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猫さん太陽のない休日

 驚かずにはいられない光景。あの子があんなにも冷たく笑うのは初めて見た。


 いつもと変わらない少し曇った日曜日。そもそも学校のない日は砂羽に会わないのだからもう出かける必要性も何もないわけで、僕はたいてい家で暇を持て余していた。特に意味もなく洋画を見たり、音楽を聴いたり、昼寝をして過ごす。けれど今日はたまたま曇りで、少し温かい風が心地よく部屋を通って行ったので、久しぶりに外に出ることにした。といっても家にあるDVDは見あきたので、それを借りにいこうと思い立っただけのことなのだが。

細い道を抜けるとすぐに大通りにでる。その大通りを渡り、しばらく歩くと少し大きなレンタルショップが待ち構えている。何回か通った道をのんびり歩いている。今日は何にもない、つまらない日常だと思っていた僕に、その時が訪れた。

「・・・・砂羽・・・?」

車がせわしく駆け抜ける道の向こう側、車が通り抜けた一瞬で見つけてしまえるほど可愛い子が立っている。

薄いふわふわしたピンクのワンピースの上に茶色のジャケットを羽織って立っている。

髪はゆるく巻かれていて、ヒールをはいていていつもより背が高く感じた。

名前を呟いたが車がこんなにもうるさく走っていては聞こえるはずもない。信号はずっと赤だった。

ゆっくりと車のスピードが緩まり、だんだんと静かになる。そして赤は青に変わった。

「さ」

わ、と呼ぼうとした瞬間だ。砂羽の隣に立っていたスーツを着る男が突然砂羽の髪にふれた。

砂羽は一瞬目を閉じるが、すぐににこりと笑った。

横断歩道の途中、走り寄ろうとしていた僕の足は突然行き場を失った。

「何・・あれ。」

彼女は笑った。そう、とても冷たく。

その景色に僕は渡りかけていた横断歩道を引き返そうとした。しかしその瞬間、なんてひどいタイミングだろうか、彼女の目と僕の目が完全にぶつかった。

「・・知佳?」

横断歩道から人が減っていく。砂羽が隣の男を少し気にしながら僕に近づいてくる。

僕は結局その横断歩道を渡ることなく元の場所に戻った。渡りきった砂羽の後ろから静かに男は歩いてくる。

「・・おはよ。」

「あの、あのね。」

近くで見ると少しだけ化粧をしているのが分かる。こんなに綺麗になって、もともと何もしなくとも男子を魅了している君が、そんな姿でどうしてスーツを着た男と休みの日に出歩いているのだろう。

