第3話:初恋の記憶
千夏が悠真を意識するようになったのは、中学2年生の夏休みのことだった。
その日は強い夕立が降り、部活帰りの千夏は傘を持っておらず、校舎の軒先で雨宿りをしていた。ぽつんと座り込んでいると、傘を持った悠真が小走りで近づいてきた。
「千夏、傘ないの?」
「うん……忘れちゃった」
悠真は少し考えてから、何の迷いもなく自分の傘を差し出した。
「じゃあ、これ使えよ。俺は走って帰るから」
「えっ、でも……悠真が濡れちゃうじゃん!」
「俺は平気だって。千夏が風邪ひいたら大変だろ?」
その言葉に、千夏は驚いた。昔から悠真は優しい性格だったが、自分のために何かを犠牲にしようとするその姿勢が、胸にじんと響いた。
「……ありがとう。でも、私も濡れたくないから、一緒に入ろう?」
千夏が半ば強引に悠真を傘の中に引き込むと、二人は体を寄せ合って並んで歩き始めた。雨が降りしきる中、彼の横顔がどこか眩しく見えた。
(あの時の悠真、本当に格好良かったな……)
千夏は今でも、あの時の記憶を鮮明に覚えている。夕立の音、悠真の声、そして傘の中の心地よい温かさ。その日を境に、千夏の中で悠真は「ただの幼馴染」ではなくなっていた。
千夏の心の葛藤
高校に入ってからも、千夏は悠真への気持ちを隠し続けていた。
「悠真には、もっとふさわしい人がいるかもしれない」
「幼馴染だからって、勘違いされるのも嫌だし……」
そう思い込むことで、自分を納得させようとしてきた。それでも、悠真が他の女子と楽しそうに話していると、どうしようもなく胸が締め付けられることがあった。
ある日の放課後、千夏は誰もいない教室で一人、窓の外を眺めていた。俊と一緒に帰る悠真の姿が見える。何かを話しながら笑う二人の様子を見て、千夏はそっとため息をついた。
(私も、あんなふうに悠真と笑い合えたらいいのに……)
だけど、それは自分から望むべきものではないと思っていた。彼にとっての「幼馴染」という立場を失うくらいなら、今の距離感のままでいい。そう思うたびに、自分の気持ちを無理やり押し込めた。
放課後の偶然
その翌日、放課後に図書室へ向かった千夏は、偶然また悠真と顔を合わせた。
「またここ?」と悠真が笑いながら声をかけてくる。
「えっ、悠真こそまた図書室?」
「いや、今日は俊に頼まれて本探してるんだよ。あいつ、読書感想文の期限ギリギリだからさ」
千夏は思わず吹き出した。俊の不器用さは、二人の間ではよく話題になる。
「俊くんらしいね。でも、悠真が手伝うなんて優しいじゃん」
「まあ、あいつに勉強頼られるの珍しいしな」
悠真が棚を探す姿を見ながら、千夏はふと思った。
(私も、もっとこうやって自然に話せたらいいのに。悠真と対等な位置に立てるようになりたい……)
その後、千夏はふと勇気を出して尋ねた。
「悠真って、将来やりたいこととかあるの?」
少し驚いた表情を浮かべた悠真は、考え込むように視線を天井に向けた。
「うーん、特にないかな。でも、なんかこう……自由にやれる人生がいいかな」
「自由に……?」
「うん。誰かに縛られるとかじゃなくて、自分で道を決めたいんだよな」
その言葉に千夏は、自分の中にある感情が揺れるのを感じた。悠真はいつも前を向いていて、彼の言葉には迷いがない。それが、自分との違いに思えて仕方なかった。
(私には、悠真みたいに自分の道を決める力があるのかな……)