第24話『死に至る病 #1』
「カノア、下がってて」
ティアは震える声でカノアに言葉を投げる。
「待て、まさか戦うつもりか!?」
「当然じゃない! このままじゃ、村が! みんなが! 私たちで食い止めないと!」
自分たちへ迫りくる魔獣を前に、ティアは懸命にその心を奮い立たせる。
だがティアはソフィアを持ってきておらず、生身の人間が素手で立ち向かえば一瞬で葬り去られることが容易に想像できる。
それほどまでに、魔獣と人間との間にある差は圧倒的だった。
「何を言っているんだ! ソフィア無しであんなのとどうやって戦うつもりだ? 逃げたほうが良い!」
それにあの魔獣は、もしかしたらティアの言うみんながけしかけたものかもしれない。
「ごめん、カノア。私逃げたくない。カノア一人でも逃げて」
ティアは声を震わせながらカノアの前に立つ。
だが声だけではなく手も足も震えており、戦うどころの話では無い。
「馬鹿を言うな! ティアを置いて逃げたら意味が無いんだ!」
「意味が無いって何? 私たちだけ助かっても、それこそ意味が無いよ!」
ティアは振り返り、語気を強めてカノアに訴える。
その顔は既に涙で崩れていたがティアの意志は揺るがない。
「頼む、ティア。分かってくれ。このままだと君が危ないんだ」
まともに戦っても無駄死にが関の山である以上、カノアは何とかしてティアを連れて逃げることを優先したかった。
「俺は君に助かって欲しいだけなんだ!」
カノアは説得を試みるが、ティアにその言葉は届いていない。
「孤児院にはみんながいる。村にもたくさんの人たちがいる。私はもう逃げちゃダメなの。ここで私が食い止めなきゃ。私が――」
ティアは魔獣をじっと見据えて、怯えるように言葉を零す。
じりじりと足を一歩ずつ前に進めるティアを止めるため、カノアは手を伸ばす。
「ティア、頼むから俺の話を――」
二人の会話を引き裂くように、魔獣が唸り声をあげる。
それは地鳴りを錯覚させるほどに大きく、それを皮切りに魔獣は走り出し一気に距離を詰めてくる。
「カノア! 早く逃げて!」
「くそっ、戦うしかないのか!」
魔獣は持っていた斧を大きく振りかぶり、地面ごと叩き割るかのように思いっきり振り下ろす。
「きゃっ!」
大きな破壊音と共に地面が粉砕される。
ティアが立っていた地面がえぐれ、小さなクレーターが出来たことからも、その威力は相当のものだったと言える。
だがティアは間一髪というところで、その直撃を避けることが出来た。
「……っ。何が……」
ティアが避けられたのは自らの意志によるものではなかった。
何かに突き飛ばされるようにその場から転がったティアは、舞い上がる土煙に視線を向ける。
そしてティアが転がったのと僅かに時間をずらし、土煙の中から同じ場所に何かが転がってくる。
「……カノア? カノア!?」
それは地面を真っ赤に染め上げる程に、おびただしい量の血を流すカノアだった。
その体は右肩辺りから、えぐり取られるように存在を失っていた。
「……ティア。……君だけでも、……逃げろ」
「嘘、嘘だよね……?」
出血は誰が見ても助かる量ではなかった。
上半身の三分の一程が損失しており、間もなくカノアはその意識を失った。
「ねぇ、カノア? もうわがまま言わないから。一緒に逃げるから。……ねぇ、カノア起きて? カノア?」
土煙を薙ぎ払うように斧を振り回し、魔獣がその姿を現す。
振り回したその風圧で、斧に付着していたカノアの血がティアの顔に飛び散る。
だがティアは気が動転しており、最早それにすら反応しない。
「そうだ、ママ。ママに治して貰お?」
ティアは血と涙で顔がぐちゃぐちゃになりながら、引きつった笑顔でカノアを抱き上げる。
「もう少し頑張ってね、カノア。ママのところに行けば、きっとまた治してくれるから」
カノアは返事をしない。いや、出来ないと言った方が正しい。何故ならそれは、既に生物としての機能を果たしていないのだから。
魔獣がゆっくりとティアに近付いてくる。そして斧を持っている手とは反対の手で、ティアが抱きしめていたカノアを奪い取る。
「返して、返してよ! カノア! カノア!!」
玩具を取られた子供のようにティアは泣き叫ぶ。
顔も、手も、体も、血で真っ赤に染め上げられたティアは、ただただ泣き叫ぶ。
だが魔獣はその声を黙らせるように、奪い取ったカノアの体を引き裂いた。
「いや、いやああああああ!!!」
少女の悲痛な叫びが、晴天の空に響き渡った。
◇◆◇◆◇◆◇
「おっきろー!」
無防備な体に衝撃が走る。
子供というのは時に残酷で、いとも簡単にえげつないことをやってのけるのだ。
「うぐっ!?」
「カノア起きたー!」
そう叫びながら数名の子供たちが部屋から走って出ていく。
「はぁっ、はぁっ……」
カノアは辺りを見回し、いつもの部屋であることを確認する。
魔獣にやられたことをまだ錯覚しているのか、カノアは全身を襲うまやかしの痛みに襲われていた。
「流石にキツイな……」
時間がループしていたとしても、記憶を引き継いでいるカノアの脳には連続した出来事として認識されている。
普通に生きていれば自身の死を何度も経験することはあり得ないが、ループという神の悪戯の中では、それが平然として起こり得る。
それは繰り返される度に、肉体ではなく魂を追い詰める拷問のようなものだ。
「カノア……」
カノアは名前を呼ばれ、はっとして部屋の入口を見る。
今にも泣き出しそうなティアの顔が、怪物に襲われたときのティアと重なった。
「ごめん、私がもっと早く迎えに――」
「ティア、一緒に来て欲しい」
カノアはベッドから降り、なりふり構っている場合じゃないとティアの言葉を最後まで聞かずその手を引いて部屋を出る。
「え、え? カノアどうしたの? 昨日の怪我は大丈夫なの?」
ティアの言っている怪我は、勿論魔獣に襲われた時の話ではない。それが分かっているからこそ、余計に苛立ちを感じた。
カノアは苛立ちを振り払うように一呼吸置き、一階に降りる階段の前でティアに確認を取る。
「ティア、今孤児院には誰が居る?」
「今はママもエルネストも出掛けてるから、私と子供たちだけだけど……」
いつも通り孤児院にはママもエルネストも不在の様だ。
ならばやはりチャンスは今しかないと、カノアは語気を強める。
「ティア、何も聞かず着いて来てくれ」
「え? 何、どうしたの?」
「理由は後で説明する。今は何も聞かず、俺と一緒に来て欲しい」
「カノア、何か怖い顔してるよ? 何かあったの?」
「……何でもない」
カノアはティアの言葉にすらまともに取り合う様子を見せない。
今はただ、目的のために。
ティアの手を引き、階段を降りるとまっすぐ玄関に向かう。
「全て終わらせてやる」
カノアは玄関の扉を開け、二人は孤児院を後にした。
本作の今後の投稿時間について、活動報告の方に明記させていただきました。
今後とも本作をよろしくお願いいたします。
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