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「ありがとうございます」


「こちらこそ。あなたとの五日間は興味深かったわ」



 彼女はそれだけ言うと、にこっと笑って、準備された自分の席に戻った。

 わたしは楽器が水気を受けないように大切に抱えながら、ざぶざぶと池の中を歩く。


 琵琶琴に限らず、楽器にとって水気は大敵だ。


 けれど、この儀式では必ず泉に入って行う。


 古くからの習慣なのだそうだけど、不思議に思うし、やはり楽器を痛めないように普段以上につい気にしてしまいそうだと心配していた。



 水でかじかんで、うまく楽器をつまびけなくなってしまうのも避けたいし……。



 けれど、不思議とこの水は冷たくなくて、むしろ、ほんのり温かい。まるでわたしを歓迎しているみたいに。


 心配していたことさえ晴れるような、なぜかシンと落ち着いた気持ちになる。



 そういえば、わたしが幼いときに歌うことさえできなかった儀式が行われたときは、泉に足を踏み入れる前に「歌えないなら意味がない」と強引に腕を掴まれて引き戻されてしまったのだった。



 一歩。また一歩。


 定められた位置へと足を動かす。

 ほんの数歩の距離。


 けれど、わたしにとっては果てしない距離に感じた。



 儀式のためにびっしりと貼られた札のすぐ近く、手を触れられるくらいまで近づくと、あらためて目指すべき基準の高さが物理的に目に見える。



 わたしの頭よりはるかに高い位置まで貼られた札。


 幼いころに同じような空間に連れてこられた時には、一枚の札すら染められなかった。


 それどころか、声すらだせなかった……。


 でも、今のわたしは違う。


 ごくっと喉を鳴らして、緊張を飲み込む。



「位置についたな。ーーこのたび試しを受けるは、白家の娘・美雨」



 ドン!と太鼓が響いて、前口上が始まり、わたしはゆっくりと札を背に振り向いた。



「お主に課すのは術師の契約」


「お主に聞くのは術師の覚悟」


「お主に問うのは術師の能力」



 歌うような、唱えるような響きが空間を満たしていく。



「相違なければ今こそ唄え。大地を癒し、闇を封じよ。期待に違わず応えれば、その身を認める」


「はい」



「始めよ!」



 またドン!と太鼓が叩かれて、その余韻が消えた次の瞬間には、痛いほどの沈黙が場を支配した。



「ふぅ」



 わたしは思いきり息を吸い込む。


 両手を添えていた楽器をビィンと爪弾いた。


 音が空気を震わせる。


 周囲のざわめきが急に鎮まり、ハッとしたようにその場のすべての人の目がわたしに注がれた。



「ーーこれは!?」


「札が、もう……!」


「な……なんという美しい」



 けれど慌てて誰もが口を閉ざして、耳を澄ませ始める。



(あぁ、始まったのだわ)



 わたしは一音一音を次々と琵琶琴で響かせながら、この体で『唄』を生み出せる喜びと、始まってしまったらすでにもう終わりに向かって進んでいく寂しさを味わい始める。


 歌い奏でるときはいつもそう。

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