1話 超常記憶を持つ者
「おうフィナ! いつも毎度あり! 今日も仕事頑張れよぉ!」
「うん。ありがとシュルバさん」
もはや毎朝の定型文と化しているやりとりを終えると結露がかったガラスドアを静かに開ける。
「寒い……三月中旬とは思えない……去年の今日は家を出る時間帯でも10.2度はあったのに……」
私は白い息をゆっくり吐きながら記憶の出し入れをしながら、伸びた前髪を鬱陶しく思う。
「それにしてもシュルバさんのパン屋……今朝はトーストの陳列数が11個も少なかったな……」
今日も朝陽に焼ける街路をお気に入りのトーストを咥えながら歩く。
ラスト一個になっていたチーズトーストに手を伸ばすのは少しだけ億劫だったけどなんとか手に入ってよかった。
綺麗に整備されまっすぐ伸びるこのレンガ道。
ゆっくり通り過ぎる運動石搭載荷車。
朝焼けを眩しく反射するリーナ川は今日も美しくこの街を流れる。
そうして咀嚼が完全に終わるタイミングで事務所の裏勝手口に到着。
「――おはようございます」
烈火石がボウボウと音を立てながら燃えている暖炉のせいか、事務所の温度はいつもより高く感じる。
デスクに座ろうとすると早速いつもの時間が始まる。
「フィナ! この認定書類どこの棚だっけ?」
「それはローバー鉱山への掘削許可書の棚です」
「せふぃーさーん。昨日の夕方に来ていた禿頭の普級結晶師の名前なんだっけー。納税免除書の字が汚くてよめないーー」
「普級結晶師 コルトバ・ノーランさんです。納税免除と飛級への昇格テストの対策もしたいと仰っていましたよ」
朝イチの確認作業にこき使われる変わらぬ日常。
「ふぁーあぁ……おはよフィナ。今日もポンコツちゃん達のお守り大変ね。にしても自分の作業しながら他人の接客相手まで覚えるなんてさすがね」
レンティさんは気怠そうにピコピコと猫耳を左右に振りながら、私達人類種には少しぬるめに淹れられたコーヒーを持ってきてくれる。
「ありがとうございます」
予想通りぬるいコーヒーを啜りながら散乱したクエスト書類をかき集めるのも朝の日課。
今日も一段と散らかってる……。
コマンさんめ……。
こんなにも盛大に共用デスクを散らかしたまま、何食わぬ顔で帰宅出来る神経が逆に少し羨ましいよ。
今頃夜勤明けの葡萄酒を楽しんでいる頃だろう。
書類の仕分けが済みまっさらになったデスク。
私は目の前のカウンターから『お隣にどうぞ』と書かれた札をどける。
「では、次でお待ちの方どうぞ」
「先日、結晶師皇章の再発行をお願いしていた者です。あれがないとクエストに出ようにも壁外門番に止められて参っちゃって……」
「未級結晶師のバックス・レンフォード様ですね。2月19日 18時29分に申請されておりました結晶師皇章はもう出来上がっていますよ」
「――? 僕まだ名前言っていないはずだけど……? それと申請した時間までなんで」
私の馬鹿。
またやってしまった。
「ああ……失礼いたしました。ではこの札を持って2番カウンターにどうぞ……」
男性は私の方を眺めながら不思議そうに立ち上がる。
私の前には彼を記す書類どころか紙一枚も無いのだから無理もない。
「はぁ……」
「なにー? またやっちゃった?」
朝から深いため息を吐く私の足を、隣のデスクからツンツンと指で刺すレンティさん。
「はい……。一度しか会っていない人間に顔も名前も職業も覚えられているって気持ち悪いですよね……それも自分は覚えていない相手に……」
「んー。それも会ったのがたった二、三分の書類手続きの時間だけってなると普通の人はびっくりするのかもねー?」
容赦ない言葉の棘が刺さる私フィナ・クロニクルは『ゼンセル鉱物集会場』と呼ばれる施設で『案内人』として勤務している。
『案内人』の仕事はヴァージュラ教皇国が誇る数多の結晶師へのさまざまな支援、各ランクに合わせたクエスト配給や報酬管理、納税代行まで行うマネジメント業。
そしてそのマネジメントを受ける結晶師とは様々なエネルギーや魔力を込めた魔鉱物の採掘、結合が出来る選ばれし者達。
集会場を暖めている暖炉も内側に熱エネルギーを蓄えた魔鉱物である烈火石を燃焼していたりと、この世界において最重要資源として君臨する魔鉱物を採掘する彼らはスター職業と言っても過言では無い人気ぶり。
一括りに結晶師と言っても『未級』『普級』『飛級』というランク分けがなされており、左から順に実力が上がって行く。
もし『飛級』結晶師が自分の親族から出ようものならば親族は一生羨望の眼差しを受けながら街で買い物をする。とまで言われるほど。
こう言う私も結晶師を夢見た一人。
しかし才能が皆無というわけでは無いが到底結晶師になれるような実力はなく、授かった権能も戦闘系でもなければ、回復支援系でも無かった。
つまりただの凡人。
だからこそ凡人なりに職を転々として鉱採のサポートが出来る『案内人』という仕事に就けた事を少なからず誇りを感じている……。
訳ではなく、むしろ今では結晶師を軽蔑視すらしているほどだ。
「フィナー。アンタは本当は可愛いんだからいつまでもウジウジしてないの! 女性らしくシャンと胸を張りな!」
そう言いながら張った胸をさらに強調するレンティさん。
他人事のようにケタケタ笑う猫人種の彼女はこの集会場で絶大の人気を誇る名物案内人だ。
人並外れた美しい小顔とすらっと高く伸びた身長。
その圧倒的ルックスを持ちながらも明るく誰にでも接する性格は男女問わず皆の憧れである。
「レンティさんには私みたいな根暗女のちっぽけな悩みなんて分からないです」
「なーにー? アンタの『超常記憶』には私達も助けられてるのよー? 元気だしなって!」
優しく肩を叩いたレンティさんはそのまま仕事を再開する。
「はい」
するとカウンターの向こうの待合ベンチからイカついオールバックに高級スーツをビシッと決めた男性の怒号が聞こえてきた。