しぶしぶ
なんて日だ。
平凡ながらも、慎ましく余生を生きるという俺の人生の予定が、一日で書き換えられてしまった。
玄関開けたら三分で死亡。それも異世界にワープしてだよ。
そんで謎の生物と合体して、バケモンになって。おまけに頭の中には神がいる。
心の整理なんてとてもできそうにないが、物事には常にその先がある。
なんとか前向きに考えるしかない。
「はぁ…」
洞窟の外は肌寒かった。
気温は体感で十六、七度くらいだろうか。千メートル級の山だと思う。
切り立った崖の、細い岩棚から一望できる黄金の樹海はどこまでも果てしない。
沈みゆく巨大な太陽は赤々と燃え、世界の終わりを見届ける巨人の目のようだ。
『美しかろ』
「ああ。絶景だよ」
基本の地形はメサだろうか。おおよそ平面だが、点々と禿げたビュートがある。地層を剝き出しにした急崖の丘だ。
例えるなら、緑に埋め尽くされたグランドキャニオンと言ったところか。
……圧巻だわ。
無限を絵に描いたような光景に、遠近感がおかしくなる。
『全てを一から説いてもよいが、切がなかろう。
この世の成り立ちから語るのも骨じゃ。
何故其方を呼んだか?
これが目下の疑問であると思うゆえ、まずはそれに答えよう』
「そうだな。聞くよ」
近くの石に腰掛けようとして、ケツが滑った。
ん…、苔か。ぬるぬるしてるな。気持ち悪い。
やむなくうんこ座りで落ち着く。
缶コーヒーがあれば、話を聞く姿勢として普通に収まるのだが、残念ながらここにはない。
まあいい。とりあえず聞こう。
『契約はこうじゃ。其方には魔王を倒してもらう』
いきなりキタ。yep, come. 正気かよ? テンプレでいくんか? 俺だってね、この手の物語を知らないってこたないんだよ。つかもう五十だぞ。あきらかに人選ミスだろ。相手見てモノ言えよ。おっさん勇者とか誰も幸せにできないからな。
『一寸すさまじい速さで思考したの……。
ふん。ちゃんと相手を見て申しておる。儂は厳選に厳選を重ねて其方を選んだ。
少々草臥れてしもうたが、そも、麒麟児と持て囃されておったはずじゃ。それは雄々しく優しい子であった』
「ないないない」
『凡夫の道を歩んでおったのも、人を害さぬためであろ?
信じ難きやもしれぬが、儂は儂なりに惟みておる。
其方の考えは中らずと雖も遠からずじゃが、その…、勇者? などせんでよい。
あえて肩書なるものを挙げるならば、其方は儂の<使徒>よの。
そもそも其方に大それた事を望んではおらん。無理に呼んでしもうたしの。
魔王の元へ、儂を連れて行け。
其方が魔王に近づけさえすれば、きゃつは儂がとっちめる』
とっちめる…、ね。久々に聞いたな。やっつけるって意味だっけか。
「シンプルに運び屋だよな? それ。
おまえは憑依してるんだもんな? 俺に。すると何か?
魔王とやらには俺がいないと近づけない……、異世界人じゃないと接近できない設定があったり?」
『設定って言うなし。……いやはや察する通りじゃ』
呆れた…。
ガキの使いじゃねえか。
なんだよこの売れなそうなRPG。しんどいなあ。
何度も言うが、俺はおっさんなんだよ。
歌に例えるなら、俺の人生のサビはとっくに終わってて、今は残りのアウトロでふんふんスキャってるだけの存在なんだよ。
「ちょっと、いやかなりしんどいわ……」
『この世界にも人がおる。それは其方の思い描く人と大差はない。人間じゃ。
人ばかりではない。魔王のせいで生きとし生ける数多の命が滅びに瀕しておる。これを哀れと思わんか?』
こいつ、情に訴えてきやがった。
「…………」
『まあ聞け。今日明日滅ぶといった問題ではないゆえ、即座に魔王の処へ辿り着けとは言わぬ。この世界を愉しみ、そろそろと馴染むがよい。まあ、ハーレムは確定じゃぞ。悪くはなかろう。
と言うのも、のう……。
けざけざと申せば雄が少のうての。雌に対して雄がいなさすぎるんじゃ』
「ん?」
『あん?』
「何ゆってんの? 悪の権化みたいな魔王? 支配者がさ、圧政とか戦争とかさ、なんかそゆので世界を滅ぼそうとかしてんじゃないの? まさかの男女あべこべ系なの?」
『圧政は知らんが、戦争はないの。
きゃつは千年をかけて緩慢に、ゆるりゆるりと真綿で首を絞めるが如くこの世を滅ぼさんとしておる。
神秘の呪いの類であろうの。今や男など邂逅にしか産まれん』
「ああ…。その魔王のせいなのか。オスがいないっての。だからとっちめるのか」
おそろしく気の長い魔王だ。
しかし、女ばっかの世界か。
前途多難だな。ハーレムなんてご褒美にならんわ。こちとら枯れちゃってるからな。
人生なんてな、そもそも小舟で大海原を渡ってゆくような、明日をも知れぬ命の旅だよ。それは重々承知之助だよ。けど、なんだかなあ。乗りかかった船とか言うけどさ、こいつはだいぶひどい泥船にしか思えない。
良くも悪くも俺は希少なオスという扱いになるだろうし、おまけに異世界人で、見た目もバケモンときた。普通の暮らしなんてとてもじゃないができないだろう。
でも他に選択肢がないんだよな……。
ま、悩んだところでなるようにしかならん。
いっちょ流されてみますか。
「腹ぁ括るか」
『おっ! やる気になったか!』
「しぶしぶだよ」
『しぶしぶか……』
オドラデクの小さな溜息を聞いて、俺はこの世界に来て初めて笑った。
つまりこれが、俺の旅路の最初の一歩なんだろう。