3話 引き出された記憶
――終業後レンティさんや皆が帰った集会場。
「華元花……連爽花……嚥里草……」
光源は私とデスクを照らす一つの光蘭石ランプのみ。
静寂の中、時を刻み続ける針の音と羅列された植物名が響く。
「よし……終わった。でも明日残業の刻印もらいづらいな……」
普段ならば一番に退勤してもおかしくない仕事量をこの時間まで引きずってしまった事に少々罪悪感を感じる。
そして荷物の整理が終わった私は無心で脳内再生していた『花草図鑑』を122ページで止め明かりを消す。
今朝よりも一段と冷えた夜道。
遠くで酔っぱらいが機嫌良く歌っているものの、街自体はひんやりと静かだった。
「明日は暖かくなってくれたらいいな……」
牛皮製の頑丈な手提げカバンから手袋を取り出そうとしたその時だった。
私はジャケットの右ポケットから違和感を感じ、何気なしに手を突っ込むと達筆な筆記体で《《結晶師更新試験用受付表》》と書かれた一枚の紙が出て来た。
気温が5度程度急低下したような悪寒に襲われる。
――「この馬鹿を試験会場まで連れてってくれないか?」――
その瞬間心臓が倍速でリズムを刻み出し、ビシッと決まったオールバックの男性の顔が浮かぶ。
「待って……え、ちょっと待ってよ……。」
脳内をグルグルと回る議員の声と美少年の顔。
「――マリリン……コーラス……セバス……」
大好きな小説に出てくる人物を出演順に羅列し、なんとか心に平穏を取り戻そうと努力する。
「あのー。ちょっといいかい?」
夜道で訳のわからない人物名をブツブツと呟く変態としてパトロール中の中年警官から声をかけられた。
「大丈夫かいお嬢ちゃん? お酒でも飲みすぎたのかい?」
「――いえ……大丈夫です」
なんとか声を絞り出す。
「そうか。でも最近ここらじゃ女性の誘拐が多発しているから気をつけるんだよ?」
「はい……ありがとうございます」
ブツブツと答える私に呆れた様子の二人は警官帽を被り直し、通り過ぎざまに悪態をついていった。
「おいサイモン。いくら誘拐犯でもあんな変人誰も相手にしないだろ」
「そう言うなルック。まぁあれなら熟したカミさん抱いた方がマシだ」
「ははは。ちげーねー」
変人。
言われ慣れた2文字。
『超常記憶』
超常なる記憶力を与えられた。
なんて言えば聞こえはいいが、知りたくもない情報やお局様からの無数の愚痴話を完璧に一言一句覚えてしまうこのスキルが大嫌いだった。
鉱山に潜むモンスターを撃退できる戦闘スキルや鉱山活動がしやすくなる回復・後方支援系だったらと何度悔やんだだろうか。
そんな自分でも嫌悪するほどの記憶力を持つこの私が『忘れ物』をするなんてありえないはずの事なのだ。
「どうしよ……あの人絶対試験を受けられてない……」
――「正真正銘ラストの――……」――
脳内に議員の声が鳴り響く。
失効した皇章は没収され、再度結晶師になる為には『晶結祭』を受ける必要がある。
もしあの美少年が再々々試験を受けられていないのだとしたら確実に私の責任だ。
どうしよう……!
孤児院のためにも絶対クビになるわけにはいかないのに……。
絶望しながら考えていると、後ろからダンディーな男性の声が聞こえて来た。
「やぁ。君はお昼に会った案内人のお嬢さんかな?」
振り返るとオールバックとスーツが印象的な男性が立っていた。
議員の物であろう高貴な車は黒々と月明かりを反射している。
「――グラリア……様?」
「やっぱりそうだ。こんな夜道で立ち止まってどうしたのかな? 私でよければ話を聞かせてもらうよ」
なんとそこに現れたのはグラリア議員だった。
「あ……あの私……」
街路に膝から崩れ落ちるとその衝撃の痛みが膝から伝達される。
もうこの時は許しを乞おうとはサラサラ思っていなかった。
ただただ任された結晶師様の人生を壊してしまった事に対して謝罪をしたかった。
「す、すみません……今朝私にお渡しになった再試験受付表の件ですが――」
しかし議員は謝罪を遮るように私に駆け寄る。
「ど、どうしたんだ? ここでは冷える。さぁ家まで送るからこの車に乗りなさい」
議員は崩れ落ちる私を腕ごと持ち上げ車に乗せようとする。
しかしこの時、ある違和感が私の目線を左上に操作した。
「――グラリア様……何故議員バッチを左側にお付けになっているのでしょう……?」
「――どうゆう意味かな……? 皇国上院議員は議員バッチは左胸に付けるものだ。そうだ、君は政治に少し疎いのかもしれないからそうなった歴史的経緯なども車でゆっくり話してあげよう」
私は静かに腕を振り解くと自力で立ち上がり、汚れた膝をパンパンと2回叩く。
「ほ、ほら変なこと言ってないで乗りなさい。上院議員である私にこの国の歴史を解説してもらえるなど機会など滅多に無い経験だぞ?」
ふぅと白い息を吐く。
「――41年前の教皇紀1287年11月9日……」
「え?」
「資源大国であったグレゴー王国との戦争に勝利し領土併合した我々教皇国は政治的観点、地理的観点から新首都をグレゴー王国と教皇国との狭間であるここゼンセルに新設。そんな首都大転換を指揮し、僅か2年1ヶ月と22日という異例の速さで完遂した名傑『ガブリエル・エランツ上院議員』が常に議員バッチを左胸に着用していたことを真似した風習から今日、本国の議員は左胸に議員バッチを着用している……違いますか?」
なんとか一息で解説した私は脳内に広げられた歴史書をしまう。
「そ、そうだとも……! だから何も間違ってなど――」
「そして。結晶師出身のサラザース・グラリア議員はその風習に異を唱える数少ないお方です。『過去の風習に囚われた現在の議会に風穴を通す』これこそが彼が選挙で謳った決まり文句。これに感銘を受けた国民は彼に104233票という2位の人物を3倍以上突き放す大票を投じた」
ポカンと口を開けるしかできない偽議員。
一度開いた記憶を止められる事は出来ず、さらに言葉を連ねる。
「そして晴れて議員となった彼は凝り固まった風習が横行する議会に抗うため、必ず議員バッチを右胸に着用するのです」
「だからもう一度問います……何故そんなアナタが左胸にバッチをお付けになっているのですか……?」
軽い金属音が夜空の下に響いた。
オールバックの男はバッチを地面に叩きつけると気怠そうに頭を掻く。
「あーあ。何お前キモ……。おーいお前ら。もうなんでもいいから連れてってー」