普通の男
ごく普通の朝食。
お皿に並んだトーストと目玉焼きを眺める。
トーストはきつね色。目玉焼きの黄身は半熟、白身の縁はカリカリだ。
いたってシンプルな、ありふれたモーニング。
いや、それじゃあちょっと物足りない。普通ならベーコンくらい足してもいい。あるいはちょっとしたサラダくらい添えてもいい。なんて意見もあるだろう。
分からなくはない。
だがもしこの目玉焼きのとなりにめちゃくちゃ美味いベーコンがあったなら? もしくはおしゃれなサラダがあったなら?
それはもう普通の朝食ではなく、ちょっぴり豪華な朝食になってしまうのだ。
そんな危ない橋を俺は渡りたくない。
この目玉焼きのとなりの、ほんの少しの空間を埋めない事こそが、完璧な普通を確保するための安全マージンとなり得るのだ。
あ、お湯が沸いたわ。
珈琲はペーパードリップ方式で淹れるが、普通たるものこだわりの淹れ方などがあってはならない。
無心に、ただ淹れる。
豆の種類もなんだっていい。
挽き目すらどうだっていい。
上嶌珈琲の品質だけを妄信し、すりきれ一杯の粉末にざばざばとお湯を注ぐだけである。
深く考慮せず、一切の事物を深く追求しない。
そう、俺はこだわらない。
いや、こだわらない事にこだわっている。
何をするにしても、普通の範囲を逸脱しないボーダーラインをいちいち見極め、出る杭にならぬよう努力を重ねる。
それが、俺の人生だ。
俺は鋼の意思を以て、普通を貫いて生きているのだ。
いいね。
珈琲はやはりブラックに限ると感じ入る。
もはや五十近い、初老と呼んでもいいおっさんの珈琲に、ミルクや砂糖を入れるなんて言語道断だろう。
そんなのは普通じゃない。ブラックこそが正解だ。
そして温かいトーストにかぶりつく。
うまくもないが、まずくもない。なんて普通なんだ。
普通すぎて膝が震える(貧乏ゆすり)。このささやかな幸せを噛みしめながら、感謝と共にゆっくりと飲み込んでゆく。
パーフェクトな朝食を終えて、鏡の前に立つ。
歯ブラシを咥えつつアゴに手を当て、顔を左右に四十五度ずつずらして、ヒゲの剃り残しがないかをチェックする。問題ない。
短く切り揃えられた短髪を撫でつけ、身だしなみを整える。
この歳になると、イケメンか否かなどは大した問題ではない。
清潔感がある。加えて事実清潔である。このふたつが肝要だ。
幸いながら俺はまだ禿げてないし、背は平均より少し高め、多少腹肉は出ているものの、太ってもいない。
歳の割には健康そのものと言える。
若い頃はそれなりに美丈夫であった名残か、気合を入れすぎると垢抜けてしまうので、むしろちょっぴり野暮ったくなるよう気を使っている。
安くなかったグレーのチノパンに、黒いコードバンのベルトを通し、ありきたりだが、身幅に合った白いシャツを羽織る。
シャツのボタンはひとつかふたつは外している方が自然だろう。そして袖を少しだけ捲り上げ、腕時計を着用する。
腕時計。
このチョイスが極めて重要だ。この分岐点を踏み間違えると、後戻りのできない失敗を犯す羽目になる。
まず昨今流行りのスマートウォッチなんてのは論外だ。ついてゆけん。頑固かもしれないが、俺は昔ながらの機械式時計をこよなく愛している。
歳を鑑みれば、そこそこ高級な時計を持っていても、まあおかしくはない。
おかしくはないのだが、コーデのバランスを崩して、そこだけ悪目立ちするのは避けたい。ゆえに、欲を殺して高級時計は除外する。
何も誇示せず、さりげなく袖元に輝く存在が好ましい。
かつツールとしての機能もしっかり保てるとなれば……。後々のメンテナンスを考慮しても、良心的価格で、かつ良質な製品を量産できるメーカーを選びたい。
※マニアックな長文が続くため、割愛いたします。
そうして俺は黒のダイバーズを一本、携帯用のケースに収めた。これは予備だ。
そして同モデルの、明るいサンバースト文字盤の一本を腕に巻いた。
なぜなら陽春の侯(陽気に満ちた暖かい春の事)、今日は桜も咲いているからだ。
玄関に向かう前に、小さな仏壇に向かって軽く手を合わせる。
昨年の秋に妻を亡くし、新年明けて早々、飼っていた柴犬にも先立たれた。
残された俺はひとり。あと何年か、何十年か生きて。大きな喜びもないが、深い悲しみもない日々を繰り返すだけだろう。
それでいいと、心から思う。
普通に生きて、普通に死ぬのが本望だ。
傍らに飾られた、犬を抱いて微笑む妻の写真に「行ってくる」とだけ声をかけ、立ち上がる。
一見革靴に見えなくもないレザースニーカーを選び、紐をきつく締め上げる。
シンプルなデニム生地のサコッシュを斜め掛けにし、黒縁の眼鏡を胸ポケットに挿す。
するとどうだろう。ほら、見てくれ。
空気よりもなお空気であり、背景よりもなお背景と化したモブ男。
今ここに、一分の隙もない圧倒的<普通の男>が爆誕したのである。
引き戸をガラガラと開ければ、ぬるい桜東風が頬を撫でた。
俺は瞼を閉じ、深く息を吸い込みながら、後ろ手でゆっくりと、訪れたばかりの春を邪魔しないようにそっと引き戸を閉めた。
扉がひとつ閉まると、必ず別の扉が開く。
救いのない運命というものはない。災難に合わせて、どこか一方の扉を開けて、救いの道を残している。
(ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ)