表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ふつうの魔王  作者: 微糖貞与
第一章 死の山脈
8/11

水の龍姫 キプリス




 魚貴族(さかなきぞく)

 それは、この港町パルナスを治める我が一族を、侮蔑(ぶべつ)の意味を以って呼称する蔑称(べっしょう)であり、また市井(しせい)の民からは、親しみの意味を以って呼ばれる渾名(あだな)だ。


 名は体を示す。概ねその通りだろう。

 潤沢な海産資源に支えられ、豊かな暮らしを享受する民。

 そして領地の発展を羨む他貴族たち。

 膨れ上がる政治献金とヘイトの中、龍人族の誇りもどこへやら。

 金貨でしか己の地位を維持できない。それが我が一族の実態だ。


 私の名は、キプリス。

 キプリス・サウルス・コストゥラカ。

 その魚貴族の長女であり尼僧(モンク)である。そして星王教(せいおうきょう)の巫女、水の龍姫(りゅうき)でもある。




 鏡に映る醜悪な顔を見て、癖になってしまった溜息をつく。

 右目の眼窩(がんか)は落ちくぼみ、目玉は瞬膜を被ったまま、明後日の方向をずっと見ている。

 左の口角は吊り上がり、そこから耳の際まで、生涯消える事のない裂傷が刻まれている。

 僅かに歪んで修復された頭蓋骨は、顔全体のデッサンを絶妙に狂わせたままだ。


 私は一度、死んでいる。

 我が宿敵にして火の龍姫。カノ・サウルス・ダクティルスの手によって。 

 七年前のあの天覧試合を、昨日の出来事のように覚えている。

 あの女は私の首から上を粉砕したと同時に、私の人生をも粉々にしたのだ。


 背後で小さな鈴が鳴る。

 沐浴(もくよく)の知らせだ。

 極めて高価な薬湯に浸かる事で、私は肉体を維持している。

 私の傷は治らない。だからこれは治療ではない。

 若さを維持する為でもなければ、美を追求する為でもない。

 目的は後遺症の緩和と、戦闘力の保持(メンテナンス)にある。

 私はつまるところ、コストゥラカの人間兵器なのだ。

 それは負け犬の私が、今日ものうのうと生き恥を晒している所以(ゆえん)でもある。




 湯浴み用の薄着に着替え、やたらと長い歩廊を降りる。

 薬湯から生じる濃厚な魔素を閉じ込めるため、沐浴の湯殿(ゆどの)はたいてい地下に設けられているものだが、ここの深さは別格だ。

 なにしろこのコストゥラカの秘湯の成分は、特級回復薬(ポーション)に匹敵する。この事実を知れば、贅沢三昧の王都の法衣共ですら、腰を抜かして(よだれ)を垂らす事だろう。

 糞が。



「初めまして! 御姫様(おひいさま)! 三等薬師(くすし)のトンチーと申します……」

『ああ! ドキドキする! 心臓が止まっちゃいそう!』


「新人の湯女(ゆな)か」


 扉の前で(かしず)く娘を一瞥(いちべつ)する。

 小柄な獣人だ。髪にペタリと伏せられたイカ耳が可愛い。


「キプリスだ。御手(おて)を上げなさい。堅苦しいのは苦手だ」


「はい。御目通りぎゃきゃない光栄…………」

『はっ! 嚙んじゃった! え? 何この人でかいでかいでかい! 顔こわい!』


 やはりこうなるか。


「トンチーとやら。私は特殊な能力を持っている。<狂耳(たぶれみ)>というスキルだ。

 これは常時発動タイプの呪いのようなスキルで、私の意思とは無関係に働く」


「たぶれ…み…? まさか……」

『え? うそうそうそ!』


「嘘ではない。念話スキルの一種だよ。君の心の声がね、ずっと聞こえているんだよ」


「みぎゃっ!」


 驚きのあまり、跳ねた手毬の如く、背を扉にぶつける少女。

 まあ恐れるのも無理はない。

 私という怪物は、顔はこのように醜悪な上、七尺にも届く背丈(たっぱ)がある。

 小柄な獣人族からすれば、脅威そのものだろう。


『落ち着けわたし! 大丈夫! 胸はわたしより小さいからっ!』


 〆てやろうかこいつ。


「湯女は不要だ。私は見てくれはこうだが、自分の事は自分でできる。あきらめて帰れ。これは命令だ」


「そんなっ! うっ…! か、帰りたくありません!」

『やっと決まった年季奉公なのにっ! 初日でクビなんていやだっ!』



 目を合わせず、背を向けてナイトドレスの肩紐をゆっくりと外す。

 可哀そうだが、無視だ。

 三等薬師の資格を所持しているなら、下町でいくらでも仕事はあるだろう。

 胸元を軽く押さえ、肩がはだけた状態で、振り返る。

 まだ扉の前にいる…………。


「自分が何をしているか、自覚はあるか?」


「…………はい」

『いやだ……。いやだ……。どうしよう。クビになったら妹が…………』


「命令に従わず、貴族の軍事行動を阻んでいる。反逆罪に問われたいか?」


「………………」



 溜息をつこうとした瞬間、けたたましい鐘の音が響いた。

 続けて二度。そして一度。それが二回。二、一。二、一。

 そこで鳴り止む。緊急事態警報だ。

 少女が口を半開きにして、壁のランプが赤く点滅するのを凝視している。

 ランプの脇にはものものしい伝声機がある。


「出ろ」


「は、はいっ!」

『え……、えっと! どうやるんだっけ!』


「九式館内伝声機だ。災害時の衝撃に耐えうるよう、受話器が固定されている。

 受話器を本体側に押し込みながら上に持ち上げるんだ。……そう。重いから注意して」


「はいっ! もっ、もしもし!」


「湯女か? キプリス様はそこにいらっしゃるか?」


「はいっ! め、目の前にっ! いますっ!」


「火急の事態だ。すぐに礼拝堂に来られるよう伝えてくれ」


 声がダダ漏れだ。

 警報を使ってまで礼拝堂に来いだと?

 意味が分からん。


「あっ。え? れい……」


「パルナス星王教会の礼拝堂だ! 何人もやられてここはもう血の海だ! 巫女も一人亡くなられた! 時間が惜しい。とにかくここに来てもらうように…………」


 再び鐘が鳴る。

 テロか?

 まあいい。私は私の責務を果たすのみだ。

 蒼ざめた少女が、小刻みに震える手で受話器を抱えている。

 私は彼女からそれを奪い、「すぐに向かう」とだけ伝えて、床に投げ捨てた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