そんな疑問の答えなど、一つしかないのを知っていてもなお僕はその疑問を抱き続けた。

「こんにちは。君は、砂羽さんのお友達?」

丁寧な言葉遣いと軽い会釈に僕は急いで軽く頭を下げ、はい、とだけ返事を返した。

年は二十二、三、といったところだろうか。スーツがしっくりくる大人の空気を持ち合わせている。

身長は僕と変わらず背筋がしゃんとしていて、ネクタイがきっちり上までしめられている。

これは何の直感かは分からないがこの男はモテる男だ。

「そう。いつも砂羽さんがお世話になってます。」

「ちょ、桜さん!?」

砂羽が焦った声でその男の名前らしきものを呼んだ。

「いえ、こちらこそ。いつも砂羽をお世話してます。」

砂羽の困った顔がパッとこっちに向けられた。滅多に見せない困った顔に笑いそうになる。

「デートですか?」

何を思ったか、僕は面白半分にそう言葉を投げていた。

「えぇ、まあ。」

照れるように笑う、この人は無機質だった。

その隣でひらひらとワンピースを揺らす金魚は俯いている。

「あ、じゃぁ、僕行きますね。」

また車の音が止んだのに気付いて信号を見るとちょうど青に変わった。それにつれて人がまた動き出す。僕がそういうと砂羽の顔がばっとまた僕を映す。

僕はじゃぁねと声をかける。困った顔をしたままの砂羽にそんな顔しないで、と心でつぶやいた。

彼の隣でずっと僕を見ている砂羽に背を向けて、横断歩道を渡りきり、振り向かないように歩いていく。

驚いた。けれどそれは砂羽と彼が出かけていることではなく、砂羽があんなふうに冷たく笑ったことにだった。それ以外には何も感じなかった。

ゆっくり歩いて行くと目のはしにレンタルショップが入った。

こんなにも穏やかにいられるなんて、普通に考えたらおかしいことだ。けど、今の僕に砂羽をとられるという恐怖は全くない。

最近リリースされた映画を思い出し、その映画が貸し出されていないことのほうが心配だった。

そんな僕の腕を弱い何かが掴む。

「ちっ・・か・・・。」

「え?」

追いついた、と息を荒くしているのはさっき別れたばかりの砂羽だった。

やはり見れば見るほど綺麗で可愛かった。そして小さな手が一生懸命に腕をつかんでいるのを見るとそこが公共の場所であると分かっていても抱きしめたいという感情が僕を襲った。

彼女が僕に自ら触れたのはそれが初めてだった。

「あのっ・・あのね、さっきの。違うから!」

呆気にとられている僕を見つめて、彼女は必死に言った。

「そういうのじゃないの。・・デートは・・デートなんだけど・・違うの。だから。

ごめん、本当にそうじゃないの。知佳が思ってるようなことはなくて。」

初めて見る彼女のこんなに焦った姿。何も言えない僕を前に彼女はまだ言い訳のような言葉を並べて、何かを説明しようとしている。説明したいけどできない、けどそれでも伝えよう。そんなふうに思っているのが痛いほど伝わる。

「ふっ、ははっ。」

気付くと僕は声をあげて笑っていた。曇り空の下、ただの日常は彼女に出会うだけで簡単に特別な日に変わっていく。僕らを通りすぎていく人は人形のように通り過ぎていくだけ。

「な、に?」

「いや、あははっ・・、ごめん、ごめん。」

「何、なんで笑うの?」

あぁ、嬉しい。そんな感情で満たされるから。

「まさか、砂羽が言い訳なんかしてくれるとは思ってもなかった。」

「え?」

彼の隣から走って追いかけてきてくれて、僕の腕を掴んで、弁解しようとして。

僕はあの男に笑いかける彼女を見たときから、何も不安なんかなかった。

「僕さ、砂羽の特別だと思ってもいいの?」

抑えようとしても抑えられないほど、今僕は満面の笑みなんてものを零しているに違いない。

「知佳?」

我がままは言わないと決めていた。ただ彼女の傍にいることを許されているだけでいいと決めていた。けれど確かにあんな男の隣を歩いたり、休みの日をすごしたり、頭を触らせたり、そういうのはとても嫌だ。けど、何も不安なことはなかった。

「あんなに冷たく笑えるんだね、砂羽。僕に向けてくれる笑顔に、あんなひどいのない。」

それが自信を作っていた。

「また明日ね、砂羽。明日は隣に僕しかおかないで。」

他には何も望まない。今はこんなにも幸せな気持ちでいっぱいなのだ。

僕は手が離され自由になった腕をあげて、そっと彼女の頭にのせた。一瞬目を閉じて、ゆっくりとめをあけると砂羽は柔らかく春のように笑った。

「知らない。」

明るい声を零してニコリと笑う。僕も思わず笑った。

「ふっ、じゃぁね。」

「うん。」

ゆっくりとその場を離れる。何も怖くない、何も辛くない、嬉しいばかりの日。

その時ふと耳の奥にあの言葉が響いた。

『貴方なら砂羽を奪ってくれるのかしら、あの人から。』

柔らかく包み込むように零れた言葉。あの人とはさっきの男のことだろうか。僕はそんな推測をたてながらやはり映画が貸し出されていないかどうかを心配した。

この時はまだ何も知らなかった。砂羽が背負う物も、砂羽を捕える者も、なにも。

何も知らない足は軽やかにレンタルショップへ向かうだけだった。


今回はいつになく長い、長い。

お付き合いありがとうございました汗

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