聞いた声は変わっていないが、その容姿はとても変わっていた。
最後に会ったときよりもずっと背が伸びて私より少し高くなり、可愛かった顔つきが綺麗と零してしまいそうになるほど大人っぽく、黒い髪と黒い瞳が白い肌にとてもよく映えている。
その成長ぶりに驚くより喜びが込み上げ、足が教室の入り口へと自ら動き出す。
「日向・・・久しぶり。」
「砂羽お姉ちゃん、背小さくなった?」
そう、日向は私の可愛い可愛い妹だった。にこりと笑う顔は何も変わっていない。それがとてもうれしかった。あまり会うことのできない大好きな妹、唯一幼い私の手に残った大切なもの。
「ち、小さくなってない!日向が大きくなったの。」
「そっか。」
賑わいをみせ、お昼の匂いがし始める教室に眼を向けた日向が少し小さな声で言った。
「ここは賑やかだね。」
その言葉の意味を私はすぐに理解した。賑わいを知らない教室で、監視されながら過ごす毎日を思い出す。私はそれが辛くて、この学校に逃げ込んできた。
「平気だよ、日向。日向もいい子だからすぐに友達できるよ。」
「ありがとう、お姉ちゃん。」
一学年下の日向は二年生のクラスになるので、私とは同じ教室にいられない。それが悲しみだと思った瞬間、ふと安心を感じる自分がいるのにも気づいた。
「あ・・、ひな」
「お姉ちゃん、高里知佳先輩って知ってる?」
「え?」
それは最悪の奇襲の始まりだったのかもしれない。
「お父さんから話聞いてない?」
「日向・・・・・・。」
「桜さんでは不満だったの?」
日向、と名前しか呼べない。今まで何かを取り上げるときはいつも、それ自身に遠ざけさせるやり方だったのに。どうして今回は、日向が私の大事なひとを奪いに来たの。
心で何を訴えても口はちっともそれを言葉にしてくれなかった。
「砂羽?」
その時、固まったままの私の背中に知佳の声が響いて体がふわりと軽くなった。
「知佳っ・・。」
「砂羽・・・?」
振り返ると心配そうな顔をして立っている知佳がいた。私は知佳の腕の中に逃げたくなった。
「こんにちは、知佳先輩。」
「・・君は?」
「日向、といいます。壱谷日向です。」
あんなに大好きだった日向が私の大切なものを奪いに来るなんて、夢だ。これ以上の苦痛なんてないのだから、これは夢にきまっている。急に全てが怖くなって、私の足は知佳に一歩踏み出して止まった。
足が地面に縫いつけられる感覚だった。
泣きそうなのを一生懸命にこらえる。やっぱり私は弱いままで、あの頃と何も変わっていない。
自分の力で変えることができないと分かっているから、何もできないとうずくまってる、あの日と何も。
そんな私に魔法の言葉が響いた。
「そう、日向ちゃん。僕、砂羽以外に下の名前呼ばれるの嫌なんだ。」
「え?」
「ごめんね。高里先輩って呼んでもらえたら、嬉しいな。」
にこりと笑って見せた知佳は日向から私に眼を向けた。
「お昼、どうする?」
彼はいつもそうだ。私の心をいつも簡単に優しく包んでくれる。私から冷たいあの闇を払いのけてくれる。魔法をかけて私を溶かしてくれる。
「・・・・・・・じゃぁ、日向も一緒に、いい?」
彼がいるなら怖いことなんてないじゃないか、そう思う自分がいる。私の言葉に日向がえ?と小さく驚きの声を漏らす。久しぶりに会えた妹と一緒にいたいという気持ちも、知佳の傍にいたいという気持ちも、私が抱いたものだ。それが誰かに奪われるなんて、ありえない。
「僕はいいよ。」
「じゃあ一緒に食べよ。ね?」
「お姉ちゃん・・・。」
「日向。」
あの日から変われないこともある。けど私が日向を大好きなのも変わらないことなのだ。
私の隣に知佳がいて、変わらなくちゃと思っている私がいる。そこに日向がいる。
「うん。」
それを幸にするも不幸にするも私次第だ。幸せそうに笑う日向の笑顔がここにあり続けたらいいと望むなら私は変わらなくちゃならない。知佳の言葉がそんな私に魔法をかけるから。
いつも陽だまりを与えてくれる彼が隣なら、私はいつも光の中を泳いでいられる気がした。
題名またまた悩みました・・・。
ぬぬぬ。