鎧魚のマスグーフ①
触手の先端が棘を広げ、鋭い鏃の形となる。
デザインはシンプルな矢印マーク。尖り矢の形状だ。
瞬く間に指先から矢は射出され、川床に向かって一直線に伸びてゆく。
体内から、数メートルにも及ぶ触手が引き摺り出される感覚がえげつない。己の内臓で綱引きをしているかのようだ。
「こんなもん魔法じゃねえええ!」
『誰が魔法なんぞと宣うた』
触手は俺の指から生えている。つまりそれは俺自身、俺の肉体の一部だ。ゆえに触覚がある。圧覚か。
ずぶりと獲物を貫いたであろう感触が気持ち悪い。例えるなら、目に思いっきり指を突っ込んだような不快感だ。
『ヒットじゃ!』
アタリじゃねえよ。ぶっ刺したんだよ。
「とにかく上げるぞ!」
もうヤケクソになって身を捩り、右腕を天に掲げ、どこかのジョンが土曜の夜にフィーバーしそうなポーズで釣り上げる。
派手な水しぶきと共に、魔素の美しいネオン光を反射する鱗が見えた。同時に、しゅるしゅると巻き戻される触手に不安を覚える。
触手また体内に収納されるのか? 濡れてるし、血とか汚れとかどうすんの? ねえ、ばい菌とか入らない? 大丈夫?
ショックはまだまだ続く。
釣ったと言っていいのか分からないが、とにかく仕留めた魚が足元に横たわっているのだが…………。
あなたどなた? デボン紀からいらしたの?
体長約七十センチの大物で、頭部から前鰭にかけて、がっつりと岩と見紛う鎧を着ている。
ものっそいしゃくれアゴで…、もとい、アゴはない。アゴに見えるスプーン状の突起があって、口はその上部にぽかーんと開いた穴だ。きっしょい。
両目は頭頂に並んで位置し、ここを綺麗に矢じりが貫通したらしい。まあ周囲は鎧で覆われているから、適切な締め方ではある。
『旨そうじゃの』
「どこがだよ。どう見てもスピス系の古代魚だろ。……しかし、こいつどうやって捌こうか。ん~、ナイフもないしな。しょうがない。丸焼きにでもするか」
『ナイフな。ほれ、いいねの指ポーズをしてみ』
「いいね?」
勝手に手が動く。げんこつから親指を立てて……、ああ、サムズアップね。
「なんでおまえがSNS知ってんだよ」
親指から触手が生えて、ナイフに変形した。
もうどうにでもして。
マスグーフというイラクの料理を思い出す。
鯉なんかを背開きにして、焚火で焼くだけのシンプルな料理だ。
うろ覚えだが、発祥はメソポタミアだったかな? 古生代の魚とくれば、やはり人類最古の文明が生んだ調理法、マスグーフがぴったりだろう。
「やるか」
本来なら、背中側から頭ごと縦にズバッと開くのだが、この鎧部分はいらない。食えたとしても食いたくないのでバッサリ落とす。
すんごい切れるな。この親指包丁…………。
ざくざくざく……と。オーケー。頭は川にペッ。
んで、残った胴体を背開きにしたいのだが……、んん?
この背鰭、並列してんじゃん。
「並列背鰭なんて見た事ないぞ。こゆとこ異世界だわ」
試しに、並んだ背鰭の隙間に刃を入れてみる。柔らかい。え? 背骨ないの? そんな事ある?
中を覗くとびっくり仰天。背骨が二本ある。この二本の隙間に、俺は刃を入れたのか。
たまにホッケの開きとかで背骨を二本見かける事はあるが、あれは単に背骨ごと両断しているにすぎない。俺の知る限り、地球上に双子背骨の脊椎動物なんて存在しない。
この場に生物学者を呼んだら、小躍りして喜ぶんじゃなかろうか。
ま、俺は学者じゃないから無視して食うけどね。
内臓が露わになった。
このでかい塊は、卵だな。魚類も雌ばっかりなのかね。
この卵はソースに使うから置いとく。残りは捨ててしまおう。
よし。できた。背開き完成。
「なあオドラデク。今更だけど毒とかないよね?」
『安心せい。其方に毒は効かん』
「効く効かないの話じゃなくて、こいつに毒ないよね?」
『無毒じゃと申しておろう』
「言ってねえよ。まあいいや。焚火だ焚火だ」
秘境だけあって、薪になる枝はそこらへんに腐るほどある。
倒木の破片を集めている時に、ベリーらしき実を見つけた。
どう見ても桑の実の仲間だ。
「これ食える?」
『酸いが食える』
ソースに使うか。
「オドラデクって言いにくいからさ、オドって呼んでもいい?」
『苦しうない』
「オド。ここってさ、地球とそっくりだよな? このベリーにしてもさ……。
まあ脊椎動物がいる時点で、海ルーツの生態系なんだよな。
大きな相違点として、魔素があるよね。そのせいで大きくズレてんだろうけどさ、ベースはほぼ地球と言っていいよね?」
『否。それはちと嶮しいの。乳飲み子の心持で、白紙から学んだ方がよかろ。この世の理について一から説く気はない。
其方のいた世界でも、多くの者は頭でっかちになるばかりで、真理の欠片も理解してはおらなんだ。
それでも皆、健やかに生きておったはずじゃ。無知の知こそが肝要であろ』
「郷に入れば郷に従え。か」
『ふん。過去世の常識なんぞ捨てるが吉じゃて』
百円ライターが火を噴く。
前世の常識は捨てても、道具は捨てないぞ。便利だからな。
瞬く間に火が育つ。
やや距離を置いて、串に通した怪魚の身を炙る。
マスグーフは強火の遠火がコツだよ。