鎧魚のマスグーフ②
卵巣は適度に濡らし、大きな葉に包んで火元に置いておく。
蒸し焼きになるだろう。
うまくできたら潰したベリーと交ぜてソースにする予定だ。
腕時計の回転ベゼルを回して、▽マークを分針に合わせる。焼く時間は、片面で二十分を目安にしようか。
ふと、疑問が湧く。
「なんかさ。俺、普通に時計使ってるんだけどさ。おおよそ合ってる気がするんだよね。ここの時間ってどうなんだろう。暦とかも気になるな」
『一分六十秒。一時間六十分。一日は二十四時間。寸分違わぬ。因みにその機械の示す刻は真秀なり 』
「え? 合ってんの?」
『ふん。あと暦は文化によって僅差あれど、一年は三六五日じゃ』
納得できないな。
三六五日ってのは太陽暦だ。地球が太陽を一周するのにかかる時間は、三六五.二四二二日。確かそれを一太陽年と呼んだはず。
この世界が地球じゃない事は理解しているつもりだが、暦が一致するのは偶然の一言では処理できない。
俺は夕陽を見た。そして今は夜だ。やがて、朝が来るんだろう。
朝昼晩、このサイクルが意味する事は、この世界はつまり……?
『追々その謎を解いてゆくのもまた一興じゃの』
「謎ってか、疑惑かなあ……」
『追々でよい。理は逃げぬ』
焚火に照らされて、赤いサンバーストの文字盤がきらめく。
十九分経った。焼け具合を確認しよう。
白身がきつね色になり、いい頃合いだろう。ひっくり返すか。
こいつは血が少ない。普段あんまり動かない魚なんだろうな。
多量の酸素を必要としないから、ヘモグロビンが少なくて身が白い。口の形から鑑みても待ち伏せ型の…………、いやいかんいかん。ついつい常識で考えちゃうな。
オドに言われるまでもなく、この思考が危険なのは分かっている。
この世界にはこの世界の自然法則があるはずだ。地球と大差ないと高を括れば、その傲慢はいとも簡単に死と直結するだろう。
『卵を忘れておらぬか?』
「はい。忘れてました」
芭蕉に似た葉を開くと、シシャモっぽい匂いと、白い湯気が広がる。
ほくほくじゃん。
さっきのベリーを指で潰して、こねこねと和えてゆく。
赤味が増して、ビジュアルは明太子だ。
「ちょっと味見するか」
…………ほう。
思ってたんと違う味だが、ちゃんとおいしいわ。
食感はぷちぷちと歯ごたえがあり、数の子に似ている。
やや魚卵特有の生臭さが残るものの、ベリーの酸味が中和をしていて、全然アリだわ。
こりゃソースと言うより、つきだしだな。これで一品完成だよ。
『旨いの』
「味分かるの?」
『儂らは一心同体じゃ』
「それな。正直思うところはあるけどさ。神様が憑いてるってのは安心だよ。
こんな右も左も分かんない世界でさ、もし孤独だったらと思うとゾッとするよ。
ありがとな、オド」
『…………ふん。然りけれど、儂が共に在るのも神殿に着くまでじゃ』
「神殿?」
鱗が火に近い。魚の重みで、串が傾いちゃってる。
火の動きに合わせつつ、少し角度を修正して炙る。
『ここは死の山脈と呼ばれておっての。実際、山と申すほど起伏もないが、巨大な残丘が連なっておる』
「死の山脈…………」
『ふん。その名から察す通り、この山は畏れられておる。魔素が濃いからの。
それでどうにも困じた信徒共が、魔素の鎮もるを願って儂を祀った。それが神殿じゃ』
「それっておまえを鎮めたかったんじゃないの? ほんとは悪い神様なんだろ」
『ぬかせ。まあ古い話じゃ。神殿も今や遺跡と化しておるが、当世に於いても儂の宗教、信徒は健在での。先日、神託を授けておいた』
「神託?」
『儂の使徒を遣わすとな。旅をするには、苦楽を共にする仲間の助力が必要じゃ。儂のような神霊より、今を生きる若者に、其方を託そうと思う。
そこ、焦げておらぬか?』
「おっと」
だいぶ焦げちゃった。でも、まあまあまあ。完成と呼んでいいだろう。
予め用意しておいた葉っぱの皿に乗っけて……。ほい、よし。あとは食うだけだ。
胡坐をかいて、手を合わせる。
「いただきます」
箸はない。棒でほぐしつつ、手で食う。
俺にスキルツリーがあったなら、スキル<原始人>が生えただろうな。
どれどれ。
もぐもぐ…。うん…。漁港。
「ウソだろ? なんで漁港の匂いがすんだよ!」
『これはいかん。ひどい匂いじゃ……』
どういう事だ? 焼いてる時はこんな匂いしなかったぞ!
待て。焦るな。もうひと口……。もぐ。
「うん。公衆便所。あーこれあれだわ。アンモニア臭だわ」
トリメチルアミンかなあ? くそう、あんま詳しくないんだよな。魚が臭い原因とか……。軟骨魚類だっけ? サメとかエイとか体内に尿素をため込んでんだよな。でもこいつ淡水魚だぞ。ん~、分からん。
ただはっきりと言えるのは、こりゃとても食えたもんじゃない。
『許す。食わんでよい』
「いいの? これって無駄な殺生になんない?」
『ならん。獣の世界とて、まずい肉は打ち捨てられよう。これも自然の常理じゃ。心配せずとも微生物の苗床になるであろ』
しょうがない。ベリーと卵だけ食おう。これはおいしいからな。
もぐもぐ。
「あー。さっきの話だけどさ。その神殿にオドの信者さんが来るの?」
『おそらく龍人の巫女が、其方を迎えに来るであろう。やんごとなき龍の血を引く亜人種じゃ』
「龍人? 龍っておっかないんじゃないの?」
『其方は神の使いじゃ。龍が如き恐るるに足らん』
「あ、そう……」
不安しかないわ。
「どんな人?」
『顔がぐっちゃぐちゃの醜女じゃ』
「あ、そう……」
不安しかないわ。