第一話:穏やかな日常
朝の光が校舎を照らす中、悠真はいつものように自転車をこいで登校していた。地元の高校までの道のりは平坦で、特に目立つ景色もない。ただ、晴れた日には遠くの山並みがくっきりと見えるのが、少しだけ好きだった。
「おーい、悠真!」
後ろから聞こえた声に振り返ると、見慣れた笑顔があった。幼馴染の千夏が、黄色いヘルメットをかぶった自転車通学スタイルで近づいてくる。
「お前、また寝坊しただろ?」
「あ、バレた?」と千夏は舌を出して笑う。
悠真と千夏は幼稚園の頃から一緒だった。隣の家に住んでいることもあって、何をするにも一緒だった記憶がある。小学校では一緒に学校の花壇を手入れし、中学では同じ部活に入って汗を流した。ただ、高校に入ってからは、悠真が男友達とつるむことが多くなり、少しずつ行動を共にする時間が減っていった。
「また勉強してたのか?」
「うん、でも物理の問題が全然解けなくてさー。悠真なら分かるかな?」
「いや、俺も物理は無理だな。俊に聞いたら?」
「それもそうだね。でも俊くん、ちょっと怖いからなぁ」
千夏の声はどこか明るさを装っているように聞こえた。悠真は気付かない。
教室に入ると、俊が手を振って待っていた。悠真は千夏に軽く手を振り返すと、そのまま友人の輪へと吸い込まれていく。千夏は笑顔を浮かべながら自分の席へ向かった。悠真を見送るその瞳に、ほんの少しの寂しさが浮かんでいた。
放課後の部活見学
放課後、悠真はバスケ部の練習を見学していた。体育館の中には、ボールをつく音とチームメイトの声が響いている。俊が豪快なシュートを決め、周囲が歓声を上げる中、悠真はどこかぼんやりとした気持ちでその様子を見ていた。
一方、千夏は図書室でノートに向かっていた。彼女の頭には物理の問題と、体育館で悠真がどんな顔をしているのかという、二つのことが同時に浮かんでいた。
(今、何を考えてるんだろう。楽しそうにしてるのかな。それとも……)
窓から体育館がちらりと見える。千夏はその景色を見つめたあと、ふと目を閉じた。
(ダメだな。考えても仕方ないのに)
胸の奥で抑えきれない感情がうずく。悠真への想いを抱いていると分かったのは中学の頃だった。それでも、今までずっと伝えることをしなかった。
帰り道の会話
放課後、校門の前で千夏は悠真を待っていた。今日も、悠真は俊と楽しそうに話しながら出てくる。その姿に、千夏は小さく手を振った。
「千夏、待たせた?」
「ううん、ちょうど今来たとこ!」
二人は並んで自転車を押しながら家路につく。
「今日はバスケ楽しかった?」
「うん、俊が張り切ってたよ。あいつ、ほんとすごいよな」
悠真の顔が笑顔に変わる。それを見ていると、千夏はどんな話をしていても心が穏やかになる。
「悠真も、もっと部活入ったら? 絶対活躍できるよ」
「いや、俺はのんびりでいいんだよ。俊みたいなやつが主役になるべきだし」
悠真はそう言って笑う。けれど、その笑顔は千夏にとって、どこか遠いものに感じられる瞬間があった。
(悠真、気付いてるのかな。私がこんなに、ずっと……)